足立区の旧跡

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11件の検索結果:旅行者のおすすめ順
  • 口コミ、評価、ページ閲覧数、そしてユーザーの位置情報など、トリップアドバイザーのデータに基づいてランク付けされたアクティビティ。



旅行者の口コミ

  • きよひろ
    2,699件の投稿
    バブル評価 5 段階中 5.0
    たくさんの提灯が入り口に掲げられていましたよ。

    地元の方に、お酉さまと親しまれている歴史のある神社で、
    雰囲気がありましたね!!
    投稿日:2020年3月8日
    この口コミはTripadvisor LLCのものではなく、メンバー個人の主観的な意見です。 トリップアドバイザーでは、投稿された口コミの確認を行っています。
  • junjun
    東京都心, 東京都26,400件の投稿
    バブル評価 5 段階中 4.0
    足立区の魅力発信の第48回目は、足立区千住にある「横山家住宅」についての情報を発信していきます。「横山家住宅」を訪れたのは、2023年4月3日です。最初に「横山家住宅」へのアクセスからスタートします。
    「北千住駅」には、JR常磐線、東武スカイツリー線、つくばエックスプレス線、東京メトロ日比谷線及び東京メトロ千代田線の5路線が乗り入れしています。それぞれの改札を出て「西口出口」方面へ行きます。一つ目のエスカレーターを降りると正面に丸井に通ずる踊り場があります。それを突き当りまで進むとエスカレーターが左側にあります。エスカレーターを降りると「北千住駅前通り(きたろーど1010)」のアーケード街があるので右折し、アーケード街に沿って110m直進し、最初の信号を右折します。「宿場町通り」と大きなゲートを通過し、360mほど直進すると右手に「横山家住宅」(紙問屋松屋)があります。
    「横山家住宅」は、江戸時代後期に建てられた商家で、足立区登録文化財に登録され、太平洋戦争でも火災を免れ、宿場町だった千住の名残を今に伝えています。建物の大きさは、間口が9間(約16m)、奥行が15間(約27m)あり、大きくてどっしりとした桟瓦葺となっています。また、敷地は、間口が13間(約23・5m)、奥行が56間(約102m)もあり、鰻の寝床のように長くなっているのが特徴です。「横山家」は江戸時代から続く商家で「松屋」という屋号で戦前まで「地漉紙問屋」を営んでいました。ちなみに、「地漉紙」は「浅草紙」とも呼ばれ使い古した紙を漉き直した再生紙のことです。用途としては、落し紙や着物の帯芯、呉服包紙、鼻緒紙、張り子人形の材料などに用いられました。「横山家」では梅田や本木の農家から漉き返した再生紙を買い入れ、日本橋方面へ売りさばいていたそうです。残念ながら見ることができませんでしたが、千住に逃亡してきた彰義隊士が付けた刀傷が残されているそうです。また、立派な蔵もあるのですが、これも非公開になっており見ることができませんでした。しかし、「横山家住宅」の前に、蔵の解説板がありおおよそのことを知ることができます。ちなみに、台東区雷門1丁目5に「浅草紙」のルーツを記した「紙漉町跡」の解説板があります。江戸時代に、紙漉きを業とする人たちが住んでいたことから、「紙漉町」といい江戸における 最初の紙漉きが行われた場所です。江戸時代を通じて盛んに製紙業が行われ、その産紙は「浅草紙」と呼ばれて土地の特産物でした。しかし、明治時代になると、「浅草紙」の製造工場は橋場や南千住の方に移り、浅草付近では作られなくなりました。「浅草紙」は、不要になった古紙を手で漉き返して再利用する、今でいうリサイクルペーパーでトイレットペーパーが普及する以前まで使われていたネズミ色をしたチリ紙のことを「浅草紙」と呼んでいました。ネズミ色をしたチリ紙を「浅草紙」と言うんですね。子供の頃は、「浅草紙」によくお世話になりました。懐かしい思い出ですね。

    01_【「横山家住宅」の一口メモ】
    ⑴ 住所:〒120-0034 東京都足立区千住4丁目28−25−3

    02_【アクセス】
    1 電車を利用して「横山家住宅」へ
    徒歩で「安養院」へ:「北千住駅」西口出口から徒歩7分550m
    投稿日:2023年4月8日
    この口コミはTripadvisor LLCのものではなく、メンバー個人の主観的な意見です。 トリップアドバイザーでは、投稿された口コミの確認を行っています。
  • junjun
    東京都心, 東京都26,400件の投稿
    バブル評価 5 段階中 4.0
    足立区の魅力発信の第31回目は、足立区東伊興にある「足立区立白旗塚史跡公園」についての情報を発信していきます。「足立区立白旗塚史跡公園」を訪れたのは、2023年2月17日です。まずは、「足立区立白旗塚史跡公園」へのアクセスからスタートします。「足立区立白旗塚史跡公園」へは、近道もありますが、碁盤の目の道路ではないので迷うといけませんから分かりやすい道順で説明します。「竹ノ塚駅」の改札口を出て左へ進むと「西口」です。さらに左方向に進むと信号があり「赤山街道」になります。横断歩道を渡らずに、右折し230mほど進むと「赤山街道」と「尾久橋通り」が交差する二つ目の信号があります。そこを右折し、750mほど直進し、三つ目の信号を右折し、200mほど直進すると右側に「足立区立白旗塚史跡公園」があります。
    「足立区立白旗塚史跡公園」には、昭和50年(1975年)2月6日に東京都の「史跡文化財」に指定された「白旗塚古墳」が保存されています。「白旗塚」の地名の由来は、はるか昔に遡りますが、「源頼義」、「源義家」親子が奥州反乱の鎮圧に向かう途中でこの地に寄り、この塚に「白旗」を立てたことから「白旗塚」と呼ぶようになったと言われています。伊興一帯には「擂鉢塚」、「甲塚」、「船山塚」など多くの古墳がありましたが、地域開発のために取り壊され、残念ながら今では「白旗塚」だけが残っています。「白旗塚古墳」は5世紀〜6世紀頃に築造されたと推定され、「白旗塚古墳」の大きさは、「直径」が12m、「高さ」が2.5mの円墳です。景観を保存するため、昭和59年(1984年)に周囲の土地約3000㎡を買収し、昭和62年(1987年)に「足立区立白旗塚史跡公園」として開園しました。公園の右手には兵士、馬、家、そして船、埴輪などの4体のオブジェが「白旗塚の歴史」の石碑を取り囲むようにして立っています。中央には周囲を池に囲まれた「白旗塚古墳」があり、中央部に「白幡大神様」が祀れています。左手には、「秋の七草」の植物を植えられていて、それぞれに関連する「短歌」も掲示してありました。特に、興味を引いたのは、左手の埴輪が並べられている所にある大きな四つの石のオブジェです。この石のオブジェは、東西南北の方向を示していて、石の上には現代文字と古代文字の両方で書かれています。この公園は歩きながら、無意識に古代文字が学べる場所でもあります。「足立区立白旗塚史跡公園」周辺には「伊興寺町」といわれるほどのたくさんのお寺があり、結構大きな寺ばかりです。この「伊興寺町」を散策して、さらに古墳に関する情報を得たいなら「伊興遺跡公園展示館」へ行くのがベストな観光中炉でしょう。また、あの「東海道五十三次」で有名な初代「安藤(歌川)広重」が眠る「東岳寺」もありますので、帰りに立ち寄ることもできます。「歴史」や「公園巡り」が趣味だという人最適の場所です。

    01_【アクセス】
    1 電車を利用して「足立区立白旗塚史跡公園」へ
    東武スカイツリー線「竹ノ塚駅」西口出口より徒歩11分850m(分かりやすい道順:徒歩15分1200m)
    2 バスを利用して「足立区立白旗塚史跡公園」へ
    ⑴ [竹ノ塚駅西口] ⇒[草加駅西口行]≪東武バス:竹04・草加23≫
    ・バス乗り場:「竹ノ塚駅西口」(2番のりば)
    ・2停留所目(「待木医院前」の次の停留所) 所要時間約2分
    ・9時から17時の間に1時間平均1~2便 
    ・「竹ノ塚車庫」で下車し「足立区立白旗塚史跡公園」まで徒歩4分270m
    ⇒バスは「」にある停留所に停まるので下車した後、バスの進行方向と同じ方向に40mほど進むと交差点があるので右折します。横断歩道を渡り、道なりに230mほど直進すると右側に「足立区立白旗塚史跡公園」があります。
    ⑵ [竹ノ塚駅西口](新里循環)≪東武バス:竹06≫
    ・バス乗り場:「竹ノ塚駅西口」(2番のりば)
    ・2停留所目(「待木医院前」の次の停留所) 所要時間約2分
    ・9時から13時の間に1時間平均3~4便 14時から17時の間に1時間平均1~2便
    ・「竹ノ塚車庫」で下車し「足立区立白旗塚史跡公園」まで徒歩4分270m
    ⇒バスは「」にある停留所に停まるので下車した後、バスの進行方向と同じ方向に40mほど進むと交差点があるので右折します。横断歩道を渡り、道なりに230mほど直進すると右側に「足立区立白旗塚史跡公園」があります。

    02_【「足立区立白旗塚史跡公園」の一口メモ】
     住所:〒121-0801 東京都足立区東伊興3丁目10−14 電話:03-3880-5853 (足立区観光交流課)
    投稿日:2023年2月28日
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  • KyotoWienerin
    京都市, 京都府515件の投稿
    バブル評価 5 段階中 3.0
    小雨の降る中訪れました。
    ここの通りは旧日光街道で、お店のシャッターに当時の様子を描いた絵が見られたり、歴史を垣間見ることができます。
    投稿日:2019年12月6日
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  • junjun
    東京都心, 東京都26,400件の投稿
    バブル評価 5 段階中 4.0
    足立区の魅力発信の第十七回目は、足立区の「千住宿歴史プチテラス」についての情報を発信していきます。「千住宿歴史プチテラス」は、江戸時代の蔵を改装した歴史資料館で、純和風の前庭と奥庭を配し、ツツジ、楓、ウメモドキなど四季折々の彩が美しいプチテラスです。千住四丁目の元地漉紙問屋・横山家の内蔵(土蔵)を平成5年(1993年)に移築したものです。まずは、「千住宿歴史プチテラス」へのアクセスからスタートします。

    ≪トリアド・インデックス≫
    01_【アクセス】
    02_【「千住宿歴史プチテラス」の一口メモ】
    03_【「千住宿歴史プチテラス」の歴史と概要】
    04_【「千住宿歴史プチテラス施設案内」】
    05_【「千住宿歴史プチテラス」の見学巡路と訪れてみての感想】
    06_【「千住宿歴史プチテラス」その周辺紹介】

    01_【アクセス】
    1 徒歩で「東京都卸売市場足立市場」へ:「北千住駅」西口出口より徒歩14分 1.1km
    「北千住駅」には、JR常磐線、東武スカイツリー線、つくばエックスプレス線、東京メトロ日比谷線及び東京メトロ千代田線の5路線が乗り入れしています。西口出口から出て駅前のロータリーを回り、大きな通りが目の前にあります。それが「北千住駅前通り」でそれを100mほど直進します。2つ目の信号の手前に「りそな銀行」があるのでその角を左折し、「千住ほんちょう商店街」大きな門があるので、「千住ほんちょう商店街の通り(旧日光街道)」をそのまま800m直進すれば右手に「千住宿歴史プチテラス」があります。
    2 バスを利用して「東京都卸売市場足立市場」へ
    ★[北千住駅西口] ⇒[北千住駅西側地域循環]≪(株)新日本観光自動車バス:は5号≫
    ・バス乗り場:「北千住駅西口」(11番のりば)
    ・7停留所目(「やっちゃ場緑道」の次の停留所) 所要時間約7分
    ・9時から17時の間に1時間平均1~3便 
    ・「足立市場入口」で下車し、バスの進行方向とは逆方向に220m(3分)進むと左手に「千住宿歴史プチテラス」の入口の門があります。
    ※【注意】SNS等など各種案内に「千住河原町」停留所で下車となっていますが、循環バスのコースが9:00から17:00の間は違うコースを運行するため「千住河原町」停留所には停車しません。
    3 電車を利用して「東京都卸売市場足立市場」へ
    ★京成本線「千住大橋駅」を利用して「千住宿奥の細道プチテラス」へ 4分240m
    「千住大橋駅」の改札口を出て直進すると4号線(日光街道)があります。それを左折して、30m直進して一つ目の信号を反対向に渡ります。渡ったら右折し、一つ目の角を左折します。90m直進するとT字路になっているのでそれを右折します。さらに70m直進すると十字路になっているのでそれを右折します。するとすぐ右手に「千住宿歴史プチテラス」の入口の門があります。

    02_【「千住宿歴史プチテラス」の一口メモ】
    ⑴ 開館時間:10:00~16:00 ★:開館時間も個展等によりちがってくるの
    ⑵ 開館日: 平日は展示利用のある時のみ開館、一般の展示利用のない土曜日・日曜日・祝日は原則「千住宿歴史パネル展」を開催
    ⑶ 住所:〒120-0037 東京都足立区千住河原町21番11号 電話:03-3880-5853

    03_【「千住宿歴史プチテラス」の歴史と概要】
    「千住宿歴史プチテラス」は、江戸時代の蔵を改装した歴史資料館で、純和風の前庭と奥庭を配し、ツツジ、楓、ウメモドキなど四季折々の彩が美しいプチテラスです。この建物は、千住四丁目の元地漉紙問屋・横山家の内蔵(土蔵)を平成5年(1993年)に移築したものです。間口2間半、奥行き3間半の2階建てで母屋と棟続きの内蔵として使われていました。この土蔵の「棟札」から天保元年(1830年)3月に建築されたことがわかります。江戸時代建築の証拠が残る都内では珍しい貴重な建造物です。プチテラス整備にともない土蔵のほかに、横山家(横山佐吉氏)から「庭石」、千住二丁目の山崎家(山崎忠男氏)から高さ8尺の「石灯籠」、千住四丁目氷川神社から「力石」の寄贈を受けました。現在は、横山家の土蔵を歴史と潤いのあるまちづくり“蔵造りのギャラリー”としてここに復元し、ミニ展示会などに利用されています。この計画には当初から地域住民の方々の参画を得て、設計から工事、管理、運営について検討を重ねてきました。管理、運営については、地域住民の方々により組織された「千住宿歴史プチテラスの会」により、「千住宿歴史プチテラスの会」を多くの人々に喜んで利用されるよう、清掃、鍵の管理等を行っています。「千住宿歴史プチテラスの会」(自主管理団体)による「やっちゃ場展」を4月から7月と11月から1月に開催するほか、一般の展示利用のない土曜日・日曜日・祝日は原則「千住宿歴史パネル展」を開催します。平日は、展示利用のある時のみ開館しています。

    04_【「千住宿歴史プチテラス施設案内」】
    ⑴ 「千住宿歴史プチテラス」(江戸時代の蔵)を正面から
    ⑵ 横山家(横山佐吉氏)から寄贈された「庭石」
    ⑶ 山崎家(山崎忠男氏)から寄贈された高さ8尺の「石灯籠」
    ⑷ 「前庭」と「奥庭」はそれぞれ違った雰囲気です。「前庭」は緑あふれる庭園で、「奥庭」は枯山水の庭園を連想させます。
    ⑸ 「千住宿歴史プチテラス」の内部
       レトロな雰囲気で落ち着くことのできるスペースです。見上げると天井には素晴らしい棟柱が建物を屈強にしています。
    ⑹ 「芭蕉句碑」
    「千住宿歴史プチテラス」の門の左側に芭蕉句碑があります。2003年(平成15年)5月16日に建てられました。「鮎の子のしら魚送る別哉」(あゆのこのしうをおくるわかれかな):若鮎が白魚の後を追って春の川をさかのぼる。今、河辺で別れを惜しむ我らの光景はそれに似ている。白魚は、旧暦2月頃に産卵のために川を上る。鮎は、その1ヶ月ぐらい後に遡上すると言われている。芭蕉と曾良を白魚に、千住まで見送りに来た門弟達を鮎に見立てた。
    ⑺ 開催中の個展:「でいねいなくらし」
    「でいねいなくらし」は副島あすかさんによる個展です。鍵っ子だった自分の幼少期の孤独感をテーマに据えています。どこまでも静かで物音ひとつに驚くような、そんな平日の家の中を描いたものです。素朴な筆遣いの中に、子供の繊細な心が感じとれる作品でした。作品については、ソーシャルメディアで販売も行っているそうです。
    ① 展示期間:8/5~20  ② 展示時間:12:00~18:00
    ⑺ 「まちの歴史 千住の町並み」《やっちゃ場(千住青果市場)のしくみ看板》
    道路をはさんで「千住宿歴史プチテラス」斜め右にあります。「やっちゃ場」にある千住宿の町並みの歴史が語られている説明板です。昭和5年当時の問屋、仲買商、出仲買商、付属商などがイラストでわかりやすく描かれたほか、当時の写真も貼られている問屋配置図があります。看板は、幅3m、高さ1・85mあります。少し離れたところには、江戸時代の配置を示した千寿絵図があります。「千住宿歴史プチテラス」の道路の向かい側にあります。
    《所在地》:〒120-0037 東京都足立区千住河原町27−5

    05_【「千住宿歴史プチテラス」の見学巡路と訪れてみての感想】
     ⑴ 見学巡路(周辺施設も含む)
    ①:「千住宿歴史プチテラス」(江戸時代の蔵)を正面から⇒②:「芭蕉句碑」⇒③:「正門に貼付されていた“千住プチ蔵部”のロゴ」⇒④:「前庭」⇒⑤:「入口の蔵の扉」⇒⑥:「蔵の内部」⇒⑦:「開催中の個展(でいねいなくらし)」⇒⑧:「奥庭」⇒⑨:「横山家(横山佐吉氏)から寄贈された“庭石”」⇒⑩:「山崎家(山崎忠男氏)から寄贈された高さ8尺の“石灯籠”」⇒⑪:「まちの歴史 千住の町並み」
     ⑵ 「千住宿歴史プチテラス」を訪れてみての感想
    「千住宿歴史プチテラス」は、歴史ある蔵を中心に、前庭と奥庭があり心落ち着けるレトロな雰囲気の空間です。歴史というよりは、一休みできる癒しの空間と言う感じです。この周辺には、歴史的な名所・旧跡があるので、その合間のお休み処と云う感じです。もちろん移築された「蔵」の内部、寄贈された「庭石」、「灯篭」、「力石」などどれもこれも素晴らしいものばかりで、見ていると時のたつのも忘れて安らぎを得ることができます。

    06_【「千住宿歴史プチテラス」その周辺紹介】
    ⑴ 「千住市場(やっちゃ場)」
    千住河原町はかつて「やっちゃ場」とよばれた青物市場で、戦前には旧日光街道沿いに多くの青物問屋が軒を連ね、活気あふれる問屋街でした。千住河原町稲荷神社境内には明治39年(1906年)建設の「千住青物市場創立三百三十年祭記念碑」が立っています。これによれば市場開設は天正4年(1576年)になりますが、史料によれば、公的に市場の形をなしたのは享保20年(1735年)でした。青物市場は神田・駒込と並び江戸の三大市場に数えられ、幕府の御用市場でもあったのです。戦前には旧日光街道沿いに多くの青物問屋が軒を連ね、活気あふれる問屋街でした。「やっちゃ、やっちゃ」とは市場の競りのかけ声であったと言われています。
    ⑵「千住宿奥の細道プチテラス」
    千住大橋脇の「東京都卸売市場足立市場」の入口にあるのが、「千住宿奥の細道プチテラス」です。千住循環バス「はるかぜ」の待合所を兼ねたおシャレな作りです。「千住宿奥の細道プチテラス」内には、奥州や北陸など「奥の細道」へここから旅立った高さ1・5メートルの白御影石製の松尾芭蕉像と、「日光道中 千住宿道標」、行灯をかたどった「日光街道 千住宿道標」、千住やっちゃばの小さなお宮にあった欅の木で作った「奥の細道入口、やっちゃ場看板」などがある。
    ⑶ 「奥の細道矢立初めの地」
    奥の細道矢立初めの地 千住大橋の足立側に、奥の細道矢立初めの地の碑があります。俳人松尾芭蕉が奥の細道での紀行最初の一句を詠んだのがこの地なのです。松尾芭蕉「奥の細道」600里の旅の始まりの句を詠んだといわれている場所(矢立初めの地)に建てられた記念碑で、千住大橋公園内にあります。松尾芭蕉は1689年(元禄2)年3月に弟子の曾良を伴って深川(江東区)から船で遡上して千住(足立区)に降り立ち、陸奥へと旅立ちました。芭蕉の俳文紀行「奥の細道」には、「千じゆと云所にて船をあがれば前途三千里のおもひ胸にふさがりて幻のちまたに別離の泪をそゝく」「行春や鳥啼魚の目は泪」と旅立ちの地である千住の情景が記されています。
    ⑷ 「石洞(せきどう)美術館」
    石洞美術館は、美術工藝を通しての国際間の文化交流、相互理解の促進、我が国文化の向上を図るため、2006年4月に公益財団法人美術工芸振興佐藤基金によって設立されました。所蔵品は、佐藤千壽(せんじゅ)の収集したコレクションを核としており、美術館の名称は佐藤の雅号「石洞」からきています。
     ⑸ 茶館「妙好」(1F隣接)
    茶館「妙好(みょうこう)」は石洞美術館に隣接し、石洞美術館の入り口右手にある六角形の建物です。足立区の障がい者団体「友愛会」が運営をし、障がい者の方々の自立訓練および社会参加の場となっているそうです。美味しい手作りのケーキもあり一休みすることができます。
    ⑹ 「千住大橋」
    「千住大橋」は、隅田川の東京都区部にかかる橋で、国道4号が通っています。北岸は足立区千住橋戸町、南岸は荒川区南千住六丁目で、「旧橋」(下り方向)と新橋(上り方向)の二橋で構成されています。
    投稿日:2022年8月19日
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  • v35p_trip
    札幌市, 北海道20,298件の投稿
    バブル評価 5 段階中 4.0
    こちらは、菩提山龍宝院と号す浄土宗のお寺です。
    三蓮社寶誉上人脱然大和尚が開山となり、南北朝時代の永和三年(1377)に創建したそうです。
    山門は鮮やかな朱色で仁王像が印象的でした。
    投稿日:2021年1月10日
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  • ptraveler8
    6,682件の投稿
    バブル評価 5 段階中 3.0
    見沼代親水公園の横にある。創建年代は不詳であるが、毛長川の伝承から女神のようである。境内は広いが、木造の鳥居と社殿が立っているだけである。社殿は小さく周りは木々が並び、境内は静かである。見沼代親水公園と併せて訪問するのもいいかもしれない。
    投稿日:2019年5月23日
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  • Yalbyby
    東京都心, 東京都1,663件の投稿
    バブル評価 5 段階中 3.0
    森鴎外の父が橘井堂医院を開き、森鴎外も大学卒業後から結婚するまでの間、住んでいたそうです。現在、この場所は高層ビルの建設中です。
    投稿日:2019年4月1日
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  • LTB511
    日本35,613件の投稿
    バブル評価 5 段階中 3.0
    五反野駅から徒歩10分弱。住宅街の公園前、ちょっとした空き地のような境内に小さな祠が鎮座している。前の通りはこの神社にちなんで「ばんじん通り」と名付けられている。
    創建年不明。祭神は三十番神、七面大明神。三十番神とは毎日交代で国を守護するという30柱の神々のことで日蓮宗の守護神。七面大明神は日蓮宗総本山である身延山久遠寺の守護神。
    境内にはゴミ一つ落ちておらず、地域に人々に大切にされていることが伺える。
    投稿日:2020年5月7日
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  • v35p_trip
    札幌市, 北海道20,298件の投稿
    バブル評価 5 段階中 3.0
    こちらは赤山街道沿いの西門寺橋バス停の隣にある石碑です。
    昔、人馬の中継地として賑わった宿場町だったようです。
    投稿日:2021年1月10日
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