京都滞在中に「本能寺の変」で有名な本能寺へ初参拝。本堂は大きく立派でしたが周りにある境内の建物は鉄筋コンクリート構造。 あまり歴史を感じることは出来ませんでしたが境内の裏側には織田信長公にまつわる碑が... 続きを読む
京都滞在中に「本能寺の変」で有名な本能寺へ初参拝。本堂は大きく立派でしたが周りにある境内の建物は鉄筋コンクリート構造。 あまり歴史を感じることは出来ませんでしたが境内の裏側には織田信長公にまつわる碑がありました。
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京都滞在中に「本能寺の変」で有名な本能寺へ初参拝。本堂は大きく立派でしたが周りにある境内の建物は鉄筋コンクリート構造。 あまり歴史を感じることは出来ませんでしたが境内の裏側には織田信長公にまつわる碑がありました。
法華宗本門流の大本山で1415年に日隆上人により創建されました。当初は、本応寺と称していましたが、1433年に六角大宮に移転した際に本能寺と名を改めました。
寺町通りを北上し、御池通りに出る少し手前の右に本能寺の石柱が見えます。ここから中は、本堂をはじめいくつかの塔頭からなる本能寺の境内になります。法華宗本門流の大本山です。「本能寺の変」の舞台として知られていますが、現在の寺院は移転したものだそうです。
京都観光で、前から行きたかった本能寺。 京都市役所前の、寺町通の商店街に入ってすぐありました。 商店街にあることに、ビックリしました。 私が入り口で写真を撮っていると、「えっ?これが、本能寺?あの本能寺?」って、ビックリしている観光客や、修学旅行生が数人いました。...さらに表示
「本能寺の変」当時は別の場所(元本能寺南町)にあり,秀吉によって現在地に移転。御池通から寺町通のアーケードを入ってすぐのところです。総門は,登録有形文化財。本堂右手奥に信長公廟があり,供養塔の下には信長が使っていた刀が眠っているとのこと。
京都市役所から至近の場所にあります。 たまたま宿泊したホテルが近かったこともあり、立ち寄らせてもらいました。 普通に寺社としては立派なお寺です。 是非お立ち寄りされてはいかがでしょうか。
明智光秀が織田信長を襲った本能寺の変は誰もが知っている史実であるが、現在の本能寺ではなかったと初めて聞かされた。当然本能寺の変で焼失しているわけで立て直しをしているわけだが、堀川四条辺りに本能寺があり、焼失後保温能小学校が出来、現在は特別養護老人ホ-ム等になっているらし...さらに表示
織田信長終焉の地はではありませんが、信長公廟があります。信長の三男信孝が本能寺の変のあと豊臣秀吉と明智光秀を討った後、秀吉から現場所をもらい廟を建てたそうです。学生の頃宿坊させてもらいました。
織田信長の最期となった場所です。宗派は、日蓮宗で、訪れた日は、本堂が解放されお参りする事が出来ましたので😌お参りさせて頂きました。賑やかな商店街の中にあるお寺で、不思議な感じですが。。。またお参りに訪れたいと思います。
「タイトルの理由」としてここが信長公が明智光秀に焼き殺された場所ではないのだ。もっと西北にあったのだが、この地に新く建て替えられたのだ。その現場ではないのが発覚してからか参拝客は少ない。京都の神社仏閣で穴場なのかもと思ったので京都人に聞いたら上のように返答があった。信長...さらに表示