足立区の名所・有名スポット
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- 口コミ、評価、ページ閲覧数、そしてユーザーの位置情報など、トリップアドバイザーのデータに基づいてランク付けされたアクティビティ。
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- junjun東京都心, 東京都26,400件の投稿足立区の魅力発信の第二十七回目は、足立区の「ギャラクシティ」についての情報を発信していきます。「ギャラクシティ」は、1994年3月に開館しました。西新井文化ホールとこども未来創造館からなる複合文化施設です。「ギャラクシティ」は、東武スカイツリーライン「西新井駅」下車し、東口から徒歩約4分300mの非常に近いところにある子どもたちが遊びながら学ぶことのできる体験型の複合施設です。「ギャラクシティ」には、高さ7.5mもある本格的な「クライミングウォール」、3階建ての高さのある国内最大級の「ネット遊具」、都区内最大のドームを有する「まるちたいけんドーム(プラネタリウム)」等の施設があります。また、子どもの知的好奇心をくすぐるワークショップを毎日開催しています。そして、何と言ってもうれしいのが、大人向けの水曜日夜のプラネタリウム「大人のためのくつろぎタイム」です。夜空に目をやりはるか何千後年先の宇宙を想像してみることもできますよ。まずは、「ギャラクシティ」へのアクセスからスタートします。
≪トリアド・インデックス≫
01_【アクセス】
02_【「ギャラクシティ」の一口メモ】
03_【「ギャラクシティ」の歴史】
04_【「ギャラクシティ施設案内」】
05_【「ギャラクシティ」の見学巡路と訪れてみての感想】
06_【「ギャラクシティ」その周辺紹介】
01_【アクセス】
1 徒歩で「ギャラクシティ」へ:東武スカイツリーライン「西新井駅」下車、東口から徒歩約4分300m
「西新井駅」東口より徒歩約徒歩約4分、300mほどで着きます。「西新井駅」には改札口は一つしかありません。まず改札口を出て左に行き、階段を下りると左側にマックがあります。それを左手に直進して道なりに行くと陸橋下の信号に出ます。(途中に住宅展示場がありますので、間違って入らないようしてください。)横断歩道を渡り120mほど直進すると右手に「ギャラクシティ」入口があります。
2 電車を利用して「ギャラクシティ」へ
⑴ 北千住方面から
「JR常磐線」、「東京メトロ千代田線」、「つくばエクスプレス」の場合は北千住駅で「東武スカイツリーライン」に乗り換えます。「東京メトロ日比谷線」、「半蔵門線」は「東武スカイツリーライン」に直通運転です。
⑵ 草加、越谷方面から
「東武スカイツリーライン」、「東京メトロ日比谷線」を利用します。
02_【「ギャラクシティ」の一口メモ】
⑴ 開館時間:9:00~21:30 ※ 「こども体験エリア」は18:00まで
⑵ 休館日: 毎月第2月曜日(祝日の場合は翌平日、8月を除く)、元日
⑶ 住所:〒123-0842 東京都足立区栗原1-3-1 電話:03-5242-8161
⑷ 入館料:無料
※ ただし、まるちたいけんドーム(プラネタリウム)や一部の体験プログラムは有料です。
① 大人500円、小中高生100円 ※未就学児無料
※席を利用する場合は100円
② 1日券 大人800円、小中高生160円
03_【「ギャラクシティ」の歴史】
「ギャラクシティ」は、1994年3月に開館しました。西新井文化ホールとこども未来創造館からなる複合文化施設です。
04_【「ギャラクシティ施設案内」】
1 一階フロアーにある施設
⑴ 「ギャラクシティすてーしょん」
「ギャラクシティ」のインフォメーションセンター(総合受付案内)です。まるちたいけんドーム(プラネタリウム)の入場券や西新井文化ホールの公演チケット等なども販売しています。小規模ですが宇宙関連に関するおもしろいグッズを取り揃えてあるショップも併設しています。
⑵ 「がんばるウォール」
「がんばるウォール」は大人でも楽しめますが、高さが7.5mもある本格的クライミングウォールなので結構体力がいります。行った当日は子供たちが盛んに「がんばるウォール」に挑戦し、頂上まで到達すると歓喜の声をあげていました。ただし、利用者の安全と楽しく遊べるように利用時間および諸注意が設定されています。
⑶ 「スペースあすれちっく」(【注意】:整理券が必要になります。)
「スペースあすれちっく」は、日本最大級のネット遊具です。その大きさは、直径17m、高さ10m、なんと3階建ての大型ネットです。「整理券」が必要なので、残念ながら中に入ることができませんでした。
⑷ 「クライミングぱーく」(【注意】:整理券が必要になります。)
「クライミングぱーく」は、高さ3m、幅10mのクライミングウォールです。「整理券」が必要なので、残念ながら中に入ることができませんでした。
⑸ 「デジタルきゃんぱす」
「デジタルきゃんぱす」には、「カウンティングバルーン」と「ネオンサッカー」の二種類のデジタルゲームがあります。どちらも体を使って、楽しく遊べます。親子ずれが楽しそうに「ネオンサッカー」を楽しんでいる姿を見ると親子の時間も提供しているという感じです。また、パソコンで遊べる「ギャラクシティゲームコーナー」もありました。 利用時間 9:00~17:30
⑹ 「わくわくデスク」
「わくわくデスク」は、未来のプログラマーやゲームクリエータを目指すための子供がプログラミングの体験をする場所です。キットや、かたむけてゴールをめざす迷路などを借りて体験することができます。「整理券」が必要なので、残念ながら中に入ることができませんでした。 利用時間 9:00~17:30
⑺ 「ホワイトあとりえ」
「ホワイトあとりえ」は、白い床一面がみんなのキャンバスになっていて、好きな絵を自由に思う存分描くことができるスペースです。また、工作やイベントなどのワークショップも開催するそうです。
⑻ 「ものづくりガレージ」
「ものづくりガレージ」、毎日いろいろな工作やワークショップを開催しています。パソコンが各机の上に一台置いてありました。3Dプリンターでも使っていろいろなものを創造するのでしょうか。現代を反映しているハイテクな場所ですね。
⑼ 「ギャラクカフェ」
「ギャラクカフェ」のコンセプトは、「ギャラクシティ」の来場者が半日または一日を快適に過ごすことができるようランチやティーを提供することです。パスタやライスプレート、ドリンクからデザートまで、様々なメニューがあります。もちろん、子供向けのキッズメニューもあります。
① 平日:11:00~15:30(ラストオーダー15:00) ② 土日祝:10:30~16:30(ラストオーダー16:00)
③ 営業日:「ギャラクシティ」に準ずる
⑽ 「とんがりキッチン」
どことなくパリのルーブル美術館を連想させる建物が「ギャラクシティ」の中庭にあります。ここでは、幼児から大人までクッキングを通して広がる体験と交流できる空間です。年間を通してクッキングを楽しめる企画がいっぱいあるそうです。
2 二階フロア―にある施設
⑴ 「ちゃれんじコート」
「ちゃれんじコート」は、人工芝の屋外広場です。車のどの通行を気にせずに安心して思う存分遊べるスペースです。なわとびやフラフープなどの貸出しをする時間もあるそうです。
⑵ 「まるちたいけんドーム」
「まるちたいけんドーム」は、東京23区内最大のプラネタリウムです。ドーム一杯に無数の星空が広がる迫力満天の宇宙を体験できます。 その他、映像作品やプラネタリウムを観ながらコンサートなども楽しむことができるそうです。特に、大人向けの水曜日夜のプラネタリウム「大人のためのくつろぎタイム」もあり、仕事に疲れた体と心をリフレシュすることができますね。「整理券」が必要なので、残念ながら中に入ることができませんでした。
⑶ 「ぷらっとプラネット」
「ぷらっとプラネット」は、その名の通り、誰でもぷらっと立ち寄れる休憩スペースと、宇宙や天文の情報を提供してくれるスペースです。
⑷ 「わーくしょっぷスタジオ」
「わーくしょっぷスタジオ」では、幼児向け、親子向け、子ども向けなど、様々なワークショップを開催しています。靴を脱いで入る部屋のため、幼児も安心して利用できる環境です。
⑸ 「ちびっこガーデン」
「ちびっこガーデン」は、小さな乳幼児が安全に遊べ、子育てに悩んでいる親同士の交流もできるスペースです。ハイハイをしている赤ちゃんでも安心して遊ぶことができます。小さな子供たちの好きな紙芝居や読み聞かせの会も定期的に開催されます。また、絵本やぬいぐるみ、おもちゃも常備され、乳幼児が十分楽しむことができるスペースです。
3 三階フロアー
⑴ 「ギャラクシティふぉーらむ」
「ギャラクシティふぉーらむ」は、定員186名の多目的室です。机と椅子が常備され、研修会、会議など様々な利用が可能です。部屋はパーテーションで2つに分けることができ、それぞれにプロジェクターが備え付けられています。
4 地下二階フロアー
⑴ 「Gがくえんクラブルーム1218」
「Gがくえんクラブルーム1218」は、小中高生が勉強や遊びなど自由に過ごせる場所です。
⑵ 「音楽室」
「音楽室」は、周囲をきにすることなく、音楽演奏の練習ができる部屋です。アンプの貸し出しも行っています。また、誰でも利用することができます。(申込申請が必要)
⑶ 「レクレーションホール」
「レクレーションホール」は、ダンスや会議など様々なカルチャー活動に利用できる空間です。また、誰でも利用することができます。(申込申請が必要)
5 「西新井文化ホール」
「西新井文化ホール」は、音楽のコンサート、落語会や地域の様々カルチャーの発表会などが行われるホールです。まさに、足立区の音楽や文化活動の中心となり、足立から世界へ文化を発信していくホールです。
05_【「ギャラクシティ」の見学巡路と訪れてみての感想】
⑴ 見学巡路(周辺施設も含む)
①:「がんばるウォール」⇒②:「スペースあすれちっく」⇒③:「クライミングぱーく」⇒④:「デジタルきゃんぱす」⇒⑤:「わくわくデスク」⇒⑥:「ものづくりガレージ」⇒⑦:「ホワイトあとりえ」⇒⑧:「まるちたいけんドーム」⇒⑨:「ぷらっとプラネット」等が主な見どころです。
⑵ 「ギャラクシティ」を訪れてみての感想
「ギャラクシティ」は、東武スカイツリーライン「西新井駅」下車し、東口から徒歩約4分300mの非常に近いところにある子どもたちが遊びながら学ぶことのできる体験型の複合施設です。「ギャラクシティ」には、高さ7.5mもある本格的な「クライミングウォール」、3階建ての高さのある国内最大級の「ネット遊具」、都区内最大のドームを有する「まるちたいけんドーム(プラネタリウム)」等の施設があります。また、子どもの知的好奇心をくすぐるワークショップを毎日開催しています。そして、何と言ってもうれしいのが、大人向けの水曜日夜のプラネタリウム「大人のためのくつろぎタイム」です。夜空に目をやりはるか何千後年先の宇宙を想像してみることもできますよ。まず、正面入口を入ると、受付の机があり「検温」、「アルコール消毒」そして「連絡票」に住所、氏名、電話番号を記入して所定投函箱に入れます。これで入場オーケーです。反対側に「がんばるウォール」あります。その他に「スペースあすれちっく」、「クライミングぱーく」、「デジタルきゃんぱす」、「わくわくデスク」、「ものづくりガレージ」、「ホワイトあとりえ」、「まるちたいけんドーム」、「ぷらっとプラネット」等色々なコーナーあります。この中で一番印象に残ったのは、親子の絆を深める「デジタルきゃんぱす」の「ネオンサッカー」でした。親子三人ずれで楽しそうに代わる代わるサッカーの試合をしていました。お父さん対子供、お母さん対子供、父さん対お母さんが楽しそうに、真剣にデジタルゲームを楽しむ姿でした。また、「ストリートピアノ」が館内の通路に置かれていました。5歳くらいの男の子が椅子に座り曲を弾き始めました。これには、驚きと感動を得ました。いずれにしても親子が楽しく一日過ごせるスポットです。プラネタリウムやデジタルゲームでカップルも十分に楽しめると思います。また、事前に各アトラクションの整理券を取ることで、待ち時間などの無駄な時間がなくなるのも便利です待ち時間は、「工作」、「デジタルゲーム」、「まるちたいけんドーム(プラネタリウム:有料)」で時間を有効に活用すれば更に楽しみは倍増します。「整理券」は各アトラクションのところに行くと係員がいるので、人数を伝えて整理券をもらうだけです。「まるちたいけんドーム」以外は、全て無料で楽しむ快適なスポットです。
【整理券が必要なアトラクション】
① 「がんばるウォール」 ② 「クライミングぱーく」 ③ 「スペースあすれちっく」 ④ 「わくわくデスク」 ⑤ 「ホワイトあとりえ」
06_【「ギャラクシティ」その周辺紹介】
⑴ 「マンホール蓋:間柴 対 木村」 所在地:〒123-東京都足立区栗原1-2-1付近
足立区出身の漫画家、森川ジョージ氏が描くボクシング漫画「はじめの一歩」に登場するキャラクターをデザインしたマンホール蓋です。「ギャラクシティ」前に設置したマンホール蓋には、一歩の先輩木村が、日本ジュニアライト級王者・間柴に挑戦した図柄が描かれています。ペットのアロワナがエサを捕る様をヒントに「ドラゴンフィッシュ・ブロー」を開発しチャンプ間柴を追い詰めました。結末やいかに!
⑵ 「ギャラクシティ」の「ときめき未来」 所在地:〒123-東京都足立区栗原1-3-1
「ギャラクシティ」の入口正面に「ときめき未来」という銅像があります。「ギャラクシティ」がオープンした1994年(平成6年)に作られました。作者は、仏像彫刻などで知られる真海徳太郎です。母親が子どもを空に差し上げる伸びやかなポーズは、近くにある「猿仏塚」の民話を意識したものらしい。
⑶ 「猿仏塚」の民話:ちょっと悲しい赤ん坊と猿の物語です。
所在地:〒123-東京都足立区栗原1-4-25 「ギャラクシティ」から徒歩3分、200m
「ギャラクシティ」の裏手に庚申塔が三基並んでいます。行き方はすごく簡単で至近距離にあります。「ギャラクシティ」の正面入り口を出て右方向に進みます。最初の角を右折し、「ギャラクシティ」の建物の沿いに進みます。最初の角を左折すると「猿仏塚」があります。徒歩3分、200mのところにあります。歩いてすぐなので「ギャラクシティ」の帰りにでも立ち寄ってください。ちなみに庚申塔は、庚申待という行事の際に立てられました。庚申待は江戸時代の庶民が60日に一度おとずれる庚申の日に、皆で集まって一晩中酒食を共にする行事のことです。庚申の「申」という字は、「しん」のほかに「さる」とも読み、これは「猿」に通じます。そのことから、「猿仏塚」には、猿に関する悲しい昔話が伝わっています。昔、このあたりの農家に一匹の賢い猿がいました。ある時、農家で寝ていた赤ん坊が急に泣き出しました。猿は、赤ん坊がお風呂に入れてもらうと泣き止むことを知っていたので、湯を沸かして赤ん坊を風呂に入れてあげましたが、熱湯だったため赤ん坊は死んでしまいました。猿に悪気はなかったものの、罪の意識に悩み、食事もとらずに猿は赤ん坊の墓を守り続け、墓前で餓死してしまいました。村人はその猿を憐れんで、「仏になって子どもたちを守っておくれ」と、現在、猿仏塚の立っている場所に手厚く葬ったと伝わっています。後に、猿仏塚は子どもの厄除けとして信仰されるようになり、子どもが病気になると泥団子を供えて願掛けし、治ると米団子を供える風習となったそうです。投稿日:2022年9月10日この口コミはTripadvisor LLCのものではなく、メンバー個人の主観的な意見です。 トリップアドバイザーでは、投稿された口コミの確認を行っています。 - junjun東京都心, 東京都26,400件の投稿足立区の魅力発信の第十三回目は、足立区の「千住大橋」についての情報を発信していきます。「千住大橋」は、隅田川の東京都区部にかかる橋で、国道4号(日光街道)が通っています。北岸は足立区千住橋戸町、南岸は荒川区南千住六丁目で、「旧橋」(下り方向)と新橋(上り方向)の二橋で構成されています。どちらがいいかと言えば、個人的には橋らしい景観をとどめている「旧橋」の方が好きですね。橋の上に架かっている看板も「橋大」と現代の日本語の表記とは逆です。何となく威厳を感じます。今回は、足立区側から眺めた「千住大橋」と荒川区側から眺めた「千住大橋」の姿を捉えてみました。やはり見る角度というか方向の違いによって姿がまるで違って見えます。「旧橋」の上流側に東京都水道局の工業用水道専用橋である千住水管橋がほぼ並行して走っています。その姿もご紹介いたします。まずは、「千住大橋」へのアクセスからスタートします。
≪トリアド・インデックス≫
01_【アクセス】
02_【「千住大橋」の歴史と概要】
03_【「千住大橋」の見学巡路と訪れてみての感想】
04_【「千住大橋」及びその周辺紹介】
01_【アクセス】
1 徒歩で「千住大橋」へ:「北千住駅」西口出口より徒歩19分1.5 km
「北千住駅」には、JR常磐線、東武スカイツリー線、つくばエックスプレス線、東京メトロ日比谷線及び東京メトロ千代田線の5路線が乗り入れしています。西口出口から出て駅前のロータリーを回り、大きな通りが目の前にあります。それが「北千住駅前通り」でそれを100mほど直進します。2つ目の信号の手前に「りそな銀行」があるのでその角を左折し、「千住ほんちょう商店街」大きな門があるので、「千住ほんちょう商店街の通り(旧日光街道)」をそのまま1.3km直進し、「東京都卸売市場足立市場」の前を過ぎればすぐその先に「千住大橋」があります。
★[北千住駅西口] ⇒[千住大橋行]( 北千住駅西側地域循環)≪(株)新日本観光自動車バス:は5号≫
・バス乗り場:「北千住駅西口」(11番のりば)
・7停留所目(「やっちゃ場緑道」の次の停留所) 所要時間約7分
・9時から17時の間に1時間平均1~3便
・「足立市場入口」で下車し「千住大橋」まで徒歩3分200m
⇒バスは「千住宿奥の細道プチテラス」にある停留所に停まるので下車した後、「東京都卸売市場足立市場」の前を通り、バスの進行方向と同じ方向に200mほど進むと左側に「千住大橋」へ到着します。
3 電車を利用して「千住大橋」へ
★京成本線「千住大橋駅」を利用して「東京都卸売市場足立市場」へ 6分450m
「千住大橋駅」の改札口を出て直進すると4号線(日光街道)に突き当たります。それを右折して、340m直進し、一つ目の信号(表示名:千住市場)を渡れば「千住大橋」が目の前にあります。
02_【「千住大橋」の歴史と概要】
⑴ 「千住大橋」の歴史
徳川家康の命をうけた伊奈備前守忠次(いなびぜんのかみただつぐ)が奉行となり、文禄2年(1593)に架橋工事が始められ、翌年完成しました。荒川(当時入間川、現隅田川)に架けられた最初の橋であったために完成当初は「大橋」とよばれ、それまで現在の白鬚橋付近にあった橋場の渡しを経由していた佐倉街道、奥州街道、水戸街道の街道筋が、この橋に移った。江戸幕府は江戸の防備上、隅田川にはこの橋以外の架橋を認めなかったが、後に明暦の大火等もあり交通上、安全上のため両国橋等が完成してから「千住大橋(小塚原橋とも)」と呼ばれるようになりました。完成当初の架橋位置は現在よりも2町(約200から220メートル)上流と記録され、天和4(1684)年に現在の位置に確定されたようです。また、記録に残るだけでも8回の架け替えが行われています。橋杭の部材は記録の時期によりヒノキ・マキ・クスノキなどと記されていますが、部材は一種類ではなくさまざまなものが用いられていました。「千住大橋」には、架橋以来一度も流失していないという伝説がありますが、実はたびたび危機に見舞われ、明和3(1766)年の流失、安永元(1772)年の大破などの記録があります。最後の流失は明治18(1885)年の洪水の時です。その後、昭和2(1927)年に現在のアーチ橋に架け替えられました。さらに交通量の増大にともない、昭和48(1973)年に上り専用橋が増設され上り下りの車線に分離されました。
⑵ 「千住大橋」の概要
「千住大橋」は、隅田川の東京都区部にかかる橋で、国道4号が通っています。北岸は足立区千住橋戸町、南岸は荒川区南千住六丁目で、「旧橋」(下り方向)と新橋(上り方向)の二橋で構成されています。「旧橋」の上流側に東京都水道局の工業用水道専用橋である千住水管橋がほぼ並行しています。「新橋」は南千住交差点をオーバーパス出来る陸橋部が含まれていて、自転車の通行が禁止されており、自転車は両方向とも「旧橋」を通る。歩行者は「旧橋」・「新橋」を両方とも通行できますが、「新橋」は螺旋階段を昇降することになります。
① 「旧橋」の概要
ア 構造形式…鋼タイドアーチ橋 イ 橋長…91.6m ウ 幅員…24.2m エ…竣工 昭和2年(1927年)12月12日
《語句の解説:「タイドアーチ橋」とは》
「タイドアーチ橋」は、アーチの端の基礎への張力によって引き起こされるアーチの外向きの水平力が、それ自体の重力と、大きなアーチサポートなどのデッキ構造全体の要素の等しい張力によって打ち消されるアーチ橋です。アーチは、デッキ構造の強力な部分またはアーチの端の下にある独立したタイロッドにつながる弦を強化しています。
② 「新橋」の概要
ア 構造形式…3径間連続鋼箱桁橋 イ 橋長…502.5m ウ 竣工…昭和48年(1973年)2月
《語句の解説:「桁橋」とは》
桁橋とは、横にかけた橋桁によって橋面を支える方式で作られた橋のことです。
③ 「千住小橋」もあります!
平成16年(2004年)8月に北岸足立区側の橋下をくぐる全長約31m、幅員2.6mの歩行者専用の「千住小橋」が作られました。以前は橋により堤防テラスが東西で分断されていましたが、これにより通過が可能になりました。橋の下ということでホームレス等の侵入・占拠を防ぐ目的として夜間は施錠され閉鎖されていましたが、現在は終日開放されています。「千住小橋」は公園の中を抜け堤防下に降りることができます。堤防下に降りると与謝蕪村による絵、歌川広重の「千住の大はし」の絵や千住大橋にまつわる歴史の説明板など、さながら隠れ家的な青空ギャラリーとなっています。そして、「千住大橋」の下をくぐる「千住小橋」を渡りきると、「御上がり場」の説明板があります。「御上がり場」とは将軍家など高貴な人々が利用していた舟の上がり場のことです。鷹狩りや小菅御殿(現在の東京拘置所付近)に行く際によく利用していたということです。
03_【「千住大橋」の見学巡路と訪れてみての感想】
① 見学巡路(周辺施設も含む)
「千住大橋」のベストスポットは足立区側からの眺めでしょうね。それはどこかと言えば、「東京都卸売市場足立市場」の信号の横断歩道を半分くらい渡った所が「千住大橋」の「旧橋」と「新橋」を一番きれいに見れるスポットですね。上野方面に向かう車、北千住方面に向かう車がひっきりなしに「旧橋」と「新橋」を通行していますが、信号の具合かどうかわかりませんが、一瞬、車の往来がない純粋な「千住大橋」だけの風景を見ることもできます。ただし、信号の途中で長時間見るのは通行の妨げにもなるし危険ですので気を付けてください。横断歩道の両側の信号付近で「千住大橋」を見てください。「千住大橋」の見学巡路としては、上野方面に向かって右側(「旧橋」の歩道)の歩道を利用してください。モニュメント関係は、こちら側にあります。それでは、早速見学してみましょう。
「東京都卸売市場足立市場の両側の信号付近」⇒「千住大橋公園(芭蕉関連のモニュメント)」⇒「千住大橋公園(千住水管橋)」⇒「橋詰テラスで大橋関連の展示を見ます」⇒「千住小橋を渡り戻ってきましょう」⇒「千住小橋からの隅田川の風景(橋の両側から眺めましょう)」⇒「荒川区側へ橋と周りの景色を堪能します」⇒「八紘一宇の碑」⇒「八紘一宇の碑」⇒「千住大橋の石碑」⇒「あらかわの史跡と文化財説明板で少しお勉強」
② 「千住大橋」を訪れてみての感想
「千住大橋」は約430年前に誕生しました。とにかくその歴史の悠久の長さには驚きます。今までどの位の人が往来したことでしょうか。数々の人間模様と歴史の出来事を見てきた生き証人とも言える橋ですね。そして、何回か姿を変え、昭和に入り現在の「千住大橋」にと形を変えています。交通量が増えたことで「旧橋」と「新橋」になったと思いますが、どちらがいいかと言えば、個人的には橋らしい景観をとどめている「旧橋」の方が好きですね。橋の上に架かっている看板も「橋大」と現代の日本語の表記とは逆です。何となく威厳を感じます。「千住大橋」の下には「千住小橋」もありました。「千住大橋公園」には芭蕉関連のモニュメントも多数あり、江戸の浮世絵画家の千住大橋の作品も展示してあります。「橋詰テラス」には、小さな博物館と言っても過言でないくらい江戸時代からの橋と川にまつわる展示物があり、歴史の勉強にはもってこいの場所です。今後も何回か訪れもっと詳しく調べていき更なる「橋と川」の歴史とその背景を勉強したいと思います。
04_【「千住大橋」及びその周辺紹介】
① 「千住市場(やっちゃ場)」
430年前にできた千住の青物市場、通称「やっちゃば」がその始まりと言われています。「千住市場(やっちゃ場)」は東郊の生産物の流通の拠点です。やっちゃ場といわれた青物市場の問屋の店先には、近在の農家の出荷した野菜が並べられたそうです。戦前には旧日光街道沿いに多くの青物問屋が軒を連ね、活気あふれる問屋街でした。「やっちゃ、やっちゃ」はセリのかけ声だそうです。
② 「千住宿奥の細道プチテラス」
千住大橋脇の「東京都卸売市場足立市場」の入口にあるのが、「千住宿奥の細道プチテラス」です。千住循環バス「はるかぜ」の待合所を兼ねたおシャレな作りです。「千住宿奥の細道プチテラス」内には、奥州や北陸など「奥の細道」へここから旅立った高さ1・5メートルの白御影石製の松尾芭蕉像と、「日光道中 千住宿道標」、行灯をかたどった「日光街道 千住宿道標」、千住やっちゃばの小さなお宮にあった欅の木で作った「奥の細道入口、やっちゃ場看板」などがある。
③ 「千住宿歴史プチテラス」
「千住宿歴史プチテラス」は、千住四丁目の元地漉き紙問屋横山家にあった内蔵を平成5年に解体移築した土蔵です。見学可能ですが、現在はミニ展示会などに利用されていて展示利用のある時のみ開館しています。
④ 「奥の細道矢立初めの地」
奥の細道矢立初めの地 千住大橋の足立側に、奥の細道矢立初めの地の碑があります。俳人松尾芭蕉が奥の細道での紀行最初の一句を詠んだのがこの地なのです。松尾芭蕉「奥の細道」600里の旅の始まりの句を詠んだといわれている場所(矢立初めの地)に建てられた記念碑で、千住大橋公園内にあります。松尾芭蕉は1689年(元禄2)年3月に弟子の曾良を伴って深川(江東区)から船で遡上して千住(足立区)に降り立ち、陸奥へと旅立ちました。芭蕉の俳文紀行「奥の細道」には、「千じゆと云所にて船をあがれば前途三千里のおもひ胸にふさがりて幻のちまたに別離の泪をそゝく」「行春や鳥啼魚の目は泪」と旅立ちの地である千住の情景が記されています。
⑤ 「石洞(せきどう)美術館」
石洞美術館は、美術工藝を通しての国際間の文化交流、相互理解の促進、我が国文化の向上を図るため、2006年4月に公益財団法人美術工芸振興佐藤基金によって設立されました。所蔵品は、佐藤千壽(せんじゅ)の収集したコレクションを核としており、美術館の名称は佐藤の雅号「石洞」からきています。
⑥ 茶館「妙好」(1F隣接)
茶館「妙好(みょうこう)」は石洞美術館に隣接し、石洞美術館の入り口右手にある六角形の建物です。足立区の障がい者団体「友愛会」が運営をし、障がい者の方々の自立訓練および社会参加の場となっているそうです。美味しい手作りのケーキもあり一休みすることができます。投稿日:2022年8月16日この口コミはTripadvisor LLCのものではなく、メンバー個人の主観的な意見です。 トリップアドバイザーでは、投稿された口コミの確認を行っています。 - v35p_trip札幌市, 北海道20,284件の投稿こちらは、旧日光街道に面し、江戸時代より続く歴史ある宿場町として栄えた町であります。
今でも昔の面影を感じる建物もいくつか残っており、人通りも多く、活気がありました。投稿日:2020年11月22日この口コミはTripadvisor LLCのものではなく、メンバー個人の主観的な意見です。 トリップアドバイザーでは、投稿された口コミの確認を行っています。 - v35p_trip札幌市, 北海道20,284件の投稿こちらは北千住駅より徒歩4分くらいにある、複合施設です。
オフィス・シネマ・ハローワーク・ジム・レストランのなどなど・・・
21階の天空劇場ではliveが予定されておりました。
ここからの眺めはスカイツリーも見え絶景でした。投稿日:2020年11月22日この口コミはTripadvisor LLCのものではなく、メンバー個人の主観的な意見です。 トリップアドバイザーでは、投稿された口コミの確認を行っています。 - junjun東京都心, 東京都26,400件の投稿「門前華永路商店街」は、西新井大師へと続く参道の右側にあります。アーケード式の商店街の入口には、「門前華永路商店街」の大きな看板がかかっています。看板の文字のバランスや色合いも良く結構目立ちます。初めて訪れた参拝客は何て読むんだろうと疑問に思う方もおそらく数多くいると思います。
① 「たぐち埜:だるま」
入ってすぐ右手にあるのが「たぐち埜」です。約40種類のだるまを扱っており、「サクラサク合格だるま」や「五色だるま」など様々な商品が置いてあります。「西新井大師」はだるま供養でも有名です。
《一口メモ:「西新井大師だるま供養会」》
「西新井大師」では毎年二月三日の節分の日に「だるま供養」として、つとめ終えただるまをお焚き上げします。「だるま供養会」は光明殿の境内で行われます。奉納されただるまが積まれた光明殿の庭に、ほら貝を吹く山伏と僧侶が入場して、読経のなか数万個のだるまに火を付けて供養する厳かな様子がみものだそうです。だるまは七転び八起きの縁起物で、選挙・合格祈願・お祝い事などのご利益があるとされています。また、魔除けとしての御守りでもあります。そんな御守り、縁起物を何年も家におまつりしておくことは、神様の魂が抜けきった状態でおくことになります。一年たったら供養をし、新しいものに交換するのが良いとされています。ちなみにだるまは、色によってそのご利益が違うとされています。「だるま供養」は一年中受け付けています。
② 「好茶:タピオカ専門店」
「たぐち埜」の隣にあるお店が「好茶」です。タピオカ専門店の「好茶」は、2018年に1号店を浅草でオープンしました。モチモチのタピオカの美味しさはもちろん、インスタ映え用に全商品に特別なリボンと持ち帰り用ボトルを提供してタピオカの専門店で、どちらかと言えばモチモチ系よりも、トロトロ系のタピオカです。
③ 「味の横綱:おこわ・お弁当・惣菜」
「好茶」の斜め前にあるのがおこわで有名な「味の横綱」です。元とは荒川区の三ノ輪に店を構えていましたが、2021年2月に西新井大師「門前華永路商店街」へ移転してきたそうです。おこわは、元々は “特別な日”にしか口にできなかった日本の伝統的なご馳走だったそうです。おこわの種類は、“ぼんじりおこわ“、“山菜五目おこわ“、”季節のおこわ“、“赤飯“などです。おこわは一律で480円、赤飯は470円です。お弁当も“唐揚げ弁当”、“豆腐ハンバーグ・唐揚げ弁当”、“海老カツ・豆腐ハンバーグ弁当”、“海老フライ・唐揚げ弁当”、“イカフライ・唐揚げ弁当”などが日替わりであります。値段はいずれも650円と良心的な値段です。
④ 「うきた堂:ドライフルーツ・豆」
「味の横綱」のとなりが、ドライフルーツや豆を販売している乾物屋の「うきた堂」です。見た感じ品ぞろえは豊富でした。珍しいドライフルーツがあったり、また、色々な種類のドライフルーツとナッツを試食することもできます。まずは、試してからご購入してください。
⑤ 「河村屋」…名物:いなり寿司
「うきた堂」の斜め前には、テレビ等でもよく報道されている「河村屋」があります。いなり寿司で有名な「河村屋」は、テレビ等報道機関でもでも良く取り上げられ、お店の店頭の壁には訪れた芸能人のサインが数多く飾られています。テイクアウトのお店ですが、店の前にあるベンチや門前華永路には休憩スペースがありテーブル椅子がありますのでそこで頂くことも出来ます。「出世いなり」、「胡麻いなり」、「角煮いなり」、「かんぴょうまき」などがあります。一番人気は角煮が入った「角煮いなり」で、マヨネーズをちょっと付けて食べるのがおすすめの食べ方です。また、「出世いなり」も人気です。「出世いなり」の中には酢飯の他に味付きのうずらの卵が入っているという珍しいいなり寿司です。やはりこれも「ちょい足しマヨネーズ」で味が一段と引き立つそうです。ちなみに、日曜・祭日・縁日の日に数量限定で販売しています。
営業時間:11:00~17:00 定休日:月曜(祝日の場合翌日)
⑥ 「ゆうゆう:かつむすび・カツサンド・お弁当」
「河村屋」の斜め前には、「ゆうゆう」があります。「ゆうゆう」は、“かつむすび“、“カツサンド“、”お弁当“等色々なものを食することができるお店です。
「門前華永路商店街」は、各店舗の前(通路の中央)にはベンチがありますのでテイクアウトしたものをその場でいただけます。また、休憩スペースもありそこでも食べることができます。参道のお店で食べるのもいいですが、何か新しい発見ができるかもしれませんよ。投稿日:2022年7月24日この口コミはTripadvisor LLCのものではなく、メンバー個人の主観的な意見です。 トリップアドバイザーでは、投稿された口コミの確認を行っています。 - junjun東京都心, 東京都26,400件の投稿足立区の魅力発信の第40回目は、足立区大谷田にある「銀河の塔」についての情報を発信していきます。「銀河の塔」を訪れたのは、2023年8月8日です。最初に「銀河の塔」へのアクセスからスタートします。「銀河の塔」へのアクセスは、東京メトロ千代田線「北綾瀬駅」3番出口の改札を出て目の前に信号(表示名「北綾瀬駅前」)があるのでそれを横断し、「環七」を反対方向に渡る方法と電車を降りたら進行方向に進むと改札口があるので、その改札を出て直進すると突き当りにエレベーター又は階段があるのでそれを利用して「1番出口」に出る方法です。「1番出口」を利用する方が信号待ちすることなくスムーズに環七の反対側に出ることができます。「一番出口」の場合は環七を左方向に、「三番出口」の場合は横断歩道を渡ったら右方向に進みます。1100mほど直進すると「大谷田陸橋」があり、「綾瀬警察署大谷田交番」の先に「銀河の塔」があります。
「銀河の塔」は、平成4年(1992年)に「葛西用水親水水路」の完成を記念して作られたシンボルタワーです。21世紀に向けての「聖火」をイメージしたものですが、夜になると上部に散りばめられた光ファイバーとライトアップにより美しく浮かび上がるところから「銀河の塔」の愛称名が付けられました。「銀河の塔」は、高さが26mあり、なんと桜の時期には、葛西用水桜通りの桜並木が一望できる超穴場スポットだそうです。
01_【「銀河の塔」の一口メモ】
⑴ 住所…〒120-0001 東京都足立区大谷田1丁目1
02_【アクセス】
1 電車を利用して「銀河の塔」へ
東京メトロ千代田線「北綾瀬駅」1、3番出口から徒歩14分1100m
2 バスを利用して「銀河の塔」へ
★[亀有] ⇒[八潮行]≪東武バス:有64・65号≫
・バス乗り場:「亀有駅北口」(番のりば)
・3停留所目(「中川四丁目」の次の停留所) 所要時間約3分
・9時から17時の間に1時間平均3~4便
・「大谷田一丁目」で下車し「銀河の塔」まで徒歩3分200m
⇒バスは「」にある停留所に停まるので下車した後、バスの進行方向と反対方向に200mほど進むと目の前に高く聳えたつ「銀河の塔」が現れてきます。投稿日:2023年8月9日この口コミはTripadvisor LLCのものではなく、メンバー個人の主観的な意見です。 トリップアドバイザーでは、投稿された口コミの確認を行っています。 - あれクス守谷市, 茨城県10,690件の投稿近くまで来たのでどんなものか立ち寄ってみた。まぁ築地市場の小さい版、取扱は野菜や果物だけ、といった内容。午後に行ったら閑散としていて、当然市場関係者もほとんどいない。入口の警備担当の人に聞いたら、競りは朝7時からで、見学は東京都の担当部署に予約を入れればOKとのこと。機会があれば再訪します。投稿日:2018年2月1日この口コミはTripadvisor LLCのものではなく、メンバー個人の主観的な意見です。 トリップアドバイザーでは、投稿された口コミの確認を行っています。
- OnAir803420東京都心, 東京都28,891件の投稿【橋戸稲荷神社】訪問時 立ち寄りました。こちらの開館日が(土)(日)(月)と 少し限定的ではあるものの 《千住の文化サロン》として オープンされたと言うだけ 色々な文化(色々な意味があると思いますが)に 触れることが出来るようです。今回 2月3日訪問時 2月9日(日)に《初めて 仲町の家に来た日のことを教えて下さい座談会》開催や 3月22日(土)&23日(日)に《矢立の初めの踊り》開催の案内がありました。時間的な余裕があれば 1度 足を踏み入れることお薦めします、 少し異なる視点での文化に触れる機会が得られると思います。投稿日:2025年2月3日この口コミはTripadvisor LLCのものではなく、メンバー個人の主観的な意見です。 トリップアドバイザーでは、投稿された口コミの確認を行っています。
- junjun東京都心, 東京都26,400件の投稿足立区の魅力発信の第十四回目は、足立区の「千住宿奥の細道プチテラス」についての情報を発信していきます。「奥の細道」は元禄文化はなやかな時代に「松尾芭蕉」が著作した最も有名な紀行作品で、教科書にも採用され誰でも知っている作品でしょう。今回は、松尾芭蕉の「奥の細道」の「矢立初」である「千住宿奥の細道プチテラス」を訪れてみました。まずは、「千住宿奥の細道プチテラス」へのアクセスからスタートします。
≪トリアド・インデックス≫
01_【アクセス】
02_【「千住宿奥の細道プチテラス」の一口メモ】
03_【「千住宿奥の細道プチテラス」の歴史と概要】
04_【「千住宿奥の細道プチテラス」の見学巡路と訪れてみての感想】
05_【「千住と芭蕉」の関連施設についてちょっと調べてみました!】
06_【「千住宿奥の細道プチテラス」その周辺紹介】
01_【アクセス】
1 徒歩で「東京都卸売市場足立市場」へ:「北千住駅」西口出口より徒歩16分 1.2km
「北千住駅」には、JR常磐線、東武スカイツリー線、つくばエックスプレス線、東京メトロ日比谷線及び東京メトロ千代田線の5路線が乗り入れしています。西口出口から出て駅前のロータリーを回り、大きな通りが目の前にあります。それが「北千住駅前通り」でそれを100mほど直進します。2つ目の信号の手前に「りそな銀行」があるのでその角を左折し、「千住ほんちょう商店街」大きな門があるので、「千住ほんちょう商店街の通り(旧日光街道)」をそのまま1.1km直進すれば「東京都卸売市場足立市場」の手前に「千住宿奥の細道プチテラス」があります。
★[北千住駅西口] ⇒[千住大橋行]( 北千住駅西側地域循環)≪(株)新日本観光自動車バス:は5号≫
・バス乗り場:「北千住駅西口」(11番のりば)
・7停留所目(「やっちゃ場緑道」の次の停留所) 所要時間約7分
・9時から17時の間に1時間平均1~3便
・「足立市場入口」で下車すると隣接して「千住宿奥の細道プチテラス」があります。
3 電車を利用して「東京都卸売市場足立市場」へ
★京成本線「千住大橋駅」を利用して「千住宿奥の細道プチテラス」へ 3分170m
「千住大橋駅」の改札口を出て直進すると4号線(日光街道)があります。それを右折して、100m直進して一つ目の信号(表示名:足立市場前)を左方向に渡れば「東京都卸売市場足立市場」の左隣に「千住宿奥の細道プチテラス」があります。
02_【「千住宿奥の細道プチテラス」の一口メモ】
★ 住所:〒120-0038 東京都足立区千住橋戸町50(足立市場バス停に隣接)
03_【「千住宿奥の細道プチテラス」の歴史と概要】
⑴ 「千住宿奥の細道プチテラス」の歴史と概要
「千住宿奥の細道プチテラス」は、足立区の歴史を今に伝える場所であり、一休みできる小さなスペースです。「東京都卸売市場足立市場」のすぐそばにあり、千住の循環バスはるかぜ5号の停留所も隣接しています。「千住宿奥の細道プチテラス」内には、奥州や北陸など「奥の細道」へここから旅立った「松尾芭蕉の像」、行灯をかたどった「日光街道千住宿道標」、「千住やっちゃば」の小さなお宮にあった欅の木で作った「奥の細道入口、やっちゃ場看板」、「大名行列」についての解説板や「奥の細道」関連の史跡があります。「松尾芭蕉」は、彼が崇拝していた鎌倉時代の僧侶で歌人でもある「西行」の、500回忌にあたる1689年(元禄2年)に『奥の細道』の旅へと出発しました。この時には、彼の門人の河合曾良(かわいそら)も同行しています。松尾芭蕉は元禄2年(1689年)、深川の芭蕉庵から隅田川を船でのぼり、宿場町の千住から仲間たちに見送られ「行春や鳥啼魚(とりなきうお)の目は泪」と詠み、東北への旅に出立しました。それより約5か月にわたる2,400kmの旅は、大垣で「蛤のふたみにわかれ行秋ぞ」と詠み、「奥の細道」をむすんで、旅の終わりを告げています。また、「千住宿奥の細道プチテラス」の史跡関連の資料から千住宿は日光街道の日本橋から1番目の宿場町で当時も栄えていたこと、昔この付近にやっちゃ場(青果市場)があって賑わっていたことを楽しく想像できます。そして千住の人たちが今なお、遠い昔に胸をはせて「芭蕉」や「やっちゃ場」などをこの地域の宝として大切にしていることがはかり知ることができます。
《「春や鳥啼魚の目は泪(いくはるや とりなき うおのめはなみだ」:句の解説》
「春が去ろうとしている。そして我々も旅立とうとしている。その心細さに、鳥の鳴声が泣いている様に聞こえ、魚の目には涙が浮かんでいる様に思えるよ。」との意味です。この句を旅の最初の句として、旅の第一歩を踏み出したがなかなか思うように足が進まない。人々は道の途中に立ち並んで、後姿が消えるまでといつまでも別れを惜しんで見送ってくれるのである。
《「矢立初」:の解説》
芭蕉の銅像の左隣の石碑に「矢立初」とあるのは、この地でこの句を詠むために携帯用の筆記具「矢立」を使い始め、旅が始まったということを意味しています。
⑵ 「千住論争」…「矢立初」は、千住大橋の北岸(足立区)それとも南岸(荒川区)、どっちなの?
「矢立初」のときの芭蕉像があります。芭蕉は千住大橋のどちら側で「行春や鳥啼魚の目は泪」という句を詠んだかということが、いわゆる「千住論争」となっています。『奥の細道』出発の地とされている場所は、東京都足立区説の他に、東京都荒川区の南千住駅前という説もあります。「千住といふところ」は確かに千住大橋付近だったとしても、そこが千住大橋の北岸・南岸のどちらだったのかで意見が分かれ、ちょっとした論争になっているのです。残念ながら正確な資料が残されていないため、これについてはどちらが正しいのかはわかりません。そのため現在では、千住大橋と南千住駅前の両方にそれぞれ松尾芭蕉の銅像と石碑が建てられています。いずれにしても、この場所の近くで矢立初があったことだけは間違いありません。
04_【「千住宿奥の細道プチテラス」の見学巡路と訪れてみての感想】
⑴ 見学巡路
「松尾芭蕉の像」⇒「日光街道千住宿道標」⇒「奥の細道入口、やっちゃ場看板」⇒「大名行列」についての解説板
⑵ 「千住宿奥の細道プチテラス」を訪れてみての感想
「千住宿奥の細道プチテラス」は、「松尾芭蕉」が奥の細道に旅立った歴史と背景を知ることのできる小さな心休まるスペースです。近くに四号国道(日光街道)や東京都卸売市場足立市場がありますが、車の騒音や雑踏もさほど気になりません。「松尾芭蕉の像」の見ると非常に柔和で、これから150日間2,400kmの旅に出るようには思えません。「日光街道千住宿道標」は、右が日本橋、左が草加と書かれています。昔の人はナビなしにこの道標を頼りにして旅をしたなんですごいと感じました。「奥の細道入口、やっちゃ場看板」には、その歴史と当時の千住市場を中心とした店舗がたくさんあり、繁栄を極めていたのが想像できます。特に、「大名行列」についての解説を読むと江戸時代の参勤交代でも千住宿は重要な働きをしていたことが見て取れました。時間的には5分足らずで一通り見終えますが、「松尾芭蕉」について知ればしるほどどんな「松尾芭蕉」関連の名所旧跡が足立区にあるのか知りたくなりました。ちょっと「芭蕉」関連の名所旧跡を調べてみました。
05_【「千住と芭蕉」の関連施設についてちょっと調べてみました!】
「松尾芭蕉」関連の名所旧跡をちょっと調べてみたら下記のとおり、芭蕉像や芭蕉が詠んだ句碑が足立区のいろいろな所にありました。今後は、これらの名所旧跡を見て回り皆さんにリポートしていきたいと思います。
⑴ 芭蕉石像
この石像は地元の千住大賑い会の呼びかけによって、芭蕉生誕360年にあたる平成16年(2004年)の12月12日に建立されました。
《所在地》:足立区千住橋戸町50(千住宿奥の細道プチテラス内)
⑵ 矢立初の碑
奥の細道は、江戸深川(現江東区)から奥州・北陸などを巡り、美濃国大垣(現岐阜県大垣市)にいたる約5か月におよぶ旅を題材にした作品で、元禄7(1694)年に成立しました。旧暦の元禄2年3月27日(新暦では1689年5月16日)に深川から船で千住に赴いた松尾芭蕉は、多くの門人たちが見送る中、河合曽良をともなって旅立ちました。奥の細道には、千住で詠んだ矢立初めの句「ゆく春や鳥啼魚の目は泪」が載せられています。この句は、編さん時の句であり、実際の千住来訪時の作は「鮎の子のしら魚送る別哉(わかれかな)」であったという研究があります。「ゆく春や…」の「魚」、「鮎の子の…」の「しら魚」は千住の名産である「白魚」を詠みこんでいることでも知られています。
《所在地》:足立区千住橋戸町千住大橋北詰(大橋公園内)
⑶ 芭蕉句碑:『ものいへば唇さむし秋の風』
慶応3年(1867年)建立。芭蕉の座右の銘として知られる人の短を云うことなかれ己の長をとくことなかれ」の部分と標題句が記されています。典拠となった「芭蕉庵小文庫」(元禄9年・1696年)の一つは郷土博物館に保存されています。また、「物いへば唇寒し秋の風」の創作年代は未詳。
《所在地》:足立区千住宮元町24-1(千住神社境内)
⑷ 芭蕉句碑:『春もややけしきととのふ月と梅』
奥の細道300年を記念して、平成3年(1991年)に建立。もともと文久3年(1863年)の句碑が本社境内にあったが、破損防止のため、郷土博物館に移設保存されました。句は元禄6年(1693年)の旧碑と同じ句が記されました。
《所在地》:足立区千住3-22(千住本氷川神社境内)
⑸ 芭蕉句碑:『ゆく春や鳥なき魚の目は泪』
昭和29年(1954年)建立。俳人の岡本機柳還暦記念として、建立されました。機柳は、千住河原町の俳人、為成菖蒲園が師事したことでも知られています。
《所在地》:足立区千住5-17-9(安養院境内)
⑹ 芭蕉坐像
この坐像は、昭和49年(1974年)10月、千住大橋北詰に「史跡おくのほそ道矢立初の碑」が建立されたのを祝って、川崎康子氏から足立区に寄贈されました。昭和17年(1942年)、芭蕉の生誕地、伊賀上野(三重県伊賀市)に俳聖殿建立の際、伊賀焼で芭蕉の坐像を製作し、堂内におさめられました。本像は万一に備えて焼かれた副です。像の原型は、乃木希典将軍の甥にあたる長谷川栄作氏の作で重さは約400kgあります。
《所在地》:足立区千住5-13-5(学びピア21内)
06_【「千住宿奥の細道プチテラス」その周辺紹介】
⑴ 「千住市場(やっちゃ場)」
430年前にできた千住の青物市場、通称「やっちゃば」がその始まりと言われています。「千住市場(やっちゃ場)」は東郊の生産物の流通の拠点です。やっちゃ場といわれた青物市場の問屋の店先には、近在の農家の出荷した野菜が並べられたそうです。戦前には旧日光街道沿いに多くの青物問屋が軒を連ね、活気あふれる問屋街でした。「やっちゃ、やっちゃ」はセリのかけ声だそうです。
⑵ 足立市場内にある「千潮金刀比羅宮」
千潮金刀比羅宮の創建年代等は不詳ながら、遠い昔より金刀比羅宮として祀られていたといいます。昭和41年足立市場内で祀られていた千潮稲荷社を合祀しています。「千潮稲荷神社」は短い階段を上り、鳥居をくぐると左手にあり、神輿庫に並びます。本殿には、榊と酒が奉納され、市場関係者に崇敬されていることが一目瞭然で分かります。「千潮稲荷神社」の四周は、石柱をつないだ玉垣で守護しています。各石柱には、青果と鮮魚の問屋衆の名が彫られています。
⑶ 「千住宿歴史プチテラス」
「千住宿歴史プチテラス」は、千住四丁目の元地漉き紙問屋横山家にあった内蔵を平成5年に解体移築した土蔵です。見学可能ですが、現在はミニ展示会などに利用されていて展示利用のある時のみ開館しています。
⑷ 「奥の細道矢立初めの地」
奥の細道矢立初めの地 千住大橋の足立側に、奥の細道矢立初めの地の碑があります。俳人松尾芭蕉が奥の細道での紀行最初の一句を詠んだのがこの地なのです。松尾芭蕉「奥の細道」600里の旅の始まりの句を詠んだといわれている場所(矢立初めの地)に建てられた記念碑で、千住大橋公園内にあります。松尾芭蕉は1689年(元禄2)年3月に弟子の曾良を伴って深川(江東区)から船で遡上して千住(足立区)に降り立ち、陸奥へと旅立ちました。芭蕉の俳文紀行「奥の細道」には、「千じゆと云所にて船をあがれば前途三千里のおもひ胸にふさがりて幻のちまたに別離の泪をそゝく」「行春や鳥啼魚の目は泪」と旅立ちの地である千住の情景が記されています。
⑸ 「石洞(せきどう)美術館」
石洞美術館は、美術工藝を通しての国際間の文化交流、相互理解の促進、我が国文化の向上を図るため、2006年4月に公益財団法人美術工芸振興佐藤基金によって設立されました。所蔵品は、佐藤千壽(せんじゅ)の収集したコレクションを核としており、美術館の名称は佐藤の雅号「石洞」からきています。
⑹ 茶館「妙好(みょうこう)」
茶館「妙好」は石洞美術館に隣接し、石洞美術館の入り口右手にある六角形の建物です。足立区の障がい者団体「友愛会」が運営をし、障がい者の方々の自立訓練および社会参加の場となっているそうです。美味しい手作りのケーキもあり一休みすることができます。
⑺ 「千住大橋」
「千住大橋」は、隅田川の東京都区部にかかる橋で、国道4号が通っています。北岸は足立区千住橋戸町、南岸は荒川区南千住六丁目で、「旧橋」(下り方向)と新橋(上り方向)の二橋で構成されています。投稿日:2022年8月16日この口コミはTripadvisor LLCのものではなく、メンバー個人の主観的な意見です。 トリップアドバイザーでは、投稿された口コミの確認を行っています。 - junjun東京都心, 東京都26,400件の投稿足立区西新井大師にある「加持水の井戸」についての情報を発信していきます。「加持水の井戸」へのアクセスからスタートします。東武大師線「大師前駅」へ行くには、東武スカイツリーライン「西新井駅」で乗り換えます。「西新井駅」は急行が停車しますので便利です。北千住方面、草加方面から来ても中間の車両に乗れば階段があります。階段を上がると改札口がありますが、この改札口は出口専用ですのでここから出ないようにしてください。その奥に「大師前駅」へ行く改札があります。パスモ等交通系カードがあればそこをタッチして通り抜けます。それ以外は切符を購入しなければなりません。「大師前駅」へ行く券売機は改札手前の左側にあります。電車は10分間隔で出ていますので待ち時間のストレスは溜まりません。二両編成のかわいらしい列車に乗り、揺られること一駅、約2分乗れば「大師前駅」に到着します。「大師前駅」は無人駅なので「「大師前駅」には切符の券売機や精算機、自動改札機がなく、乗車券の購入や清算はすべて起点駅の「西新井駅」で行います。「大師前駅」から「西新井大師」へは、西新井大師参道経由して行く方法と裏道から行く二つの選択肢があります。裏道は「ボタン園」がすぐですが、その時期以外はお薦めできません。やはりせっかく来たのだから「西新井大師参道」の昔ながらの店舗を楽しみながら「西新井大師の山門」から入るのがベストのお薦めルートですね。まず、階段を降り直進し駅から出ます。出口は二つありますが、左へ行くとバス乗り場になっています。出口を出て直進すると環七に出ます。約220mほど進み、次に一つ目の信号(表示名:「西新井大師参道」)があるのでそれを右折します。目の前に「西新井大師参道の門」、「西新井大師の山門」その奥に「西新井大師」が見えてきます。後は道なりに「西新井大師参道」の昔ながらの店舗を楽しみながら直進するだけです。「西新井大師参道の門」があります。そこを右折すると「西新井大師の山門」その奥に「西新井大師」が見えてきます。
「加持水の井戸」は、「西新井大師」の「山門」を潜り、「本堂」に向かって進み、「受付棟」のところを左方向に進むと右手にあります。「西新井大師」の境内には「加持水の井戸」と呼ばれる井戸が、目立たない場所にひっそりとあります。実は、この井戸は「西新井大師」にとってとても重要な由緒ある場所なのです。平安時代の天長3年(826年)には、このあたりは不作と疫病で多くの人々が苦しんでいました。そこへ、「十一面観音」のお告げを聞いた「弘法大師」がやって来ます。疫病で苦しむ多くの人を見た「弘法大師」は、これらの人々を助けるため、「十一面観音像」と自身の像を彫り、二十一日間の祈願を行いました。すると、枯れていた井戸から、なんと不思議なことに湧き水が溢れ出し、人々の疫病を癒していったのです。お堂の“西側”にある井戸から始まった、ということで現在の「西新井」の由来となりました。つまりここは、西新井にとって始まりの歴史そのものであり、「西新井大師」の中でも一番重要な場所なのです。その割には、ちょっと宣伝が足りないと思います。石柱でもたてるなりして目立つものにして欲しいものです。しかし、ここが「西新井」の由来となった由緒ある場所なのですね。
01_【「西新井大師」の一口メモ】
①正式名称…五智山遍照院總持寺」(ごちさんへんじょういんそうじじ)
②本尊…十一面観世音菩薩弘法大師 ③ご利益厄除…開運、方位除け、所願成就
④開創…天長3年(西暦826年) ⑤開基…空海(弘法大師) ⑥宗派…真言宗豊山派
⑦総本山…長谷寺(奈良県桜井市)⇒総本山とは…一宗・一派を管轄する寺
⑧大本山…護国寺(東京都文京区)⇒大本山とは…総本山の下にあって所属の末寺を統括する寺
⑨札所…ア関東八十八ヶ所霊場特別霊場 イ関東36不動霊場26番札所 ウ東国花の寺百ヶ寺東京1番
⑩所在地…〒123-0841 東京都足立区西新井1-15-1投稿日:2023年2月16日この口コミはTripadvisor LLCのものではなく、メンバー個人の主観的な意見です。 トリップアドバイザーでは、投稿された口コミの確認を行っています。 - junjun東京都心, 東京都26,400件の投稿足立区の魅力発信の第153回目は、足立区竹の塚にある「竹の塚彫刻の道」についての情報を発信していきます。「竹の塚彫刻の道」を訪れたのは、2023年7月11日です。最初に「竹の塚彫刻の道」へのアクセスからスタートします。「竹の塚彫刻の道」へのアクセスは、東武スカイツリー線「竹ノ塚駅」の東口出口を出ると、駅前ロータリーになっています。駅前ロータリーを右回りに進むと、「竹の塚けやき大通り」になります。そのまま道なりに850mほど直進すると5つ目の信号があります。十字路の左右の両側の道が「竹の塚彫刻の道」です。「竹の塚彫刻の道」は、平成3年(1991年)からへ平成4年(1992年)に、「財団法人足立区まちづくり公社」により合計7点の彫刻作品が道の途中に設置されました。全長600mほどの短い道で、それぞれ彫刻は、団地地帯と歩道の間に作られた空間に点在しています。「竹の塚彫刻の道」は、「ふるさとの風景にとけこむ道」という点で評価が高く、平成5年(1993年)に、国土交通省「手づくり郷土賞」を受賞しています。信号の左手には、陶板レリーフ「足立五色桜」と「竹の塚彫刻の道」の彫刻作品の設置図と説明書きがあるので、最初にこちらを見て回る順番を決めるのがベストな方法だと思います。
《お薦めの散策巡路》
①陶板レリーフ「足立五色桜」⇒②「泉」小泉俊己作⇒③「石の風」堀内健二作⇒④「Chimney(煙突)」島剛作
⑤「空を眺めながら」柏木昌作⇒⑥「地殻より・Eros」岡本敦生作⇒⑦「創造の箱」斉藤史門作⇒⑧「自我—その確立」桑名良知作
では、早速散策開始です。「竹の塚彫刻の道」の入り口にある陶板レリーフ「足立五色桜」は、平成4年(1992年) 1月に設置されました。いわば「竹の塚彫刻の道」の案内人です。製作は、「クレアーレ熱海ゆがわら工房、クレアーレ信楽工房」で、大きさは、縦が1.5m、横が4.0mあります。ちなみに、「足立五色桜」は、明治期に「荒川堤の五色桜」と呼ばれ、人々に親しまれた桜の名所がありました。しかし、交通量や花見客の増加等で桜の樹勢が衰えていき、第二次世界大戦後は薪としての伐採が続き、昭和22年頃、桜は姿を消しました。そこで、「荒川堤の五色桜」を復活させるべく、荒川左岸土手に4.4kmの桜並木を整備しました。一般的な桜よりも開花時期が遅い里桜が植えられています。
次に、信号を渡り左方向に進みます。ちなみに、「竹の塚彫刻の道」に設置してある作品は道路の片側だけです。70mほど進むと最初の作品である「泉」小泉俊己作があります。「泉」は、平成3年(1991年)に、彫刻家「小泉俊己」により制作され「竹の塚彫刻の道」の一角に設置されました。一見すると少し変わった作品です。円錐形の丸い器の先の上端に犬か狼の頭部だけが飾られています。作者の言葉として、「自然の大きな流れを表現したいと思っている。水はその流れ象徴的存在である。水は世界を常に循環し、時間を記憶する。そして、我々生命体は、水と共に生き、その循環の一部として世界に組み込まれていくのである。」と述べています。ちなみに、彫刻家「小泉俊己」は、昭和33年(1958年)に東京生まれ、昭和58年(1983年)に「多摩美術大学彫刻科」を卒業しました。そして、昭和61年(1985年)に「多摩美術大学大学院美術研究科」を修了しました。
さらに70mほど進むと、第2作品目の作品である「石の風」があります。「石の風」は、平成3年(1991年)に、彫刻家「堀内健二」により制作され「竹の塚彫刻の道」の一角に設置されました。積み重ねたられた石が、断層のように見える作品です。作者の言葉として、「太古から吹く風は今だやまず。大陸を繋ぎ、海を渡り、宇宙に舞う。石を打ち、塵を祓い、新たな生命を呼び醒ます。風は石となって、永劫の彼方へ、ふいてゆく。」と述べています。「堀内健二」は日本彫刻の大家「佐藤忠良」に師事し,市役所や図書館などを中心に数多くのパブリックアート制作を手掛けてきました。
次に、75mほど進むと「舎人公園通り」の手前の「竹の塚彫刻の道」の一番北側に、第3作品目である「Chimney(煙突)」島剛作があります。「Chimney(煙突)」は、平成3年(1991年)に、彫刻家「島剛」により制作され「竹の塚彫刻の道」の一角に設置されました。この作品は、細長い筒をバーナーで燃やし、炎が燃え上がっているその内側を表現しているということです。作者の言葉として、「木材で組み立てた細長い筒を立て、下からバーナーの火を通してみました。災が内側を焼け拡げながら上昇する光景は、あたかも煙突を想わせます。この作品は、この内側を型取ったものです、まさに火と煙の彫刻なのです。」と述べています。彫刻家「島剛」は、昭和62年(1987年)に「東京藝術大学美術学部彫刻科」を卒業し、平成元年(1989年)に「東京藝術大学大学院美術研究科」を修了しています。現在は、茨城大学教育学部の教授を務めています。
今度は、今来た道を引き返し、信号を渡りもう南側の一つの「竹の塚彫刻の道」を散策します。まずは、第4作品目である「空を眺めながら」柏木昌作です。「Chimney(煙突)」から徒歩で4分350mの所に設置されています。「空を眺めながら」は、平成4年(1992年)に、彫刻家「柏木昌」により制作され「竹の塚彫刻の道」の一角に設置されました。この作品は、空を見上げる女性の彫刻で、女性は、太陽を浴びて気持ち良さそうに見えます。作者の言葉として、「何かゆったりとした、ノビノビした、やすらいだ物。そしてホノボノとした感じの物にしたい。」と述べています。
第5作品目は、「空を眺めながら」から62mほど行ったところに設置されています。「地殻より・Eros」岡本敦生作は、平成4年(1992年)に、彫刻家「岡本敦生」により制作され「竹の塚彫刻の道」の一角に設置されました。一見すると、昔の想像上の宇宙人のようです。確か、イカ星人とかタコ星人などがあったように記憶しています。作者にも何を表現しているか分からず、自分の本性のおもむくままに制作した作品のようです。作者の言葉として、「これは何ですか? 何を表していますか?」と質問される事がある。正直なところ「私にもよく分からないんです。でも私の心の底で欲している物が、出てくる様な気がするんです。」と述べています。彫刻家「岡本敦生」は、昭和26年(1951年)に広島生まれ。昭和52年(1977年)に「多摩美術大学大学院彫刻科」を修了しています。「岡本敦生」は、原石を分割して研磨し、パズルのように組み合わせた作品や、石のなかに異素材を埋め込んだ作品で知られており、国内で数多くのパブリックアートを制作しているそうです。
第5作品目は、94mほど進むと横断歩道の両側にある「創造の箱」斉藤史門作です。「創造の箱」は、平成4年(1992年)に、彫刻家「斉藤史門」により制作され「竹の塚彫刻の道」の一角に設置されました。「創造の箱」を見ていると創造力が湧いてくるような感じがします。作者の言葉として、「箱の中に箱を重ね合わすことで、一つの形態を創る。箱に内在された空間は、観る側とって創造力をかきたてる。」と述べています。彫刻家「斉藤史門」は、残念ながら、平成26年2014年6月に、60歳の若さでこの世を去ったそうです。ちなみに、彫刻家「斉藤史門」は、昭和29年(1954年)に東京に生まれです。
「自我—その確立」は、平成4年(1992年)に、彫刻家「桑名良知」により制作され「竹の塚彫刻の道」の一角に設置されました。作者の言葉がとても意味深長です。作者の言葉として、「コレハナンダ アタマノナカデシッテイルモノトムスビツケヨウトナンカシナイデネ ワタシハワタシナノデスカラ」と述べています。「新しいものを受け入れる」という行為は、想像以上に難しいことですよね。私たちの既成の概念で物を解釈してしまうからです。
01_【「竹の塚彫刻の道」の一口メモ】
⑴ 住所…〒121-0813 東京都足立区竹の塚3丁目11 電話:03-3880-5853 (足立区観光交流課)
02_【アクセス】
1 電車を利用して「竹の塚彫刻の道」へ
東武スカイツリー線「竹ノ塚駅」東口出口から徒歩11分850m
2 バスを利用して「竹の塚彫刻の道」へ
★[竹ノ塚駅前] ⇒[北千住駅前行]≪都営バス:北47号≫
・バス乗り場:「竹ノ塚駅東口」(6番のりば) ※竹の塚警察署竹の塚駅前交番の先
・2停留所目(「公園前」の次の停留所) 所要時間約分
・9時から17時の間に1時間平均6~7便
・「旧道交差点」で下車し「竹の塚彫刻の道」まで徒歩1分60m
⇒バスは「旧道交差点」停留所に停まるので下車した後、バスの進行方向と同じ方向に60mほど進むと十字路があり、十字路の左右の両側の道が「竹の塚彫刻の道」です。投稿日:2023年7月28日この口コミはTripadvisor LLCのものではなく、メンバー個人の主観的な意見です。 トリップアドバイザーでは、投稿された口コミの確認を行っています。 - LTB511日本35,574件の投稿五反野駅から徒歩10分弱。住宅街の公園前、ちょっとした空き地のような境内に小さな祠が鎮座している。前の通りはこの神社にちなんで「ばんじん通り」と名付けられている。
創建年不明。祭神は三十番神、七面大明神。三十番神とは毎日交代で国を守護するという30柱の神々のことで日蓮宗の守護神。七面大明神は日蓮宗総本山である身延山久遠寺の守護神。
境内にはゴミ一つ落ちておらず、地域に人々に大切にされていることが伺える。投稿日:2020年5月7日この口コミはTripadvisor LLCのものではなく、メンバー個人の主観的な意見です。 トリップアドバイザーでは、投稿された口コミの確認を行っています。 - junjun東京都心, 東京都26,400件の投稿足立区の魅力発信の第44回目は、足立区梅田の「梅田上町プチテラス」にある「天保7年銘道標」についての情報を発信していきます。「天保7年銘道標」を訪れたのは、2023年3月31日です。まずは、「天保7年銘道標」へのアクセスからスタートします。まずは、「天保7年銘道標」へのアクセスからスタートします。東武スカイツリー線「梅島駅」の改札口を出ると正面に横断ほどがあります。横断歩道を渡り左方向に道なりに350mほど直進します。三つ目の信号(足立梅田郵便局)の所で二又に分かれていますので右方向に650mほど進みます。二つ目の信号(「江北橋通り」)がありますので、横断歩道を渡り右方向に進むと500m先左手に「梅田上町プチテラス」があり、「天保7年銘道標」はその中にあります。
「天保7年銘道標」は、文字通り天保7年(1836)3月に造立された道標です。今まで見てきた道標と違うのは、アクリルのケースに角柱型の道標は納められているということです。アクリル板に太陽の光が反射して、中に刻まれている文字を読もうとするのですが、光ってしまいなかなか解読することができませんでした。そばに「道標案内板」に道標が図解してあったので、それを基にようやく解読することができました。その隣には、「天保7年銘道標」の解説板もありさらに理解を深めることができました。おそらく経年劣化して石自体がもろくなっていると感じました。この「廻国塔道標」は、「大聖寺」及び「明王院」への参詣路を示す道標となっています。ちなみに、従来から「明王院」は通称「赤不動」、「大聖寺」は「関原不動」の名で地域の人々に親しまれてきました。参考までに、「廻国塔道標」には、「正面」に「奉納 西國秩父坂東 現當二世(安楽)也」、「正面左」に「関原山不動尊道」、「正面右」に「右 當村不動尊道」、「左側面」に「向テ 右リ千住掃部宿 左リ千住五町目道」、 「台石左面」に「拾七丁 十五丁」そして「台石右面」に「すぐ せき 原山 みち」と書かれていました。
01_【「天保7年銘道標」の一口メモ】
住所:〒123-0852 東京都足立区関原1丁目6−24 梅田上町プチテラス内
02_【アクセス】
1 電車を利用して「恋人達のシーン」へ
★東武スカイツリー線「梅島駅」出口から徒歩21分1700m
2 バスを利用して「明王院」へ
★[町屋駅前] ⇒[足立梅田行]≪都営バス:草41号≫
・バス乗り場:「町屋駅前」
・8停留所目(「赤不動」の次の停留所) 所要時間約12分
・9時から17時の間に1時間平均2~3便
・「赤不動」で下車し「明王院」まで徒歩2分170m
⇒バスは「赤不動」停留所に停まるので下車した後、バスの進行方向と反対方向に40mほど進むと交差点があるので、横断歩道を渡り、右折して100mほど直進します。左手に「梅田上町プチテラス」があり、「天保7年銘道標」はその中にあります。投稿日:2023年4月8日この口コミはTripadvisor LLCのものではなく、メンバー個人の主観的な意見です。 トリップアドバイザーでは、投稿された口コミの確認を行っています。