2002 FIFAワールドカップ デンマーク和歌山キャンプ記念碑
2002 FIFAワールドカップ デンマーク和歌山キャンプ記念碑
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スーパービュー踊り子
新宿区, 東京都15,782件の投稿
2019年11月
紀三井寺陸上競技場の入口、道路沿いに建つ小さな記念碑です。2002年のワールドカップでデンマークチームが和歌山でキャンプを張った記念です。
投稿日:2019年11月30日
この口コミはTripadvisor LLCのものではなく、メンバー個人の主観的な意見です。 トリップアドバイザーでは、投稿された口コミの確認を行っています。
yusuketta
習志野市, 千葉県1,716件の投稿
2016年1月 • 一人
2002年ワールドカップでデンマーク代表がキャンプをこの地にはったことを記念する碑があります。当時のデンマーク代表にはラウドルップ選手が主力だったのでデンマークメディアも多数駆けつけ、和歌山での交流も進んだんじゃないかと思います。
投稿日:2016年4月10日
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yoshimune-kun
和歌山市, 和歌山県273件の投稿
2015年10月 • 一人
2002年の「日韓ワールドカップサッカー」では、デンマーク・ナショナルチームが和歌山でキャンプを行いました。
実は、その決定にあたっては、ひとりのデンマーク人の勇気ある行動と、その恩をいつまでも忘れない和歌山の人々の「想い」が後押しをしたのではないかと言われています。
昭和32年2月10日午後9時40分頃、名古屋から神戸へ向かっていたデンマークの貨物船「エレン・マースク号」は、和歌山県美浜町の日ノ岬(ひのみさき)沖を航行中に、機帆船「高砂丸」が炎上しているのを発見しました。
早速マースク号は救命艇を下ろして救助に向かいましたが、当日は風速20メートルを越す風が吹く大荒れの天候で、救命艇ばかりかマースク号さえも危険にさらされる状態となってしまいました。やむなくマースク号は救命艇を回収し、直接高砂丸に近づいて乗員を救助することを決めました。その時高砂丸に残っていた船員はただ一人だけとなっていましたが、彼はマースク号から投げられた綱を頼りに海に入り、やっとの思いでマースク号の綱ハシゴにたどり着くことができました。
ところが、あと少しで船上にたどりつくというまさにその時、船員は力尽きて海へと転落してしまったのです。
その瞬間、船上で彼の様子を見守っていたヨハネス・クヌッセンという名の機関長が、一瞬のためらいも見せずに救命ベルトを締めて海に飛び込んでいきました。クヌッセン機関長は必死で救命ブイを船員に渡そうとしますが、荒れ狂う海の中では思うに任せず、ついに2人の姿は波間に消え、見えなくなってしまいました。
マースク号では急遽救命艇を出動させたものの、激しい波でエンジンが壊れて沈んでしまい、救助は断念せざるを得なくなってしまいました。
翌朝、クヌッセン機関長の遺体とマースク号の救命艇は日高町の田杭港周辺で発見されました。クヌッセン機関長の勇気ある行動を聞いた地元の人たちは一同に驚き「あの嵐の中で日本の船員を助けるために海に飛び込むなど、人間のできることではない。この人は神様だ!」と流れる涙をこぶしでぬぐいながらひざまづき、その手はいつのまにか合掌に変わっていった・・・と伝えられています。
この勇気ある行動は、当時、日本全国で大きな話題となり、日本政府から勲章(勲五等双光旭日章)が贈られることになりました。
その後、遺体が漂着した日高町田杭地区には「クヌッセン機関長遺骸発見の地」と記された供養塔が建てられるとともに、同時に発見された救命艇が保存されていて、今も地域の人々によって守られています。
また、美浜町の日ノ岬には、クヌッセン機関長の顕彰碑と胸像が建てられており、「クヌッセンの丘」として毎年2月には慰霊行事が行われています。
それから45年後、この和歌山でデンマークのワールドカップキャンプが実現したことは、こうした歴史と無関係ではないと思います。
最近は、メディアに取り上げられることも少なくなり、ご存知の方が少なくなってきたのかもしれませんが、日本とデンマークを結ぶ感動の物語が和歌山にあったということは多くの方々に知っていただきたいものです。
実は、その決定にあたっては、ひとりのデンマーク人の勇気ある行動と、その恩をいつまでも忘れない和歌山の人々の「想い」が後押しをしたのではないかと言われています。
昭和32年2月10日午後9時40分頃、名古屋から神戸へ向かっていたデンマークの貨物船「エレン・マースク号」は、和歌山県美浜町の日ノ岬(ひのみさき)沖を航行中に、機帆船「高砂丸」が炎上しているのを発見しました。
早速マースク号は救命艇を下ろして救助に向かいましたが、当日は風速20メートルを越す風が吹く大荒れの天候で、救命艇ばかりかマースク号さえも危険にさらされる状態となってしまいました。やむなくマースク号は救命艇を回収し、直接高砂丸に近づいて乗員を救助することを決めました。その時高砂丸に残っていた船員はただ一人だけとなっていましたが、彼はマースク号から投げられた綱を頼りに海に入り、やっとの思いでマースク号の綱ハシゴにたどり着くことができました。
ところが、あと少しで船上にたどりつくというまさにその時、船員は力尽きて海へと転落してしまったのです。
その瞬間、船上で彼の様子を見守っていたヨハネス・クヌッセンという名の機関長が、一瞬のためらいも見せずに救命ベルトを締めて海に飛び込んでいきました。クヌッセン機関長は必死で救命ブイを船員に渡そうとしますが、荒れ狂う海の中では思うに任せず、ついに2人の姿は波間に消え、見えなくなってしまいました。
マースク号では急遽救命艇を出動させたものの、激しい波でエンジンが壊れて沈んでしまい、救助は断念せざるを得なくなってしまいました。
翌朝、クヌッセン機関長の遺体とマースク号の救命艇は日高町の田杭港周辺で発見されました。クヌッセン機関長の勇気ある行動を聞いた地元の人たちは一同に驚き「あの嵐の中で日本の船員を助けるために海に飛び込むなど、人間のできることではない。この人は神様だ!」と流れる涙をこぶしでぬぐいながらひざまづき、その手はいつのまにか合掌に変わっていった・・・と伝えられています。
この勇気ある行動は、当時、日本全国で大きな話題となり、日本政府から勲章(勲五等双光旭日章)が贈られることになりました。
その後、遺体が漂着した日高町田杭地区には「クヌッセン機関長遺骸発見の地」と記された供養塔が建てられるとともに、同時に発見された救命艇が保存されていて、今も地域の人々によって守られています。
また、美浜町の日ノ岬には、クヌッセン機関長の顕彰碑と胸像が建てられており、「クヌッセンの丘」として毎年2月には慰霊行事が行われています。
それから45年後、この和歌山でデンマークのワールドカップキャンプが実現したことは、こうした歴史と無関係ではないと思います。
最近は、メディアに取り上げられることも少なくなり、ご存知の方が少なくなってきたのかもしれませんが、日本とデンマークを結ぶ感動の物語が和歌山にあったということは多くの方々に知っていただきたいものです。
投稿日:2015年11月19日
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