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湯田中駅から歩くと約25分と結構掛りますが、泊まりで来ているのであれば散歩がてらに良いと思います。 また、車でも狭い道を100m程走りますが駐車場まで辿り着けます。 「世界平和観音」というとメジャーなのは淡路島の個人が建て、今では廃墟の様になってしまっている所が思い浮かびますが、こちらはシッカリとした由緒のものです。 寺でいう所の本堂のような場所「大悲殿」というものがあり、参拝料200円で中に案内してくれます。(私の時は寺の方か近隣のボランティアの方か判りませんが、一緒に同行して案内してくれる人がいました) その話を要約すると 元々は昭和13年に愛知の名人・山田山光氏が高さ33mの護国観音を建設し、地元の人々の自慢のシンボルとなり、観音内部はらせん階段で顔の部分まで昇れ、鼻の穴から外が見えたと言います。 しかし、6年後の昭和19年に戦争の激化から政府より金属供出の指令が出て解体を命じられてしまいます。 村の代表者数名が免除を求め、東京の軍司令部まで行くが、結局ダメで護国観音は解体されてしまいます。 その際に等身大の本尊は4人がかりで運び、内部に展示してた西国三十三番札所の各所の写し本尊(似せて作った生き写しの様なもの)と共に別の場所へ隠したと云われ、今の大悲殿の中で見ることが出来ます。 今の平和観音は昭和39年に残っていた台座の上に再建されたものです。 西国三十三番札所の写し本尊は山田山光氏が各札所を巡って開眼供養をしたと云われ、初代の護国観音、2代目の平和観音の開眼供養は長野の善光寺の住職が行っていて平和観音は善光寺の方角を見ているそうです。 台座の下に入るあたりも善光寺の影響なのかもしれません。 素朴な疑問として西国三十三番札所の写し本尊を各札所を巡って開眼供養をする際は ①結構な数の写し本尊を纏めて山田氏+数名で運び各札所を巡って開眼供養をした (何に入れてどんな運び方をしたんだろう?10体とか20体を運ぶ集団って…) ②数体ずつ写し本尊を山田氏が運び、各札所で開眼供養をする、を繰り返した ③1ヶ所ずつ丁寧に周り、何度も長野と各地を往復した のどれなんだろう?と思いましたが、厳かな雰囲気の中では罰当たりな質問になりそうで聞くことが出来ませんでした。。。 次に行く勇者に「真実」を委ねたいと思います。…
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訪問時期:2018年10月
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前日宿泊した旅館の窓から見えたので予備知識もなく見に行きました 入園、駐車場共無料です 建物内は有料 遠くから見てもインパクトがあります 近くで見るとパワーを感じます 丘の上にあるので車で行った方が良いと思います
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訪問時期:2017年10月
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湯田中温泉からはやや距離があります。駅から車で10分ほどの小高いところに、大きな観音様が建っていました。高さは25メートルもあるということで、想像以上の迫力があって見ごたえがありました。隠れたパワースポットとでもいえるのでしょうか。なかなかおすすめです。
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訪問時期:2017年7月
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+1
湯田中駅から少し歩きます。観音様は外から拝見できますが、内部には200円を払えば入れます。御朱印もいただけます。中にはご本尊や大太鼓があります。現在の観音様は2代目で、初代の観音様は建てられた後、6年で台座を残したまま大東亜戦争の物資として回収されたそうです。現存している小さいサイズの黒い観音様だけは、地域の人が隠して難を逃れたとか。結局、終戦間際の次期で初代も溶かされなかったそうですが、戦後の混乱で行方不明になったそうです。観音様の台座下には四国三十三箇所の写し本尊が安置されおり、さらに地下は回廊が作られていて一周できます。また、長野県からの満蒙開拓団の方や戦争で亡くなられたり、シベリア抑留で亡くなられた方のご供養もされています。こちらから一茶の散歩道という湯田中駅近くまでの山道(20分程度のハイキングコース)があります。山道の途中では一茶の句碑があったり、一茶のブロンズ像と小屋があります。本当に山道で行きづらいです。…
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訪問時期:2017年5月
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