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旅行者の口コミ

  • hal
    品川区, 東京都1,441件の投稿
    バブル評価 5 段階中 4.0
    営業は21時30分まででしたが夜景が綺麗でした。観光客だらけ。5階までは無料。お土産やさんやレストラン、フードコートがあります。
    投稿日:2024年2月12日
    この口コミはTripadvisor LLCのものではなく、メンバー個人の主観的な意見です。 トリップアドバイザーでは、投稿された口コミの確認を行っています。
  • N. A
    東京都心, 東京都22件の投稿
    バブル評価 5 段階中 5.0
    お台場の海浜エリア!
    遠くから見ても、近くから見てもおすすめです♪
    夜の夜景が本当に素敵なので、
    近くのコンビニでお酒を買って行くと最高です😆✨
    投稿日:2023年8月28日
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  • Yosui
    東京都31件の投稿
    バブル評価 5 段階中 5.0
    根津美術館は、東武鉄道の社長などを務めた実業家・初代根津嘉一郎が蒐集した日本・東洋の古美術品コレクションを保存し、展示するためにつくられた美術館。
    投稿日:2023年8月26日
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  • Yosui
    東京都31件の投稿
    バブル評価 5 段階中 5.0
    海抜250メートル、360度の眺望を誇る東京シティビュー。都心のほぼ中央に位置し、周囲に視界を遮る建物がないという恵まれた環境に立地するため、常に変貌し続ける都市の様相を一望することができる。高層ビルが林立するダイナミックな景観から、夜の闇に浮かび上がる光の海まで、都市という名のアートを鑑賞する展望ギャラリー。
    投稿日:2023年8月27日
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  • ckroad
    川崎市, 神奈川県9,218件の投稿
    バブル評価 5 段階中 5.0
    こちらの美術館の建物は、著名な建築家黒川紀章氏の設計によるものです。度々訪れていますが、いつ来ても、素晴らしい建造物だと思います。六本木駅や乃木坂駅からが便利です。
    外務省後援の国際公募展「2024 美は国境を越えて」を見に行きました。素晴らしい作品の数々でした。
    投稿日:2024年3月4日
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  • YacchanAmarone
    バンコク, タイ31,090件の投稿
    バブル評価 5 段階中 4.0
    歴史ある立派な本堂と、高度経済成長の象徴と言える東京タワーのコラボ写真は、同じ時代のものとは思えず、異空間な感じがして良かったです。
    投稿日:2024年2月26日
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  • LTB511
    日本31,426件の投稿
    バブル評価 5 段階中 4.0
    芝浦と台場を結ぶ吊橋。2層構造で、下層には一般道とゆりかもめが、上層には首都高速が通っている。クルマやゆりかもめでは何度も通ったことがあるが、今回初めて徒歩で渡ってみた。通行無料。
    芝浦側の入口はゆりかもめの芝浦ふ頭駅から徒歩5分ほどのところにある橋脚「芝浦アンカレイジ」。地上から橋下層まではエレベーターで。歩道は一般道の両外側にあり、晴海側は「ノースルート」と東京湾口側は「サウスルート」と名付けられている。台場側出口に近いところにある渡り通路以外、途中で両ルートを行き来することはできない。選択したのは「ノースルート」。歩道外側には金網が張られているもののコンパクトカメラやスマホであれば隙間からの撮影が可能であり、途中には展望所も設けられている。何よりもクルマでの通行ではできない「立ち止まってのんびり景色を眺める」ことができる。橋の長さは約1.5km。芝浦ふ頭駅からお台場海浜公園駅までは約3km。天気のいい日のウォーキングにオススメしたいコースである。
    投稿日:2022年9月18日
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  • ckroad
    川崎市, 神奈川県9,218件の投稿
    バブル評価 5 段階中 5.0
    ボストン美術館所蔵の刀剣×浮世絵展を観に行きました。副題は、武者たちの物語。
    観覧時間は指定されており、ゆっくりと観ることができました。
    森タワーの52階にあるので、ロビーからの眺めも良いです。
    投稿日:2022年4月28日
    この口コミはTripadvisor LLCのものではなく、メンバー個人の主観的な意見です。 トリップアドバイザーでは、投稿された口コミの確認を行っています。
  • taka
    東京都心, 東京都13件の投稿
    バブル評価 5 段階中 4.0
    友達と六本木ヒルズに遊びにきました。たくさんみるところがあり楽しかったです。友達やカップルで行くと楽しいと思います!
    投稿日:2023年9月16日
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  • junjun
    東京都心, 東京都7,851件の投稿
    バブル評価 5 段階中 4.0
    港区にある「泉岳寺」についての情報を発信していきます。今回、「泉岳寺」を訪れたのは2023年12月3日です。「泉岳寺」へのアクセスは、都営浅草線「泉岳寺駅」のA2出口を出て右方向に100mほど進むとしんごうがあります。信号を右折すると正面に「泉岳寺」の「中門」が見えます
    最初に「泉岳寺」の歴史と概要を紐解いてみると、「泉岳寺」は、慶長17年(1612年)に、「徳川家康」が、「門庵宗関和尚」を迎え外桜田(桜田門周辺)に創建された曹洞宗寺院で、福井県の「永平寺」と横浜鶴見の「総持寺」を大本山としているお寺です。しかし、寛永18年(1641年)に発生した「寛永の大火」で焼失してしまいました。その後、3代将軍「徳川家光」の命を受けて毛利、浅野、朽木、丹羽、水谷の5大名の手で現在の地である高輪に再建されました。そして、元禄14年(1701年)3月14日に、江戸城中で旗本「吉良義央」に切りつけ、即日切腹処分となった播磨赤穂藩の藩主「浅野長矩」と翌元禄15年(1702年)12月14日に江戸本所の吉良邸に押し入って主君の仇を討った「47人の赤穂義士」の墓があり、現在もなお多くの参拝客が訪れています。私が「泉岳寺」を訪れたのは、12月初旬でしたが、かなりの「赤穂義士四十七士」のお墓参りの参拝客がいました。また、日本人だけでなく外国のツアーできた団体の旅行者もいました。一般的に「赤穂浪士」は、「赤穂義士四十七士」といわれていますが、「泉岳寺」には討ち入り前に自害した浅野氏の家臣「萱野重実」の供養塔を含めて48基の墓があります。「赤穂義士」たちの墓の特徴は、討ち入り後の預け先である「細川家」、「松平家」、「水野家」、「毛利家」によってそれぞれ分けられていることです。そして、討入りに参加した「赤穂義士」の中で、「間新六」の遺体は遺族が引き取り「築地本願寺」に葬り、また、唯一人切腹をまぬがれた「寺坂吉右衛門」、この二人の墓塔は、遺骸の埋葬を伴わない供養塔で、「寺坂吉右衛門」以外の「赤穂義士」の戒名はすべて最初の文字が「刃」となっています。
    そして、「泉岳寺」の境内には、討ち入り300年に因み平成13年(2001年)に建設された「赤穂四十七士」の遺品などを納めた「赤穂義士記念館」や義士47名の木像を納めた「義士木像館」が建てられ、「主税梅」、「首洗い井戸」、「血染めの梅と血染めの石」など「赤穂義士」ゆかりのものも点在し、忠臣蔵のファンが絶えず訪れる寺院となっています。そして、討ち入り日の12月14日の「義士祭」は、全国から多くの参拝者が訪れて忠義を尽くした義士一人一人に線香をあげていく歳末の風物詩となっています。また、4月1日から7日までには「春の義士祭」も行われます。

    《「泉岳寺のお薦め参拝巡路」》
    ①「中門」⇒②「義士堂小泉商店」⇒③「大石内蔵助吉雄銅像」⇒④「山門」⇒⑤「本堂」⇒⑥「梵鐘」⇒
    ⑦「講堂」⇒⑧「主税梅」⇒⑨「遥池梅」⇒⑩「血染めの梅と血染めの石」⇒⑪「赤穂義士記念館」⇒
    ⑫「義士木像館」⇒⑬「首洗い井戸」⇒⑭「赤穂義士墓入口の門」⇒⑮「浅野長矩」と「赤穂義士の墓」

    それでは、早速、「泉岳寺」を参拝したいと思います。
    《「中門」》
    まずは、「中門」をくぐります。「中門」の扁額「萬松山」は、中国明時代の禅僧「為霖堂」の書によるものです。初代の「中門」はは焼失したので、「中門」は天保7年(1836年)に「35世大龐梅庭和尚」によって再建されたものです。「中門」は、昭和7年(1932年)に大修理を行いました。「中門」は、平成11年(1999年)2月1日に港区登録有形文化財に指定されています。

    《「義士堂小泉商店」》
    「中門」から「山門」に向かう参道の途中に、門前町風のお土産店、飲食店が右手に数件ほど建ち並んでいます。その中で、印象に残ったのは「義士堂小泉商店」です。赤穂義士の羽織を着た店の主人や店の看板の上にある太鼓の飾りが印象的でした。お店のお土産も赤穂義士に関するものが沢山ありました。
    《「大石内蔵助吉雄銅像」》
    参道を進むと「山門」の手前の右手に「大石内蔵助吉雄銅像」があります。「大石内蔵助吉雄」が元禄袴を身につけ、連判状を手に江戸のある東の空をじっと睨んでいる姿を表した銅像です。明治から大正にかけて活躍した浪曲師の「桃中軒雲右衛門」の発願で鋳造されたものが「泉岳寺」に大正10年(1921年)12月14日に寄贈されました。

    《「山門」》
    「大石内蔵助吉雄銅像」の左手に、「山門」があります。「山門」はくぐることができないので、正面から鑑賞した後に、右側にある「泉岳寺本堂入口」から入ります。「泉岳寺」には、もともと「総門」、「中門」、「山門」の3つの門「三門」がありましたが、現存しているのは「山門」と「中門」の二つのみです。しかし、どちらも初代のものは焼失しています。「山門」は天保3年(1832年)に「34世大道貞鈞和尚」によって再建されたものです。「山門」の2階部分には、「十六羅漢」と「釈迦三尊像」が安置され、1階天井には「江戸三龍」のひとつ「銅彫大蟠龍」がはめこまれています。「銅彫大蟠龍」は、「日本彫金の祖」と呼ばれる「関義則」の手になる龍の彫り物で、蟠龍とは、とぐろを巻いた龍のことです。「山門」の「泉岳寺」の扁額は、晋唐の墨跡研究者であった「大野約庵」による書です。平成11年(1999年)2月1日に港区の登録有形文化財に指定されています。

    《「本堂」》
    「山門」の次は「本堂」です。「本堂」の右手には「授与所・寺務所」があります。本堂の手前には、「御柱」と「香炉台」があります。「本堂」は、東京大空襲で焼失した「旧本堂」に代わり、現在の本堂は昭和28年(1953年)12月14日に完成した鎌倉様式の建築です。「本堂」の正面に掲げられている「獅子吼」の扁額は「ししく」と読むそうです。お釈迦様が説法する様子を獅子が吼える様子に例えたもので、何事にも動じず大衆に向かって心理を説く釈迦の姿勢を表しています。御本尊は「釈迦如来座像」、他に曹洞宗の宗祖である道元禅師「瑩山禅師像」、また「大石内蔵助」の守り本尊である「摩利支天」(秘仏)などが納められています。

    《「梵鐘」》
    「本堂」の左手には「梵鐘」があります。朝の坐禅時と夕方の閉門時に撞かれている「梵鐘」は、大正2年(1913年)に、「41世普天霊明和尚」によって造られたものです。江戸から明治まで使われていた「梵鐘」は、現在ウィーンの「国立民族博物館」に所蔵されているそうです。

    《「講堂」》
    「梵鐘」から引き返すと右手に「講堂」があります。「講堂」は、関東大震災後の大正14年(1925年)に建てられました。1階では毎週土曜日に学寮講座が開かれています。2階は「赤穂義士」47名の木像を納めた「義士木像館」になっています。

    《「主税梅」、「遥池梅」、「血染めの梅と血染めの石」》
    「講堂」を右折すると「赤穂義士墓所」へ通じる参道があります。そこには、「主税梅」、「遥池梅」、「血染めの梅と血染めの石」が並ぶようにしてあります。
    「主税梅」は、「赤穂義士」で最年少だった「大石主税」が切腹した伊予松山藩松平隠岐守三田屋敷(現在の三田にあるイタリア大使館内)に植えられていた梅と伝えられています。
    「遥池梅」は、義士の墓守をしていた「堀妙海法尼」が「遥泉院」から賜った鉢植えの梅を移植したものと伝えられています。
    「血染めの梅と血染めの石」は、浅野内匠頭が、現在の新橋4 丁目付近にった「田村右京大夫」の庭先で切腹した際、その血がかかったと伝えられている梅と石です。「田村右京太夫」邸の庭から移されたとされています。

    《「赤穂義士記念館」と「義士木像館」》
    「赤穂義士墓所」へ通じる参道を少し進むと、右側の「赤穂義士記念館」へ降りる石段があり、先に進むと「赤穂義士記念館」があります。チケット売り場で入館券を購入します。入場料は、2施設共通の料金で、大人500円、中高生400円、小人250円となっています。「赤穂義士記念館」及び「義士木像館」は残念ながら撮影禁止です。まず、「赤穂義士記念館」入口では討ち入りで使った陣笠があります。最初に映像コーナーで仇討ちの様子をビデオで鑑賞できます。展示室内には赤穂義士たち所縁の道具が展示されています。また、仇討ちのために資金を援助した商人の「天野屋利兵衛」の木造もあります。「天野屋利兵衛」の墓も「首洗い井戸」の付近にあります。そして、「鷲屋石欒」作と云われる大石父子の木像もあるほか、赤穂事件絵巻や土佐光成による四十七士の絵もあり、ファンにとってはたまらないものでしょう。「赤穂義士記念館」の向かい側にある「義士木像館」には、江戸時代から明治初めまでに造られた義士の木像が納めてあります。これらの木像は、「鷲屋石欒」やその弟子たちによるものです。

    《「首洗い井戸」》
    「義士木像館」を出て、参道を右方向に進むと右手に、「首洗い井戸」があります。「首洗い井戸」は、「赤穂義士」が本懐成就後に「吉良上野介」の首級をこの井戸水で洗い、主君「浅野長矩」の墓前に供え報告したことから「首洗い井戸」と呼ばれています。「首洗い井戸」は、鉄製のネットで覆われていて中がよく見えませんでした。「首洗の井戸」の「玉垣」は、「オッペケペー節」で一世を風靡した「川上音二郎」の寄進によるものです。「川上音二郎」は、明治24年(1891年)に「泉岳寺」にある「赤穂浪士の墓」が荒れ果てているのを見て、貧者救済の名目で寄付を行ないました。「泉岳寺」はこの寄付で、「首洗の井戸」を整備したそうです。

    《「赤穂義士墓入口の門」》
    「首洗の井戸」の先には、「赤穂義士墓入口の門」があります。「赤穂義士墓入口の門」は、浅野家の「鉄砲州上屋敷」(現在の聖路加病院)の裏門で、明治時代に移築したものです。平成11年(1999年)2月1日に港区の登録有形文化財に指定されています。

    《「赤穂義士の墓」》
    「赤穂義士墓入口の門」をくぐると「赤穂義士の墓」です。「授与所」が右手にあり、その反対側で、焼香用のお線香を300円で買います。お寺のお坊さんが100本くらいあるので、一つのお墓に2本ずつおいても足りるという説明がありました。順番に思いを込めて回りたいと思います。元禄15年(1703年)12月14日に、「吉良上野介」邸に押し入り仇討ちを果たした「大石内蔵助」を筆頭とした「赤穂義士」47名は事件後、熊本藩「細川家」、伊予松山藩「松平家」、長府藩「毛利家」、岡崎藩「水野家」の各大名の下屋敷に預けられました。そして、元禄16年(1703年年)2月4日のほぼ同時刻に切腹し、主君「浅野内匠頭」(長矩)の眠る泉岳寺に葬られました。だだし、「寺坂吉右衛門」は関係者に討ち入りの成功を報告した後、江戸に戻って自首しましたが赦され、麻布の「曹渓寺」で83歳まで生き、「曹渓寺」に埋葬されました。現在、「泉岳寺」にある「寺坂吉右衛門」の供養塔は、慶応4年(1868年)に建てられたものです。また、「間新六」は他の浪士と同時に墓は造られましたが、遺体は遺族が引き取り「築地本願寺」に埋葬されたそうです。さらに明和四年(1767年)には討ち入りへの参加を希望したが周囲の反対に遭い、討ち入り前に切腹した「萱野三平」の供養塔も建てられたため、現在墓碑は48基あります。大正11年(1922年)3月8日に国指定史跡に指定されています。最後まで、自分たちの信念と義を貫いた赤穂義士全員にお参りできました。

    01_【「泉岳寺」の一口メモ】
    ⑴ 所在地…〒108-0074 東京都港区高輪2丁目11−1 電話:03-3441-5560
    ⑵ 「泉岳寺」の概要 ①山号…萬松山 ②寺号…泉岳寺 ③宗派…曹洞宗
    ⑶ 開閉門時間…通年、7:00~17:00
    ⑷ 赤穂義士記念館…拝観時間は通年、9:00~16:00
    「赤穂義士記念館」と「義士木像館」の入館には料金がかかります。2施設共通の料金で、大人500円、中学生と高校生400円、10歳以上の子どもが250円です。
    ⑸ 赤穂義士祭(義士祭は年2回12月と4月に開催)
    ①夏…4月1日~7日 ②冬…毎年12月14日
    ③スケジュール
     11時…墓前供養 浅野長矩公之墓所
     12時…献茶式 東阿部流献茶式(本堂)
     献茶式引き続き…義士追善供養(本堂)
    ⑹ 「泉岳寺」の主な文化財等
    ① 浅野長矩および赤穂義士墓(国指定史跡)指定年月日:大正11年(1922年)3月8日
    ② 泉岳寺中門(港区登録有形文化財)指定年月日:平成11年(1999年)2月1日
    ③ 泉岳寺山門(港区登録有形文化財)指定年月日:平成11年(1999年)2月1日
    ④ 浅野長矩及び赤穂義士墓所門(港区登録有形文化財)指定年月日:平成11年(1999年)2月1日
    ⑤ 赤穂事件絵巻(港区登録有形文化財)指定年月日:平成14年(2002年)3月25日

    02_【「泉岳寺」へのアクセス】
    ⑴ 電車を利用する場合
    ① 都営浅草線「泉岳寺駅」A2出口から徒歩3分約200m
    ② JR山手線「高輪ゲートウェイ駅」から徒歩10分600m
    ⑵ バスを利用する場合
    ① [五反田駅] ⇒[六本木ヒルズ]≪都営バス:反96≫
    ・バス乗り場:「五反田駅」東口(6番のりば)
    ・8停留所目(「高輪北町」の次の停留所) 所要時間約12分 
    ・9時から17時の間に1時間平均3便~5便
    ・「泉岳寺前」停留所で下車し「泉岳寺」まで徒歩2分180m
    ※「品川駅高輪口」で乗車可
    ② [六本木ヒルズ] ⇒[五反田駅]≪都営バス:反96≫
    ・バス乗り場:「六本木ヒルズ」森タワービル1階構内(1番のりば)
    ・10停留所目(「高輪一丁目」の次の停留所) 所要時間約18分 
    ・9時から17時の間に1時間平均2便~4便
    ・「泉岳寺前」停留所で下車し「泉岳寺」まで徒歩7分400m
    ※「六本木駅前」で乗車可

    03_【「泉岳寺」の見どころ】
    ⑴ 「本堂」
    「本堂」は、東京大空襲で焼失した「旧本堂」に代わり、現在の本堂は昭和28年(1953年)12月14日に完成した鎌倉様式の建築です。「本堂」の正面に掲げられている「獅子吼」の扁額は「ししく」と読むそうです。お釈迦様が説法する様子を獅子が吼える様子に例えたもので、何事にも動じず大衆に向かって心理を説く釈迦の姿勢を表しています。御本尊は「釈迦如来座像」、他に曹洞宗の宗祖である道元禅師「瑩山禅師像」、また「大石内蔵助」の守り本尊である「摩利支天」(秘仏)などが納められています。
    ⑵ 「梵鐘」
    朝の坐禅時と夕方の閉門時に撞かれている「梵鐘」は、大正2年(1913年)に、「41世普天霊明和尚」によって造られたものです。江戸から明治まで使われていた「梵鐘」は、現在ウィーンの「国立民族博物館」に所蔵されています。
    ⑶ 「山門」と「中門」
    「泉岳寺」には、もともと「総門」、「中門」、「山門」の3つの門「三門」がありましたが、現存しているのは「山門」と「中門」の二つのみです。しかし、どちらも初代のものは焼失しています。「山門」は天保3年(1832年)に「34世大道貞鈞和尚」、「中門」は天保7年(1836年)に「35世大龐梅庭和尚」によって再建されたものです。
    「山門」の2階部分には、「十六羅漢」と「釈迦三尊像」が安置され、1階天井には「江戸三龍」のひとつ「銅彫大蟠龍」がはめこまれています。「銅彫大蟠龍」は、「日本彫金の祖」と呼ばれる「関義則」の手になる龍の彫り物で、蟠龍とは、とぐろを巻いた龍のことです。「山門」の「泉岳寺」の扁額は、晋唐の墨跡研究者であった「大野約庵」による書です。
    「中門」の扁額「萬松山」は、中国明時代の禅僧「為霖堂」の書によるものです。「中門」は、昭和7年(1932年)に大修理を行いました。
    ⑷ 「大石内蔵助吉雄銅像」
    「中門」から「「山門」」に続く参道の右手に「大石内蔵助吉雄銅像」があります。「忠臣蔵」の主役ともいえる赤穂藩筆頭家老「大石内蔵助吉雄」が元禄袴を身につけ、連判状を手に江戸のある東の空をじっと睨んでいる姿を表した銅像です。明治から大正にかけて活躍した浪曲師の「桃中軒雲右衛門」の発願で鋳造されたものが「泉岳寺」に大正10年(1921年)12月14日に寄贈されました。
    ⑸ 「講堂」(2階は義士木像館)
    「講堂」は、関東大震災後の大正14年(1925年)に建てられました。1階では毎週土曜日に学寮講座が開かれています。2階は「赤穂義士」47名の木像を納めた「義士木像館」になっています。
    ⑹ 「赤穂義士記念館」と「義士木像館」(撮影禁止)
    「赤穂義士記念館」は、「赤穂義士」ゆかりの品々や関連資料を展示し、「忠臣蔵」についてのビデオも上映している施設です。まず、「赤穂義士記念館」入口では討ち入りで使った陣笠があります。最初に映像コーナーで仇討ちの様子をビデオで鑑賞できます。展示室内には赤穂義士たち所縁の道具が展示されています。また、仇討ちのために資金を援助した商人の「天野屋利兵衛」の木造もあります。「天野屋利兵衛」の墓も「首洗い井戸」の付近にあります。そして、「鷲屋石欒」作と云われる大石父子の木像もあるほか、赤穂事件絵巻や土佐光成による四十七士の絵もあり、ファンにとってはたまらないものでしょう。
    「赤穂義士記念館」の向かい側にある「義士木像館」には、江戸時代から明治初めまでに造られた義士の木像が納めてあります。これらの木像は、「鷲屋石欒」やその弟子たちによるものです。入場料は、2施設共通の料金で、大人500円、中高生400円、小人250円となっています。「赤穂義士記念館」及び「義士木像館」は残念ながら撮影禁止です。
    ⑺ 「首洗い井戸」
    「首洗い井戸」は、「赤穂義士」が本懐成就後に「吉良上野介」の首級をこの井戸水で洗い、主君「浅野長矩」の墓前に供え報告したことから「首洗い井戸」と呼ばれています。「首洗い井戸」は、鉄製のネットで覆われていて中がよく見えませんでした。「首洗の井戸」の「玉垣」は、「オッペケペー節」で一世を風靡した「川上音二郎」の寄進によるものです。「川上音二郎」は、明治24年(1891年)に「泉岳寺」にある「赤穂浪士の墓」が荒れ果てているのを見て、貧者救済の名目で寄付を行ないました。「泉岳寺」はこの寄付で、「首洗の井戸」を整備したそうです。
    ⑻ 「主税梅」
    「赤穂義士」で最年少だった「大石主税」が切腹した伊予松山藩松平隠岐守三田屋敷(現在の三田にあるイタリア大使館内)に植えられていた梅と伝えられています。
    ⑼ 「遥池梅」
    義士の墓守をしていた「堀妙海法尼」が「遥泉院」から賜った鉢植えの梅を移植したものと伝えられています。
    ⑽「血染めの梅と血染めの石」
    浅野内匠頭が、現在の新橋4 丁目付近にった「田村右京大夫」の庭先で切腹した際、その血がかかったと伝えられている梅と石です。「田村右京太夫」邸の庭から移されたとされています。
    ⑾_① 「赤穂義士の墓」
    元禄15年(1703年)12月14日に、「吉良上野介」邸に押し入り仇討ちを果たした「大石内蔵助」を筆頭とした「赤穂義士」47名は事件後、熊本藩「細川家」、伊予松山藩「松平家」、長府藩「毛利家」、岡崎藩「水野家」の各大名の下屋敷に預けられました。そして、元禄16年(1703年年)2月4日のほぼ同時刻に切腹し、主君「浅野内匠頭」(長矩)の眠る泉岳寺に葬られました。だだし、「寺坂吉右衛門」は関係者に討ち入りの成功を報告した後、江戸に戻って自首しましたが赦され、麻布の「曹渓寺」で83歳まで生き、「曹渓寺」に埋葬されました。現在、「泉岳寺」にある「寺坂吉右衛門」の供養塔は、慶応4年(1868年)に建てられたものです。また、「間新六」は他の浪士と同時に墓は造られましたが、遺体は遺族が引き取り「築地本願寺」に埋葬されたそうです。さらに明和四年(1767年)には討ち入りへの参加を希望したが周囲の反対に遭い、討ち入り前に切腹した「萱野三平」の供養塔も建てられたため、現在墓碑は48基あります。
    ⑾_② 「赤穂義士墓入口の門」
    「赤穂義士墓入口の門」は、浅野家の「鉄砲州上屋敷」(現在の聖路加病院)の裏門で、明治時代に移築したものです。
    ⑿ 「赤穂義士祭」
    「泉岳寺」では、毎年、4月1日から4月7日までと12月14日に義士を供養する「赤穂義士祭」を開催されています。この日は全国から多くの参拝者が訪れ、忠義を尽くした義士一人一人に線香をあげていく姿が見受けられます。当日は「浅野長矩」墓所にて墓前供養をおこない、東阿部流献茶式(本堂)で献茶式、そして義士追善供養がおこなわれます。町を練り歩いていた「財界二世学院」主催による「義士行列」が築地から日比谷通りを抜け、泉岳寺に到着する14時30分頃に祭りはピークを迎えます。参道にも多数の露店が出ており、祭りは閉門の22時まで賑わうそうです。
    投稿日:2024年1月7日
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  • メタ モンモン
    3件の投稿
    バブル評価 5 段階中 4.0
    すごく綺麗な海ではありませんが、ちょっと夏を味わいたい、足だけ入りたいなって時は良いと思います。
    夕涼みするのもおすすめ。
    投稿日:2022年8月15日
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  • 鶴田 直己
    日本6,177件の投稿
    バブル評価 5 段階中 5.0
    クリストとジャンヌ=クロードの「包まれた凱旋門」を拝観してきました。こちらの企画展は映像資料での展示が多いため、全て通して観ると約2時間の所要時間になります。展示内容としては両氏の悲願の夢であったプロジェクト「包まれた凱旋門」について、その製作背景や過程に焦点を当てた内容になります。

    私自身今回の展示を観るまでは、凱旋門にその様なプロジェクトがあったことを知りませんでした。16日間という短い開催期間でありながら、60年という長い年月をかけた壮大なプロジェクトで、その規模の大きさに圧倒されながら拝観しました。単に映像展示と言えども、巨大なスクリーンと小さなスクリーンの組み合わせで見せ方が上手いなと思いました。映像展示の中ではライトアップされた凱旋門の姿も見られて、大変美しいなと印象に残りました。展示の中には布とロープで包まれた巨大な柱を模したものがあり、あたかもそこに凱旋門があるかの様な感じを味わえて良かったなと思います。

    見学を終えるとギャラリー3の方で、ショップの方を見て回りました。品揃えの方はもう少し充実して欲しいなと思うラインナップでした。その他、補足情報です。入館時に手荷物の預かりサービスがありますので、利用させていただき助かりました。
    投稿日:2022年8月13日
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港区に関するよくある質問


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