牛天神北野神社
牛天神北野神社
3.4
トラベラーズチョイスとは?
トリップアドバイザーは、旅行者から一貫して高評価の口コミを獲得し、かつトリップアドバイザーに掲載されている施設の上位10%にランクインした宿泊施設、観光スポット、およびレストランにトラベラーズチョイスアワードを授与します。
旅行中ですか?
利用可能なアクティビティを検索します。
エリア
住所
エリア: 四ツ谷、飯田橋
皇居の外堀に沿うように、教育機関や企業が集中する四谷・飯田橋エリア。飯田橋にほど近い神楽坂はかつて花街として栄えた歴史を持ち、江戸情緒を感じさせるフォトジェニックな街並みが魅力です。現在も石畳が敷かれた細い路地が残り、周辺には芸者のいる老舗料亭だけでなく、町屋造りの建物を再利用した趣のあるカフェやレストランが多く見つかります。
お問い合わせ先
周辺のおすすめ
レストラン
5 km圏内に10,000件
口コミや写真を投稿
3.4
31件の口コミ
とても良い
0
良い
13
普通
17
悪い
0
とても悪い
1
junjun
東京都心, 東京都26,400件の投稿
2023年12月 • 一人
文京区春日にある「牛天神北野神社」についての情報を発信していきます。「牛天神北野神社」を訪れたのは2023年12月22日です。当日は都バスの都02系統で蔵前駅前から乗車し、「富坂上」停留所で降車しました。「牛天神北野神社」へのアクセスは、「富坂上」停留所で降車し、バスの進行方向と同じ方向へ70mほど進むと、「表示名:富坂上」があります。その手前の角を左折し、道なりに280mほど進むと左手に駐車場があり、「牛天神北野神社」もあります。ただし、こちらはあくまでも裏手なので、「牛坂」を道なりに90mほど下ると左手に「牛天神北野神社」の入口あります。少し険しい石段を上ると「牛天神北野神社」の境内が目の前に現れてきます。
「牛天神北野神社」の歴史と概要を紐解いてみると、「牛天神北野神社」は、元暦元年(1184年)に「源頼朝」によって創建されました。その契機となったのは、鎌倉時代に、「源頼朝」が当地にあった岩に腰掛け休息したとき、夢に牛に乗った「菅原道真」が現れ「二つの喜びがある」と告げられました。そして、武運満足の後は社を営むべしとのお告げがあり、夢から覚めると牛の形をした石がありました。その後、「頼家」が生まれ、「平氏」を西に追うことができ戦にも勝利しました。「源頼朝」は、報恩感謝でこの岩を祀り「牛天神」を創建しました。それ以来、境内にある牛の形をした岩を撫でると願いが叶うといわれ、撫で岩の発祥となりました。御祭神は、学問の神様として有名な天神様「菅原道真」です。
《「牛天神北野神社」のお薦め順路》
①「お御籤掛け」、「絵馬掛け」、「文海堂號山先生の碑」⇒②「手水舎」⇒③「御神木」の「木斛」⇒
④「中島歌子の歌碑」、「筆塚」⇒⑤「水戸光圀公」が奉納した「狛犬」⇒⑥「牛石」⇒
⑦「ねがい牛」⇒⑧「社殿」⇒⑨境内社の「太田神社」と「高木神社」
それでは早速「牛天神北野神社」を参拝したいと思います。神社の入口には、「北野神社」の社柱碑が右手にあり、その後ろには梅鉢紋が刻まれた「神門」があります。その先の石段には、「北野神社」と別名である「牛天神」と描かれた幟が階段の両側に等間隔で配置されています。そして、その先は境内までは、木々がトンネルのようになった急勾配の階段があります。森林浴しているような緑に囲まれた素敵な参道です。
息を切らして頂上の「石鳥居」をくぐると、左手に御朱印やお守りなどを頂ける「授与所」と境内社である「太田神社」と「高木神社」、正面には牛の形でくり抜いた珍しい「お御籤掛け」と「絵馬掛け」があり、その真ん中に「文海堂號山先生の碑」と刻まれた石碑もありました。
そして、「絵馬掛け」の先に進むと、「手水舎」があります。「牛天神北野神社」の「手水舎」は、平成14年(2002年)に「菅公昇神1100年」を記念して、氏子、崇敬者より奉納されたものだそうです。この「手水舎」の屋根や柱には備前の木を、「鉢」と「花びら」には御影石を使用し、宮大工と彫刻家「石田榮」の手によって造営された手水舎です。暗くなるとライトアップされ、とても神秘的な雰囲気を漂わせているそうです。
「手水舎」の反対側には、「御神木」の樹齢100年超の「木斛」が境内のほぼ中央あります。真剣に心をこめてお願いすると必ず願いが叶うといわれています。
「御神木」の奥には、「中島歌子の歌碑」と「筆塚」が境内の一角に展示してあります。「中島歌子の歌碑」は、歌子の死後、明治42年(1909年)に門下生によって建立されました。歌碑には、「雪のうちに 根ざしかためて 若竹の 生出むとしの 光をぞ思ふ」と刻まれています。その意味は、「雪の降り積もった中で、深く根を入れている若竹が、すくすくと光り輝いて伸びている」ということだそうです。「筆塚」は、字が上手になりますようにと、使用した筆又は、ペン等を納めていただくものです。
さて、いよいよ「社殿」へと向かいます。「社殿」の手前にある石鳥居の前には、「狛犬」が邪気を寄せ付けないために睨みをきかせています。なんとこの「狛犬」は、「水戸光圀公」が奉納したそうです。そして、さらに進むと「社殿」の手前に、「牛石」があります。この「牛石」は、「伯牛」と呼ばれ、天神様をお祀りしているすべての神社にあるそうです。
「社殿」に向かって左手の「牛石」の左側には、「ねがい牛」があります。「ねがい牛」は、境内にある「なで石」(自然石)で、「源頼朝」が元暦元年(1184年)の奥州へ東征の途中に、この地に休んだときに、夢の中に牛に乗られた「菅原道真」が現れ、願いが叶うことを告げられました。武運満足の後は社を営むべしとあり、夢から覚めると牛の形をした石があったそうです。そして、頼家が生まれ、平氏を西に追うことができたそうです。その後、ここにあった牛に似た石を御神体とし、「大宰府天満宮」より御魂を勧請されたと伝えられているそうです。これが「撫で岩」の発祥で「牛天神」の始まりです。撫でるとねがいが叶うと言われており、今日まで多くの人々に信仰されているそうです。また、ガーゼを境内のお水で濡らし、ねがい牛の口元に触って気を入れ、ビニール袋などに入れて持ち帰り、寝る際に枕の下に入れると、2つの願いが叶うと言われています。「ねがい牛」をよく見ると眠った牛の姿に似ていることも、「牛石」と呼ばれる理由です。石の左側が口元で、線状のくぼみが、とじた瞳になっています。「社殿」に参拝する前に、「御神木」、「牛石」、「ねがい牛」などにいろいろとお願いしてしまい、何をお願いしていいか迷ってしまいましたがシンプルに健康第一を願いました。
「社殿」の参拝を終え、左隣にある境内社の「太田神社」と「高木神社」も参拝しました。
「太田神社」と「高木神社」は、芸能の神「天鈿女命」と道の神「猿田彦命」の御夫婦と「宇迦御魂命」を祀っています。芸能上達、開運招福のご利益があるとされています。
小さい神社ながら見どころの多い神社でした。次に、来る途中にあった「西岸寺」と「常泉院」に立ち寄り、帰路に着こうと思っています。
01_【「牛天神北野神社」の一口メモ】
⑴ 所在地…〒112-0003 東京都文京区春日1丁目5−2 電話:03-3812-1862
⑵ 御祭神…「菅原道真」
02_【「牛天神北野神社」へのアクセス】
⑴ 電車を利用した場合
① 東京メトロ丸の内線・南北線「後楽園駅」1番出口から徒歩9分650m
② 都営地下鉄大江戸線・三田線「後楽園駅」出口から徒歩10分700m
⑵ バスを利用した場合
① [錦糸町駅前(北口)] ⇒[大塚駅前]≪都営バス:都02≫
・バス乗り場:「錦糸町駅前(北口)」(1番のりば)
・30停留所目(「茗荷谷駅前」の次の停留所) 所要時間約33分
・9時から17時の間に1時間平均6便~10便
・「富坂上」停留所で下車し「牛天神北野神社」まで徒歩5分350m
② [大塚駅前] ⇒[錦糸町駅前(北口)]≪都営バス:都02≫
・バス乗り場:「錦糸町駅前(北口)」(1番のりば)
・11停留所目(「伝通院前」の次の停留所) 所要時間約17分
・9時から17時の間に1時間平均6便~10便
・「富坂上」停留所で下車し「牛天神北野神社」まで徒歩5分350m
③ [池袋駅東口] ⇒[東京ドームシティー]≪都営バス:都02乙≫
・バス乗り場:「池袋駅東口」(5番のりば)
・14停留所目(「伝通院前」の次の停留所) 所要時間約18分
・9時から17時の間に1時間平均1便~3便
・「富坂上」停留所で下車し「牛天神北野神社」まで徒歩5分350m
④ [東京ドームシティー] ⇒[池袋駅東口]≪都営バス:都02乙≫
・バス乗り場:「池袋駅東口」(1番のりば)
・2停留所目(「春日駅前」の次の停留所) 所要時間約3分
・9時から17時の間に1時間平均1便~3便
・「富坂上」停留所で下車し「牛天神北野神社」まで徒歩5分350m
⑤ [小滝橋車庫前] ⇒[上野公園]≪都営バス:上69≫
・バス乗り場:「小滝橋車庫」(東京都交通局小滝橋自動車営業所)
・18停留所目(「伝通院前」の次の停留所) 所要時間約27分
・9時から17時の間に1時間平均4便
・「富坂上」停留所で下車し「牛天神北野神社」まで徒歩5分350m
⑥ [上野公園] ⇒[小滝橋車庫前]≪都営バス:上69≫
・バス乗り場:「上野公園」(13番のりば)
・6停留所目(「春日駅前」の次の停留所) 所要時間約11分
・9時から17時の間に1時間平均4便
・「富坂上」停留所で下車し「牛天神北野神社」まで徒歩5分350m
03_【「牛天神北野神社」の見どころ】
⑴ 「ねがい牛」
「菅原道真」は、生前大変牛を可愛がられたことでも知られています。「牛天神北野神社」境内にある「なで石」(自然石)は、「源頼朝」が元暦元年(1184年)の奥州へ東征の途中、この地に休んだときに、夢の中に牛に乗られた「菅原道真」が現れ、願いが叶うことを告げられました。武運満足の後は社を営むべしとあり、夢から覚めると牛の形をした石があった。その後、頼家が生まれ、平氏を西に追うことができたそうです。その後、ここにあった牛に似た石を御神体とし、大宰府天満宮より御魂を勧請されたと伝えられているそうです。これが「撫で岩」の発祥で「牛天神」の始まりです。撫でるとねがいが叶うと言われており、今日まで多くの人々に信仰されているそうです。また、ガーゼを境内のお水で濡らし、ねがい牛の口元に触って気を入れ、ビニール袋などに入れて持ち帰り、寝る際に枕の下に入れると、2つの願いが叶うと言われています。「ねがい牛」をよく見ると眠った牛の姿に似ていることも、「牛石」と呼ばれる理由です。石の左側が口元で、線状のくぼみが、とじた瞳になっています。
⑵ 「牛石」
この「牛石」は、「伯牛」と呼ばれ、天神様をお祀りしているすべての神社にあります。
⑶ 「御神木」
「御神木」は、樹齢100年超の「木斛」(もっこく)で境内のほぼ中央あります。真剣に心をこめてお願いすると必ず願いが叶うといわれています。
⑷ 「筆塚」
「筆塚」は、字が上手になりますようにと、使用した筆又は、ペン等を納めていただくものです。
⑸ 「手水舎」
「牛天神北野神社」の「手水舎」は、平成14年(2002年)に「菅公昇神1100年」を記念して、氏子、崇敬者より奉納されたものだそうです。この「手水舎」の屋根や柱には備前の木を、「鉢」と「花びら」には御影石を使用し、宮大工と彫刻家「石田榮」の手によって造営された手水舎です。暗くなるとライトアップされ、とても神秘的な雰囲気を漂わせているそうです。
⑹ 「中島歌子の歌碑」
「中島歌子の歌碑」は、歌子の死後、明治42年(1909年)に門下生によって建立されました。歌碑には、「雪のうちに 根ざしかためて 若竹の 生出むとしの 光をぞ思ふ」と刻まれています。その意味は、「雪の降り積もった中で、深く根を入れている若竹が、すくすくと光り輝いて伸びている」ということだそうです。ちなみに、「中島歌子」は、安藤坂の歌塾「萩の舎」の塾主でした。門下には、「梨本宮妃」、「鍋島侯夫人」や、「前田侯夫人」など、上流、中流層の婦人1,000余人がいました。「樋口一葉」、「三宅花圃」らは、その門弟でした。
⑺ 境内社「太田神社」と「高木神社」
「太田神社」と「高木神社」は、「牛天神北野神社」の境内にあり、芸能の神「天鈿女命」と道の神「猿田彦命」の御夫婦と「宇迦御魂命」を祀っています。芸能上達、開運招福のご利益があるとされています。境内の「太田神社」は、かつて貧乏神といわれる「黒闇天女」を祀っていました。小石川にある旗本が住んでいて、不幸はなくとも貧乏であったが、ある晩夢の中に貧乏神が現れ、「長い間居心地がいいのでこの家にいたが、このたびよそへ移ることにした。赤飯と油揚げを供えて祀れば礼として福徳を授ける。」と言ったそうです。その通りにすると万事よいことづくめで豊かになりました。この話を瓦版に載せたところ、旗本の邸内にあった「太田神社」に、多くの人が訪れるようになったそうです。その後も参拝の人が途切れることが亡くなったので、「太田神社」は旗本邸内から場所を移すことに。「北野神社」内で祀られるようになりました。1日、15日、25日には行列ができるほど江戸庶民に信仰され、現在も赤飯・油あげが供えられているそうです。そして、旗本は神像を彫り牛天神に納めたといわれています。
「牛天神北野神社」の歴史と概要を紐解いてみると、「牛天神北野神社」は、元暦元年(1184年)に「源頼朝」によって創建されました。その契機となったのは、鎌倉時代に、「源頼朝」が当地にあった岩に腰掛け休息したとき、夢に牛に乗った「菅原道真」が現れ「二つの喜びがある」と告げられました。そして、武運満足の後は社を営むべしとのお告げがあり、夢から覚めると牛の形をした石がありました。その後、「頼家」が生まれ、「平氏」を西に追うことができ戦にも勝利しました。「源頼朝」は、報恩感謝でこの岩を祀り「牛天神」を創建しました。それ以来、境内にある牛の形をした岩を撫でると願いが叶うといわれ、撫で岩の発祥となりました。御祭神は、学問の神様として有名な天神様「菅原道真」です。
《「牛天神北野神社」のお薦め順路》
①「お御籤掛け」、「絵馬掛け」、「文海堂號山先生の碑」⇒②「手水舎」⇒③「御神木」の「木斛」⇒
④「中島歌子の歌碑」、「筆塚」⇒⑤「水戸光圀公」が奉納した「狛犬」⇒⑥「牛石」⇒
⑦「ねがい牛」⇒⑧「社殿」⇒⑨境内社の「太田神社」と「高木神社」
それでは早速「牛天神北野神社」を参拝したいと思います。神社の入口には、「北野神社」の社柱碑が右手にあり、その後ろには梅鉢紋が刻まれた「神門」があります。その先の石段には、「北野神社」と別名である「牛天神」と描かれた幟が階段の両側に等間隔で配置されています。そして、その先は境内までは、木々がトンネルのようになった急勾配の階段があります。森林浴しているような緑に囲まれた素敵な参道です。
息を切らして頂上の「石鳥居」をくぐると、左手に御朱印やお守りなどを頂ける「授与所」と境内社である「太田神社」と「高木神社」、正面には牛の形でくり抜いた珍しい「お御籤掛け」と「絵馬掛け」があり、その真ん中に「文海堂號山先生の碑」と刻まれた石碑もありました。
そして、「絵馬掛け」の先に進むと、「手水舎」があります。「牛天神北野神社」の「手水舎」は、平成14年(2002年)に「菅公昇神1100年」を記念して、氏子、崇敬者より奉納されたものだそうです。この「手水舎」の屋根や柱には備前の木を、「鉢」と「花びら」には御影石を使用し、宮大工と彫刻家「石田榮」の手によって造営された手水舎です。暗くなるとライトアップされ、とても神秘的な雰囲気を漂わせているそうです。
「手水舎」の反対側には、「御神木」の樹齢100年超の「木斛」が境内のほぼ中央あります。真剣に心をこめてお願いすると必ず願いが叶うといわれています。
「御神木」の奥には、「中島歌子の歌碑」と「筆塚」が境内の一角に展示してあります。「中島歌子の歌碑」は、歌子の死後、明治42年(1909年)に門下生によって建立されました。歌碑には、「雪のうちに 根ざしかためて 若竹の 生出むとしの 光をぞ思ふ」と刻まれています。その意味は、「雪の降り積もった中で、深く根を入れている若竹が、すくすくと光り輝いて伸びている」ということだそうです。「筆塚」は、字が上手になりますようにと、使用した筆又は、ペン等を納めていただくものです。
さて、いよいよ「社殿」へと向かいます。「社殿」の手前にある石鳥居の前には、「狛犬」が邪気を寄せ付けないために睨みをきかせています。なんとこの「狛犬」は、「水戸光圀公」が奉納したそうです。そして、さらに進むと「社殿」の手前に、「牛石」があります。この「牛石」は、「伯牛」と呼ばれ、天神様をお祀りしているすべての神社にあるそうです。
「社殿」に向かって左手の「牛石」の左側には、「ねがい牛」があります。「ねがい牛」は、境内にある「なで石」(自然石)で、「源頼朝」が元暦元年(1184年)の奥州へ東征の途中に、この地に休んだときに、夢の中に牛に乗られた「菅原道真」が現れ、願いが叶うことを告げられました。武運満足の後は社を営むべしとあり、夢から覚めると牛の形をした石があったそうです。そして、頼家が生まれ、平氏を西に追うことができたそうです。その後、ここにあった牛に似た石を御神体とし、「大宰府天満宮」より御魂を勧請されたと伝えられているそうです。これが「撫で岩」の発祥で「牛天神」の始まりです。撫でるとねがいが叶うと言われており、今日まで多くの人々に信仰されているそうです。また、ガーゼを境内のお水で濡らし、ねがい牛の口元に触って気を入れ、ビニール袋などに入れて持ち帰り、寝る際に枕の下に入れると、2つの願いが叶うと言われています。「ねがい牛」をよく見ると眠った牛の姿に似ていることも、「牛石」と呼ばれる理由です。石の左側が口元で、線状のくぼみが、とじた瞳になっています。「社殿」に参拝する前に、「御神木」、「牛石」、「ねがい牛」などにいろいろとお願いしてしまい、何をお願いしていいか迷ってしまいましたがシンプルに健康第一を願いました。
「社殿」の参拝を終え、左隣にある境内社の「太田神社」と「高木神社」も参拝しました。
「太田神社」と「高木神社」は、芸能の神「天鈿女命」と道の神「猿田彦命」の御夫婦と「宇迦御魂命」を祀っています。芸能上達、開運招福のご利益があるとされています。
小さい神社ながら見どころの多い神社でした。次に、来る途中にあった「西岸寺」と「常泉院」に立ち寄り、帰路に着こうと思っています。
01_【「牛天神北野神社」の一口メモ】
⑴ 所在地…〒112-0003 東京都文京区春日1丁目5−2 電話:03-3812-1862
⑵ 御祭神…「菅原道真」
02_【「牛天神北野神社」へのアクセス】
⑴ 電車を利用した場合
① 東京メトロ丸の内線・南北線「後楽園駅」1番出口から徒歩9分650m
② 都営地下鉄大江戸線・三田線「後楽園駅」出口から徒歩10分700m
⑵ バスを利用した場合
① [錦糸町駅前(北口)] ⇒[大塚駅前]≪都営バス:都02≫
・バス乗り場:「錦糸町駅前(北口)」(1番のりば)
・30停留所目(「茗荷谷駅前」の次の停留所) 所要時間約33分
・9時から17時の間に1時間平均6便~10便
・「富坂上」停留所で下車し「牛天神北野神社」まで徒歩5分350m
② [大塚駅前] ⇒[錦糸町駅前(北口)]≪都営バス:都02≫
・バス乗り場:「錦糸町駅前(北口)」(1番のりば)
・11停留所目(「伝通院前」の次の停留所) 所要時間約17分
・9時から17時の間に1時間平均6便~10便
・「富坂上」停留所で下車し「牛天神北野神社」まで徒歩5分350m
③ [池袋駅東口] ⇒[東京ドームシティー]≪都営バス:都02乙≫
・バス乗り場:「池袋駅東口」(5番のりば)
・14停留所目(「伝通院前」の次の停留所) 所要時間約18分
・9時から17時の間に1時間平均1便~3便
・「富坂上」停留所で下車し「牛天神北野神社」まで徒歩5分350m
④ [東京ドームシティー] ⇒[池袋駅東口]≪都営バス:都02乙≫
・バス乗り場:「池袋駅東口」(1番のりば)
・2停留所目(「春日駅前」の次の停留所) 所要時間約3分
・9時から17時の間に1時間平均1便~3便
・「富坂上」停留所で下車し「牛天神北野神社」まで徒歩5分350m
⑤ [小滝橋車庫前] ⇒[上野公園]≪都営バス:上69≫
・バス乗り場:「小滝橋車庫」(東京都交通局小滝橋自動車営業所)
・18停留所目(「伝通院前」の次の停留所) 所要時間約27分
・9時から17時の間に1時間平均4便
・「富坂上」停留所で下車し「牛天神北野神社」まで徒歩5分350m
⑥ [上野公園] ⇒[小滝橋車庫前]≪都営バス:上69≫
・バス乗り場:「上野公園」(13番のりば)
・6停留所目(「春日駅前」の次の停留所) 所要時間約11分
・9時から17時の間に1時間平均4便
・「富坂上」停留所で下車し「牛天神北野神社」まで徒歩5分350m
03_【「牛天神北野神社」の見どころ】
⑴ 「ねがい牛」
「菅原道真」は、生前大変牛を可愛がられたことでも知られています。「牛天神北野神社」境内にある「なで石」(自然石)は、「源頼朝」が元暦元年(1184年)の奥州へ東征の途中、この地に休んだときに、夢の中に牛に乗られた「菅原道真」が現れ、願いが叶うことを告げられました。武運満足の後は社を営むべしとあり、夢から覚めると牛の形をした石があった。その後、頼家が生まれ、平氏を西に追うことができたそうです。その後、ここにあった牛に似た石を御神体とし、大宰府天満宮より御魂を勧請されたと伝えられているそうです。これが「撫で岩」の発祥で「牛天神」の始まりです。撫でるとねがいが叶うと言われており、今日まで多くの人々に信仰されているそうです。また、ガーゼを境内のお水で濡らし、ねがい牛の口元に触って気を入れ、ビニール袋などに入れて持ち帰り、寝る際に枕の下に入れると、2つの願いが叶うと言われています。「ねがい牛」をよく見ると眠った牛の姿に似ていることも、「牛石」と呼ばれる理由です。石の左側が口元で、線状のくぼみが、とじた瞳になっています。
⑵ 「牛石」
この「牛石」は、「伯牛」と呼ばれ、天神様をお祀りしているすべての神社にあります。
⑶ 「御神木」
「御神木」は、樹齢100年超の「木斛」(もっこく)で境内のほぼ中央あります。真剣に心をこめてお願いすると必ず願いが叶うといわれています。
⑷ 「筆塚」
「筆塚」は、字が上手になりますようにと、使用した筆又は、ペン等を納めていただくものです。
⑸ 「手水舎」
「牛天神北野神社」の「手水舎」は、平成14年(2002年)に「菅公昇神1100年」を記念して、氏子、崇敬者より奉納されたものだそうです。この「手水舎」の屋根や柱には備前の木を、「鉢」と「花びら」には御影石を使用し、宮大工と彫刻家「石田榮」の手によって造営された手水舎です。暗くなるとライトアップされ、とても神秘的な雰囲気を漂わせているそうです。
⑹ 「中島歌子の歌碑」
「中島歌子の歌碑」は、歌子の死後、明治42年(1909年)に門下生によって建立されました。歌碑には、「雪のうちに 根ざしかためて 若竹の 生出むとしの 光をぞ思ふ」と刻まれています。その意味は、「雪の降り積もった中で、深く根を入れている若竹が、すくすくと光り輝いて伸びている」ということだそうです。ちなみに、「中島歌子」は、安藤坂の歌塾「萩の舎」の塾主でした。門下には、「梨本宮妃」、「鍋島侯夫人」や、「前田侯夫人」など、上流、中流層の婦人1,000余人がいました。「樋口一葉」、「三宅花圃」らは、その門弟でした。
⑺ 境内社「太田神社」と「高木神社」
「太田神社」と「高木神社」は、「牛天神北野神社」の境内にあり、芸能の神「天鈿女命」と道の神「猿田彦命」の御夫婦と「宇迦御魂命」を祀っています。芸能上達、開運招福のご利益があるとされています。境内の「太田神社」は、かつて貧乏神といわれる「黒闇天女」を祀っていました。小石川にある旗本が住んでいて、不幸はなくとも貧乏であったが、ある晩夢の中に貧乏神が現れ、「長い間居心地がいいのでこの家にいたが、このたびよそへ移ることにした。赤飯と油揚げを供えて祀れば礼として福徳を授ける。」と言ったそうです。その通りにすると万事よいことづくめで豊かになりました。この話を瓦版に載せたところ、旗本の邸内にあった「太田神社」に、多くの人が訪れるようになったそうです。その後も参拝の人が途切れることが亡くなったので、「太田神社」は旗本邸内から場所を移すことに。「北野神社」内で祀られるようになりました。1日、15日、25日には行列ができるほど江戸庶民に信仰され、現在も赤飯・油あげが供えられているそうです。そして、旗本は神像を彫り牛天神に納めたといわれています。
投稿日:2023年12月28日
この口コミはTripadvisor LLCのものではなく、メンバー個人の主観的な意見です。 トリップアドバイザーでは、投稿された口コミの確認を行っています。
みるく733851
枚方市, 大阪府5,339件の投稿
2022年6月
後楽園駅から歩いて10分くらいです。源頼朝が創建したと伝えられています。頼朝が座ったといわれる大きな石は「ねがい牛」として祀られています。境内はそれほど大きくありません。
投稿日:2022年6月25日
この口コミはTripadvisor LLCのものではなく、メンバー個人の主観的な意見です。 トリップアドバイザーでは、投稿された口コミの確認を行っています。
ちょこぼーる
11,040件の投稿
2019年12月 • 一人
文京区の天神様である北野神社。境内は小さく、本殿の他にも2つほど境内社がある。入り口に石牛があり、大きな御神木、撫で石という手で触れて撫でると願いが叶う石があります。中央大学の横から細い道を進むと坂を上がらなくて済みます
投稿日:2019年12月27日
この口コミはTripadvisor LLCのものではなく、メンバー個人の主観的な意見です。 トリップアドバイザーでは、投稿された口コミの確認を行っています。
shirojiro
埼玉県3,254件の投稿
2019年4月 • 友達
後楽園の駅から行きました。住宅街の高台にあります。社殿のまえに鎮座するおおきな撫で牛をなでると御利益があるということです。境内社として芸能の神様を祭る太田神社と高田神社、また近くの安藤坂にあった歌塾「萩の舎」の塾主であった中島歌子の歌碑があります。小さいながら歴史を感じた神社でした。
投稿日:2019年8月5日
この口コミはTripadvisor LLCのものではなく、メンバー個人の主観的な意見です。 トリップアドバイザーでは、投稿された口コミの確認を行っています。
norinori-san
新宿区, 東京都7,623件の投稿
2018年10月 • 一人
牛天神境内にある、なで石(自然石)は、源頼朝公が奥州へ東征の途中、此の地に休まれたとき、夢の中に牛に乗られた菅原道真公が現れ、願いが叶うことを告げられました。その後、ここにあった牛に似た石を御神体とされ、大宰府天満宮より御魂を勧請されたと伝えられており、これが撫で岩の発祥で牛天神の始まりです。(牛天神社と呼ばれていました。)撫でるとねがいが叶うと言われており、今日まで多くの人々に信仰されております。
投稿日:2018年10月26日
この口コミはTripadvisor LLCのものではなく、メンバー個人の主観的な意見です。 トリップアドバイザーでは、投稿された口コミの確認を行っています。
goofy555
658件の投稿
2018年6月 • 一人
文京区春日にある神社ですが、JR飯田橋駅から徒歩12~13分の距離にあります。水道橋駅からでもあまり変わらないと思います。菅原道真公を祀った神社ですが、かの源頼朝が腰かけた石が願い牛(撫で岩)として、本殿の近くに鎮座しています。夏越のはらえの茅の輪が本殿入り口に設置されていて、八の字にくぐるとご利益があるそうです。
投稿日:2018年7月8日
この口コミはTripadvisor LLCのものではなく、メンバー個人の主観的な意見です。 トリップアドバイザーでは、投稿された口コミの確認を行っています。
このツアー/アクティビティへの質問はありません
*売り切れ必至: Viatorの予約データおよび催行会社からの過去30日間の情報より、この体験はトリップアドバイザーグループのViatorで売り切れとなることが見込まれます。
このトリップアドバイザーの掲載ページは貴社の情報ですか?
この施設を所有または管理していますか?オーナーとして登録されると、口コミへの返信や貴施設のプロフィールの更新など、活用の幅がぐんと広がります。登録は無料です。
掲載ページに登録