酢屋
旅行者の感想
才谷梅太郎
著者:才谷梅太郎
坂本龍馬と海援隊隊士を匿った町屋
2022年10月
河原町三条の一筋南から東へと伸びる「龍馬通り」沿いに店を構える老舗の材木商です。1721(享保6)年にこの地で創業し、初代から「酢屋」という屋号で材木商を営み、初代酢屋嘉兵衛から今日まで承継されています。幕末の6代目・酢屋嘉兵衛の代には、材木業を営む傍ら、幕府に高瀬川の開削の許可を得た角倉家から、伏見から京へと通じる高瀬川の材木独占輸送権を得て運送業も営んでいました。そしてその嘉兵衛の理解もあって、2階には「海援隊京都本部」が置かれ多くの海援隊隊士が匿われ、「寺田屋事件」の後、1867(慶応3)年6月頃からは龍馬自身も2階西側の表通りに面した部屋を住まいとし「才谷梅太郎(さいだにうめたろう)」と名乗っていたそうです。そのことを示す資料として、姉の乙女に宛てた手紙が残されていて、「酢屋」に宿泊している様子が伝えられています。当時の「酢屋」の前は高瀬舟が荷揚げを行う高瀬川の舟入で、伏見・大阪との連絡も取りやすく、また川沿いには諸藩の藩邸が建ち並んでいたことから各藩との折衝にも都合が良く、潜伏先としては最適な場所だったようです。 「酢屋」に入る直前には、長崎から上洛中の藩船で「船中八策」を発案、王政復古を目標として「薩土盟約」が結ばれています。そして「酢屋」滞在中の10月13日、徳川慶喜は二条城で後藤象二郎を含む諸藩重臣に「大政奉還」を諮問。10月14日に朝廷に申入れられ、翌10月15日に勅許が下されています。やがて新選組や見廻り組の情報が入るようになり、危険を感じた龍馬は11月に入り「酢屋」のやや南にある土佐藩邸により近い「近江屋」へ転居。11月15日に中岡慎太郎と一緒のところを見廻り組により襲撃され、1か月後に訪れる明治維新を目にすることなくこの世を去ります。脱藩の後ろめたさのためか、守りの堅い土佐藩邸ではなく町屋に身を隠していたことは残念です。 「近江屋」は現在石碑があるのみであり、また龍馬が以前に定宿としていた伏見の「寺田屋」も「鳥羽伏見の戦い」で焼失したため再建されたレプリカです。「酢屋」は龍馬が滞在していた2階部分は改築されていますが、柱や梁等の材料は当時のものが使用され貴重な遺構となっています。当時は2階から見えたという高瀬川の舟入も現在はビルが建っていて見ることはできませんが、龍馬が向かいの舟入に向けてピストルの試し撃ちをしたと伝わる格子窓などが当時の面影を残しています。入口には「坂本龍馬寓居の跡」の石碑も建てられています。1階は昔のままに銘木全般を専門に取り扱う「千本銘木商会」と、材木商の伝統を受け継ぐ木工芸品の制作・販売を行う「創作木工芸 酢屋」として営業。2階は「ギャラリー龍馬」として公開され、龍馬を含む海援隊の隊士たちの写真や手紙等が展示されていますが、残念ながら写真撮影はできません。 毎年、龍馬の命日には、京都霊山護国神社の「龍馬祭」、近江屋跡での「坂本龍馬・中岡慎太郎慰霊祭」とともに、この「酢屋」においても龍馬を追悼する「酢屋龍馬祭」が行われ、家の前には祭壇が設けられて献杯が行われます。150年以上前新しい日本の国づくりをめざした若者達を思う時、その大きな力に感動を覚えます。

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才谷梅太郎
横浜市, 神奈川県4,428件の投稿
2022年10月 • カップル・夫婦
河原町三条の一筋南から東へと伸びる「龍馬通り」沿いに店を構える老舗の材木商です。1721(享保6)年にこの地で創業し、初代から「酢屋」という屋号で材木商を営み、初代酢屋嘉兵衛から今日まで承継されています。幕末の6代目・酢屋嘉兵衛の代には、材木業を営む傍ら、幕府に高瀬川の開削の許可を得た角倉家から、伏見から京へと通じる高瀬川の材木独占輸送権を得て運送業も営んでいました。そしてその嘉兵衛の理解もあって、2階には「海援隊京都本部」が置かれ多くの海援隊隊士が匿われ、「寺田屋事件」の後、1867(慶応3)年6月頃からは龍馬自身も2階西側の表通りに面した部屋を住まいとし「才谷梅太郎(さいだにうめたろう)」と名乗っていたそうです。そのことを示す資料として、姉の乙女に宛てた手紙が残されていて、「酢屋」に宿泊している様子が伝えられています。当時の「酢屋」の前は高瀬舟が荷揚げを行う高瀬川の舟入で、伏見・大阪との連絡も取りやすく、また川沿いには諸藩の藩邸が建ち並んでいたことから各藩との折衝にも都合が良く、潜伏先としては最適な場所だったようです。
「酢屋」に入る直前には、長崎から上洛中の藩船で「船中八策」を発案、王政復古を目標として「薩土盟約」が結ばれています。そして「酢屋」滞在中の10月13日、徳川慶喜は二条城で後藤象二郎を含む諸藩重臣に「大政奉還」を諮問。10月14日に朝廷に申入れられ、翌10月15日に勅許が下されています。やがて新選組や見廻り組の情報が入るようになり、危険を感じた龍馬は11月に入り「酢屋」のやや南にある土佐藩邸により近い「近江屋」へ転居。11月15日に中岡慎太郎と一緒のところを見廻り組により襲撃され、1か月後に訪れる明治維新を目にすることなくこの世を去ります。脱藩の後ろめたさのためか、守りの堅い土佐藩邸ではなく町屋に身を隠していたことは残念です。
「近江屋」は現在石碑があるのみであり、また龍馬が以前に定宿としていた伏見の「寺田屋」も「鳥羽伏見の戦い」で焼失したため再建されたレプリカです。「酢屋」は龍馬が滞在していた2階部分は改築されていますが、柱や梁等の材料は当時のものが使用され貴重な遺構となっています。当時は2階から見えたという高瀬川の舟入も現在はビルが建っていて見ることはできませんが、龍馬が向かいの舟入に向けてピストルの試し撃ちをしたと伝わる格子窓などが当時の面影を残しています。入口には「坂本龍馬寓居の跡」の石碑も建てられています。1階は昔のままに銘木全般を専門に取り扱う「千本銘木商会」と、材木商の伝統を受け継ぐ木工芸品の制作・販売を行う「創作木工芸 酢屋」として営業。2階は「ギャラリー龍馬」として公開され、龍馬を含む海援隊の隊士たちの写真や手紙等が展示されていますが、残念ながら写真撮影はできません。
毎年、龍馬の命日には、京都霊山護国神社の「龍馬祭」、近江屋跡での「坂本龍馬・中岡慎太郎慰霊祭」とともに、この「酢屋」においても龍馬を追悼する「酢屋龍馬祭」が行われ、家の前には祭壇が設けられて献杯が行われます。150年以上前新しい日本の国づくりをめざした若者達を思う時、その大きな力に感動を覚えます。
投稿日:2023年7月15日
この口コミはTripadvisor LLCのものではなく、メンバー個人の主観的な意見です。 トリップアドバイザーでは、投稿された口コミの確認を行っています。

Meander767454
神戸市, 兵庫県28,180件の投稿
2021年5月
2回目の口コミです。坂本龍馬が仮住居として、海援隊の本部として使っていた竜馬通沿いにある古民家です。近くの「後藤象二郎寓居跡記念ギャラリー」には当時のジオラマが見られます。それによると今の竜馬通りは高瀬川に繋がる川だったので、家屋の前から船に乗れたようです。
投稿日:2021年5月7日
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インテリげんちゃん
岡山市, 岡山県8,365件の投稿
2020年1月
 三条木屋町から一本下った小さな通りを東に入った所にある木工芸・材木店だ。坂本龍馬は1867年4月に亀山社中を海援隊と改称し、6月に京都へ入り、酢屋の2階に海援隊京都本部を置いた。ゆかりの場所だけに2階には「龍馬ギャラリー」が設けられており、姉の乙女に宛てた手紙などが展示されている。薩長同盟をなしとけた龍馬はこの半年後に暗殺されてしまうかと思うと、最後の1年間の濃さのようなものが納得できた。
投稿日:2020年3月13日
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豊田牧師
白井市, 千葉県10,016件の投稿
2019年7月 • 一人
坂本龍馬の潜伏場所だった材木屋さん。海援隊の京都事務所、船中八策を書いたともいわれる場所で、そのときから残る柱は彼らの息吹を感じていたのかと思う。景色は変わっても坂本竜馬がこの界隈を歩いたと思うと感慨深い。2階が有料ギャラリーになっている。
投稿日:2019年7月27日
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鮎川しいな
東京1,979件の投稿
2019年2月 • カップル・夫婦
龍馬を匿っていた材木屋が、現在も場所を変えずに営業していて、関連の資料館を併設しています。「京の冬の旅」パンフ提示で入館料が割引になります。
投稿日:2019年2月23日
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ara2106chan
福岡県3,925件の投稿
2018年12月 • カップル・夫婦
高瀬川に架かる大黒橋を渡ればすぐの所にありますが、坂本龍馬の海援隊本部があったところということを知る人は少ないのじゃないでしょうか?龍馬ファンならぜひ立ち寄ってください。創業当時から材木を扱っているお店です。龍馬が投宿していた二階にはギャラリーがあり、龍馬の手紙(複製)、高瀬舟、三十石船なども展示されています。
投稿日:2019年2月5日
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Meander767454
神戸市, 兵庫県28,180件の投稿
2018年9月 • 一人
海援隊の本部が有ったそうですが、「寺田屋」や「近江屋」に比較くしてなんとなくピントしません。今では「ギャラリー 龍馬」として当時の紹介をしているそうです。お好きな人は訪問してみたらいいと思います。
投稿日:2018年9月12日
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とらきのこ
西宮7,156件の投稿
2018年5月 • ファミリー
坂本龍馬が海援隊京都本部を置いて
大政奉還を目指して活動していた材木商の家。今も子孫が町家を構えています。1階はお店、2階はギャラリーです。2階を見るには入場料が必要です。
投稿日:2018年6月11日
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sasshi483
西原町, 沖縄県1,026件の投稿
2018年4月 • 一人
あの坂本龍馬が京都で隠れ家として使っていたとされる家。海援隊の事務所でもあったらしい。河原町界隈にあり商店街にひっそりと建つ。何気なく見逃してしまいそう。正面入口の端に坂本龍馬寓居跡の石碑がそっと立てられている。近くを高瀬川が流れており、それにかかる大黒橋を渡ればすぐだ。龍馬ゆかりの地でもあまり知られていない。
投稿日:2018年4月30日
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bamboo_dragon
kyoto12件の投稿
2017年1月
きれいなお店で、入り口で端材の販売があります。坂本龍馬をテーマにされていますが、廃校になってその建築が評価されて一部保存される近くの立誠小学校も、土佐藩跡地に作られたものでしたね
投稿日:2017年10月15日
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