荒川区の名所 & 観光スポット

荒川区で必見の名所

荒川区の名所・見どころ

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58件:旅行者に人気


58件中130件の結果を表示中

旅行者の口コミ

  • アカド
    東京都1,022件の投稿
    日暮里駅から伸びるストリートです。色んな繊維のお店があり、初心者から上級者まで満足できる商品が揃っています。
    投稿日:2020年2月23日
    この口コミはTripadvisor LLCのものではなく、メンバー個人の主観的な意見です。 トリップアドバイザーでは、投稿された口コミの確認を行っています。
  • v35p_trip
    札幌市, 北海道14,074件の投稿
    こちらは都電三ノ輪駅に並行して400mくらいあるアーケード付きの商店街です。
    おしゃれなお店はあまりありませんが、昔ながらの下町のお店がたくさんあり、食べ歩きが楽しかったです。
    投稿日:2021年2月13日
    この口コミはTripadvisor LLCのものではなく、メンバー個人の主観的な意見です。 トリップアドバイザーでは、投稿された口コミの確認を行っています。
  • junjun
    東京23区, 東京都3,596件の投稿
    荒川区の「素盞雄神社」についての情報を発信していきます。「芭蕉」の魅力にとりつかれて、荒川区内にも「芭蕉」に関するモニュメントがあるということで、2022年8月15日と24日に「素盞雄神社」に足を運んでみました。まず驚かされたのは、「素盞雄神社」が延暦14年(795年)に黒珍が創建したと伝える古社です。約1220年もの悠久の歴史を持つお寺だということです。「素盞雄神社」に入る鳥居は三箇所あります。8月15日は、四号国道(日光街道)側の鳥居を潜り境内に入りました。8月24日は、旧日光街道側の鳥居を潜り境内に入りました。どちらかと言うと旧日光街道側の鳥居から入ると「手水舎」があり、正面には「社殿」があるのでこちらの方が正規な拝観方法かもしれません。それともう一つの鳥居は、「荒川区立荒川ふるさと文化館(荒川区立南千住図書館)」の方にあります。平日にもかかわらず、次から次へと地元の方が来て参拝しています。それもそのはず、「素盞雄神社」は、区内で最も広い地域(町屋地区・南千住地区・三河島地区)の61カ町に氏子を持つ神社だそうです。まず、手を清めるためまず「手水舎」へ行きました。凛々しい龍の口から水が流れ出ています。「手水舎」の隣に地下140mから御神水を汲み上げている「御神水」があり、これを「手水舎」の水に使っています。深井戸掘削により実施した水質検査の結果、飲料適合したということです。次は、「富士塚・小塚原富士」です。「富士塚・小塚原富士」は「素盞雄神社」の御創建の起源となった「瑞光石」のある小高い塚に、元治元年(1864)、「 富士塚」を築き浅間神社をお祀りしましたそうです。ここでもやはり江戸時代の人々がいかに富士山を霊験ある山として信仰していたといことがうかがわれます。「 富士塚」の上には何と20基もの奉納碑がありました。毎年7月1日に御山開きを斎行し、当日の一定時間に限り登拝を受けているそうです。次は「子育ての銀杏」です。その昔、母乳の出ない婦人がその樹皮を煎じて飲み、周囲に米の研ぎ汁を撒いて幼児の無事成長を祈願したそうです。現在では、初宮詣に際し絵馬が奉納されています。「子育ての銀杏」の樹には数えきれないほどの絵馬がまかれています。これだけ樹にまかれた絵馬は今までに見たことはなく、その景観は見ごたえがありました。次は、いよいよ本日の目的である「奥の細道矢立初めの句碑」です。ちょっと嗜好が凝らしてあるにはびっくりしました。「千住大橋」が隅田川に見立てた池に架かっていてそれを渡って芭蕉の句碑のところにいきます。また、杖や雨笠などの旅支度が解説板の隣にあるのを見て工夫を凝らしているなあと感心しました。「狛犬」も「素盞雄神社」の独自のスタイルです。御殿正面左側の「狛犬」は尾の形が上を向き、邪悪なものを威嚇しているような特徴的な狛犬です。御殿正面左側は珍しい親子の獅子です。境内内の「末社」が「 福徳稲荷神社・菅原神社・稲荷神社」の三社あり、こちらにも頻繁に参拝客の姿を目にしました。最後に「社殿」にお参りし帰途に着きました。それと8月24に行ったとき、どこからとなく虫の声が聞こえてきました。境内の二箇所に、「日本鳴く虫保存会」の展示による虫を鑑賞するスペースができていました。この虫の鳴き声を聞いていると秋はもうすぐそこだなあと実感しました。いずれにしても「西新井大師」は別として足立区、荒川区でこれだけ人が訪れる神社も珍しいでしょう。次に来る予定は、「茅の輪」潜りに挑戦です。その時はまた写真を投稿したいと思います。それと、「松尾芭蕉」に関連する句碑等の設置場所も調べましたので合わせて情報提供していきたいと思います。関連の写真も投稿してありますのでどうか見ていただき旅の参考にしてください。まずは、「素盞雄神社」へのアクセスからスタートします。

    ≪トリアド・インデックス≫
    01_【アクセス】
    02_【「素盞雄神社」の一口メモ】
    03_【「素盞雄神社」の歴史と概要】
    04_【「素盞雄神社施設案内」】
    05_【「素盞雄神社」の見学巡路と訪れてみての感想】
    06_【「素盞雄神社」をもうちょっと詳しく調べました!】
    07_【「松尾芭蕉」関連の句碑等の紹介】

    01_【アクセス】
    1 徒歩で「素盞雄神社」へ
    ⑴ 「南千住駅」西口出口より徒歩8分 600m
    「東京メトロ日比谷線」の場合は北口改札口から出て、「JR常磐線」、「つくばエックスプレス線」の西口に向かいます。駅のロータリーを右方向に進み、二つ目の角を右に曲がり、すぐ先ある一つ目の角(デニーズのところ)を左折し80m直進します。旧日光街道に突き当たりますので、それを右折し300m直進しセブンイレブンの前を通過すると四号国道(日光街道)に突き当たります。横断歩道があるのでそれを反対側に渡れば、目の前が「素盞雄神社」です。ちなみに交番の所の細い道を入ると社殿を正面に見る鳥居があるのでこちらかの方がベストかもしれません。
    ⑵ 京成本線「千住大橋駅」北出口より徒歩8分700m
    「千住大橋駅」の改札口を出て直進すると北出口で4号線(日光街道)があります。それを右折して、道なりに700m直進すると右手に「素盞雄神社」があります。途中、左手に「足立市場」を見ながら、隅田川に架かる「千住大橋」を渡ります。ちなみに少し先に交番があります。そこの細い道を右折し、少し進むと「社殿」を正面に見る鳥居があるのでこちらかの方がベストかもしれません。
    ⑶ 都電荒川線「三ノ輪橋駅」より徒歩10分800m
    都電荒川線「三ノ輪橋」は、降車専用ホームに都電が到着します。都電から降りたらそのまま直進します。すると国道四号(日光街道)に突き当たりますので、それを左折し、700m直進すると左手に「素盞雄神社」があります。ちなみに少し手前に交番があります。そこの細い道を左折し、少し進むと「社殿」を正面に見る鳥居があるのでこちらかの方がベストかもしれません。
    2 バスを利用して「素盞雄神社」へ
    ⑴ ★[足立区役所] ⇒[浅草雷門]≪都営バス:草43号≫
    ・バス乗り場:「足立区役所」(6番のりば)
    ・8停留所目(「京成中組」の次の停留所) 所要時間約18分
    ・9時から17時の間に1時間平均1~2便  ※:平日のみ、土日は浅草寿町停まりとなる。
    ・《バスを降りてからの巡路》
    ⇒「千住大橋」で下車し、バスの進行方向と逆方向に40m進むと横断歩道があるのでそれを渡り、右折しすぐに交番があります。それを左折し少し進むと右手に「素盞雄神社」の入口の鳥居があります。
    ⑵ ★[浅草雷門] ⇒[足立区役所]≪都営バス:草43号≫
    ・バス乗り場:「浅草雷門」(6番のりば)
    ・9停留所目(「南千住六丁目」の次の停留所) 所要時間約14分
    ・9時から17時の間に1時間平均1~2便  ※:平日のみの運行となる。
    ・《バスを降りてからの巡路》
    ⇒「千住大橋」で下車し、バスの進行方向と逆方向に20m戻ると右手に「素盞雄神社」の入口の鳥居があります。ちなみに少し先に交番があります。そこの細い道を右折し、少し進むと「社殿」を正面に見る鳥居があるのでこちらかの方がベストかもしれません。

    02_【「素盞雄神社」の一口メモ】
    ⑴ 電話受付時間:8:00~18:00
    ⑵ 住所:〒116-0003 東京都荒川区南千住6-60-1 電話:03-3891-8281 (8:00~18:00)
    ⑶ 「素盞雄神社」文化財
    ① 素盞雄神社天王祭[区登録]
    ② 鉄製天水桶(永瀬源内富広作)[区登録]
    ③ 松尾芭蕉の碑[区指定]
    ④ 加藤雀庵文・長谷川雪旦画 森昌庵追慕の碑素[区指定]
    ⑤ 熊野神社棟札2点(貞享元年銘、天保十三年銘)[区登録]
    ⑥ 庚申塔軍3基(寛文十三年二月八日銘他)[区指定]
    ⑦ 日枝神社本殿[区登録]
    ⑧ 富士塚[区指定]
    ⑨ 日枝神社棟札[区登録]

    03_【「素盞雄神社」の歴史と概要】
    ⑴ 「素盞雄神社」の歴史と御縁起
    「素盞雄神社」の開祖となる「黒珍」(こくちん:修験道の開祖役小角の高弟)の住居の東方小高い塚上に奇岩がありました。黒珍はそれを霊場と崇め日夜斎戒礼拝すると、平安時代延暦14年(795)4月8日の夜、小塚の中の奇岩が突如光を放ち二柱の神様が翁に姿を変えて現れ、「吾れは素盞雄大神・飛鳥大神なり。吾れを祀らば疫病を祓い福を増し、永く此の郷土を栄えしめん。」と御神託を授け、「黒珍」は一祠を建て丁重にお祀りし、「素盞雄神社」が御創建されました。次いで素盞雄大神の御社殿を西向きに御造営し6月3日、飛鳥大神の御社殿を南向きに御造営し9月15日、それぞれ御神霊をお遷し致し、4月8日「疫神祭」、6月3日「天王祭」、9月15日「飛鳥祭」の祭禮日が定まりました。江戸時代享保3年(1718年)、類焼による両社炎上のため、同12 年に相殿(あいどの:一つの御社殿)として二柱を祀る御殿(瑞光殿:ずいこうでん)を新たに建築し奉斎しました。荒川区南千住・三河島(現:荒川)・町屋・台東区三ノ輪の区内で最も広い氏子区域61ヶ町の鎮守で、平成7年には御鎮座1200年祭が厳粛盛大に斎行されました。
    《語句の説明:「斎戒(さいかい)」とは》
    (神仏に祈ったり、神聖な仕事に従ったりする場合に)飲食や行動を慎んで、心身を清めること。
    《語句の説明:「奉斎(ほうさい)」とは》
    神仏などを慎んでまつること。身を清めてまつること。
    ⑵ 「素盞雄神社」の御祭神
    ① 素盞雄大神(スサノオ大神):天王祭(てんのうさい)6月3日
    天照大御神の御弟神です。八俣大蛇を退治し、その尾から天叢雲剣、後の三種の神器の一つ「草薙の剣」を取り出し、天照大御神に献上した勇敢な神様。また八俣大蛇から助けた稲田姫との間に多くの御子神をもうけ、出雲国須賀という地で幸せな家庭を築いた神様として知られています。「スサ」には「荒・清浄」の意味があり、罪・穢れ・災い・厄など身に降りかかる悪しきこと諸々を、荒々しい程の強い力で祓い清める災厄除けの神様です。別名を牛頭天王(ごずてんのう)というために「素盞雄神社」の通称を「お天王(てんのう)さま」といいます。
    ② 飛鳥大神(アスカ大神):飛鳥祭(あすかさい)9月15日
    大国主神(だいこく様)の御子神です。別名を事代主神(ことしろぬしのかみ)・一言主神(ひとことぬしのかみ)といい、善悪を一言で判断し得る明智を持たれた神様です。後世には福の神としての性格が強まり、商工業繁栄・商売繁昌の「えびす様」として崇敬されています。『江戸名所図会』では「素盞雄神社」を「飛鳥社小塚原天王宮(あすかのやしろこつかはらてんのうぐう)」と伝えています。
    《語句の説明:「天降諏訪面」とは》
    除疫の神宝、千住天王飛鳥権現時代の御霊代と考えられ、天文十年大雨の折に諏訪の地より得た木彫の面で、悪疫流行のときには氏子町内の除疫を祈願する『諏訪面巡行』が行われていました。また、天降とは雨降りの意味を持ち農耕の神を表していました。

    04_【「素盞雄神社施設案内」】
    ⑴ 「江戸名所図会」
    素盞雄大神の別名を「牛頭天王(こずてんのう)」ということから、「素盞雄神社」の通称を「お天王さま」といいます。現在はこの「お天王さま」の通称で親しまれている「素盞雄神社」ですが、風雅を好む江戸の文人たちには「飛鳥さま」の名が好まれ、文政12年(1829年)編纂の『江戸名所図会』では「素盞雄神社」を「飛鳥社小塚原天王宮(あすかのやしろ こつかはらてんのうぐう)」と紹介しています。挿絵をひもとくと、かつて日光街道は「素盞雄神社」正面の南鳥居前をとおり、門前には茶屋が賑わいをみせ、弁天様を祀る御手洗池が広がっていました。境内に建てられた芭蕉翁の句碑が物語るように、江戸の文人墨客たちには文化交流のサロンとしても親しまれたこの境内を「飛鳥の杜(あすかのもり)」といいます。春には4月8日「疫神祭」桃の御守ゆかりの一重八重、紅や白の桃花が咲き誇り、秋には「子育ての銀杏」をはじめ樹齢五・六百年という大イチョウから黄色い絨毯が敷き詰められます。四季折々の風情をお愉しみください。
    《語句の意味:「墨客(ぼっかく)」とは》
    「墨客(ぼっかく)」とは、書画をよくする人のこと。
    ⑵ 境内内施設
    ① 「瑞光石」(ずいこうせき)
    御祭神が御姿を現され、「素盞雄神社」御創建の起源となった小塚の中の霊石です。「神影面瑞光荊石(しんえいめんずいこうけいせき)といい、通称「瑞光石(ずいこうせき)」と呼ばれています。文政12年(1829年)編纂の『江戸近郊道しるべ』には、千住大橋架橋の際、この瑞光石の根が大川(現:隅田川)まで延びていたために橋脚が打ち込めなかったという伝承が紹介されています。この瑞光石のある小高い塚から「小塚原」の旧地名が起こり、現在周辺小学校の名称(第○瑞光小学校)に冠された「瑞光」もこの瑞光石に因むものです。
    ② 「富士塚・小塚原富士」(ふじづか・こつかはらふじ)
    「素盞雄神社」御創建の起源となった「瑞光石」のある小高い塚に、元治元年(1864年)、 「富士塚」を築き「浅間神社」をお祀りしました。塚上には20基もの奉納碑が伝存し、かつては門前の茶店で疫病除けの麦藁の蛇が土産に売られていたなど、富士参りの参詣者で賑わいをみせていたことがうかがわれます。毎年7月1日に御山開きを斎行し、当日の一定時間に限り登拝を受けています(天候により中止の場合もあり)。
    ③ 「子育ての銀杏」 (こそだてのいちょう)
    母乳の出ない婦人がその樹皮を煎じて飲み、周囲に米の研ぎ汁を撒いて幼児の無事成長を祈願しました。現在では、初宮詣(お宮参り)に際し絵馬が奉納されています。
    ④ 「奥の細道矢立初めの句碑」 (おくのほそみち やたてはじめのくひ)
    松尾芭蕉『奥の細道』矢立初め(旅立ち)となった有名な一節です。「矢立(やたて)」とは、携行用の筆記具のことを意味します。文政3年(1820年)10月12日の芭蕉忌に際し、江戸随一の儒学者で書家としても高名な亀田鵬斎が銘文を、文人画壇の重鎮である谷文晃の弟子で大川(現:隅田川)の対岸関屋在住の「建部巣兆」が座像を手がけるなど、千住宿に集う文人達により建てられました。建碑以来百七十有余年、永年の風雨により剥落損傷が激しく判読できないために、平成7年「素盞雄神社」御鎮座 1200年祭に際し復刻し、これを契機に全国俳句大会をはじめ様々な俳句興隆事業が行われています。
    ⑤ 「地蔵・庚申塔」( じぞう・こうしんとう)
    お地蔵様を中心とした江戸時代の庚申塔三基(区指定文化財)・宝篋印塔などからなる石塔群です。3基の庚申塔は、向かって左から、延宝6年(1678年)銘、寛文13年(1673年)銘、文化8年(1811年)銘があります。『江戸名所図会』にも境内に「ちそう(地蔵)」の表記があり、往時の様子が描かれています。庚申とは一年に6回巡ってくる干支の「庚申(かのえさる)」のことで、この日には人の体内にいる「三尸の虫」が眠っている間にその人の罪を天帝に告げてしまうために、徹夜して夜を過ごす庚申待の習俗があります。人々は講を形成して寄り合い、三年間で計18回の庚申待を行うと諸願成就するといわれ、その記念に建立されたのが庚申塔です。「素盞雄神社」の延宝6年(1678)建立の庚申塔には、人の罪を「見ざる・言わざる・聞かざる」として三匹の猿と、早く朝が来るようにと二羽の鶏が刻まれています。中央の寛文13年銘の庚申塔は、聖観音が本尊です。聖観音の光背には“庚申講供養”と“念仏講供養”の文字が刻まれ、庚申信仰と阿弥陀信仰の習合が見られます。左の延宝6年銘の庚申塔は、如意輪観音が本尊です。月待信仰に関する勢至菩薩の種子が刻まれていて、庚申信仰と月待信仰との習合がうかがえます。施主として久兵衛、おとらなど男女15人の名が見えます。文化8年銘の庚申塔には“青面金剛”の文字が刻まれています。寛文13年銘と延宝6年銘の庚申塔は、造形上も優れており、他の信仰との習合も見られ、また3基の庚申塔から近世の庚申塔の変遷がうかがえ、学術的にも貴重なものであるといえます。
    ⑥ 「狛犬」
    尾の形が特徴的な狛犬です。御殿正面左側は珍しい親子の獅子です。
    ⑦ 「手水舎」と「御神水」(地下140mから御神水を汲み上げています。)
    神事並びに非常時の生活用水として広く地域に供すべく、平成26年6月、深井戸(深度140m)を新設しました。深井戸掘削により実施した水質検査の結果、飲料適合と出たので、「手水舎」の水を天地の恵み「御神水」に切り替えています。
    ⑧ 「末社 福徳稲荷神社・菅原神社・稲荷神社」
    毎年2月二の午の日に稲荷祭を斎行しています。
    ア 「福徳稲荷神社」
    稲荷の神は元々農業の神。米一粒が何倍にも殖えるように広く殖産の神として崇められ、諸産業の守護神として信仰されている。
    イ 「菅原神社」
    道真公は平安時代初期の人で、学問の名家に生まれ、文章詩歌に優れた才能を示し、政治家としては右大臣までになりました。教養があり立身出世し、「学問の神さま」、広く「文化の神さま」として仰がれています。
    ウ 「稲荷神社」御祭神(宇迦之御魂神:うかのみたまのかみ)
    「うか」は食物、「稲荷」は稲生りを意味し、御神像が稲を荷っているところから「稲荷」の字があてられたと言われています。稲(米)は命の根(イネ)。食物の中心であり、食物は生命の元であるので、その「みたま(魂)」を宇迦之御魂神と称え崇めています。

    05_【「素盞雄神社」の見学巡路と訪れてみての感想】
     ⑴ 見学巡路(周辺施設も含む)
    ①:「「手水舎」と「御神水」(地下140mから御神水を汲み上げています。)」⇒②:「地蔵・庚申塔」⇒③:「瑞光石」⇒④:「富士塚・小塚原富士」⇒⑤:「子育ての銀杏」 ⇒⑥:「奥の細道矢立初めの句碑」⇒⑦:「狛犬」⇒⑧:「社殿」⇒⑨:「神楽殿」⇒⑩:「神輿庫」⇒⑪:「末社 福徳稲荷神社・菅原神社・稲荷神社」
     ⑵ 「素盞雄神社」を訪れてみての感想
    芭蕉の魅力にとりつかれて、荒川区内にも芭蕉に関するモニュメントがあるということで、2022年8月15日と24日に「素盞雄神社」に足を運んでみました。まず驚かされたのは、「素盞雄神社」が延暦14年(795年)に黒珍が創建したと伝える古社です。約1220年もの悠久の歴史を持つお寺だということです。「素盞雄神社」に入る鳥居は三箇所あります。8月15日は、四号国道(日光街道)側の鳥居を潜り境内に入りました。8月24日は、旧日光街道側の鳥居を潜り境内に入りました。どちらかと言うと旧日光街道側の鳥居から入ると「手水舎」があり、正面には「社殿」があるのでこちらの方が正規な拝観方法かもしれません。それともう一つの鳥居は、「荒川区立荒川ふるさと文化館(荒川区立南千住図書館)」の方にあります。平日にもかかわらず、次から次へと地元の方が来て参拝しています。それもそのはず、「素盞雄神社」は、区内で最も広い地域(町屋地区・南千住地区・三河島地区)の61カ町に氏子を持つ神社だそうです。まず、手を清めるためまず「手水舎」へ行きました。凛々しい龍の口から水が流れ出ています。「手水舎」の隣に地下140mから御神水を汲み上げている「御神水」があり、これを「手水舎」の水に使っています。深井戸掘削により実施した水質検査の結果、飲料適合したということです。次は、「富士塚・小塚原富士」です。「富士塚・小塚原富士」は「素盞雄神社」の御創建の起源となった「瑞光石」のある小高い塚に、元治元年(1864)、「 富士塚」を築き浅間神社をお祀りしましたそうです。ここでもやはり江戸時代の人々がいかに富士山を霊験ある山として信仰していたといことがうかがわれます。「 富士塚」の上には何と20基もの奉納碑がありました。毎年7月1日に御山開きを斎行し、当日の一定時間に限り登拝を受けているそうです。次は「子育ての銀杏」です。その昔、母乳の出ない婦人がその樹皮を煎じて飲み、周囲に米の研ぎ汁を撒いて幼児の無事成長を祈願したそうです。現在では、初宮詣に際し絵馬が奉納されています。「子育ての銀杏」の樹には数えきれないほどの絵馬がまかれています。これだけ樹にまかれた絵馬は今までに見たことはなく、その景観は見ごたえがありました。次は、いよいよ本日の目的である「奥の細道矢立初めの句碑」です。ちょっと嗜好が凝らしてあるにはびっくりしました。「千住大橋」が隅田川に見立てた池に架かっていてそれを渡って芭蕉の句碑のところにいきます。また、杖や雨笠などの旅支度が解説板の隣にあるのを見て工夫を凝らしているなあと感心しました。「狛犬」も「素盞雄神社」の独自のスタイルです。御殿正面左側の「狛犬」は尾の形が上を向き、邪悪なものを威嚇しているような特徴的な狛犬です。御殿正面左側は珍しい親子の獅子です。境内内の「末社」が「 福徳稲荷神社・菅原神社・稲荷神社」の三社あり、こちらにも頻繁に参拝客の姿を目にしました。最後に「社殿」にお参りし帰途に着きました。それと8月24に行ったとき、どこからとなく虫の声が聞こえてきました。境内の二箇所に、「日本鳴く虫保存会」の展示による虫を鑑賞するスペースができていました。この虫の鳴き声を聞いていると秋はもうすぐそこだなあと実感しました。いずれにしても「西新井大師」は別として足立区、荒川区でこれだけ人が訪れる神社も珍しいでしょう。次に来る予定は、「茅の輪」潜りに挑戦です。その時はまた写真を投稿したいと思います。

    06_【「素盞雄神社」をもうちょっと詳しく調べました!】
    ⑴ 蘇民将来子孫也(そみんしょうらい しそんなり)
    勇壮な神輿振りを支える長柄四間半(8.1m)の御本社大神輿二天棒、その棒先でひときわ光を放つ金具に刻まれた言葉が「蘇民将来子孫也」です。ふりかかる悪疫災厄から御祭神スサノオノミコトにお護りいただく唱え言葉です。遠い遠い神代の昔、スサノオノミコトが遥か遠くの南の海に妻問いにでかけたときのことです。陽はすでにとっぷりと暮れ、旅に疲れ果てたスサノオノミコトは蘇民将来(そみんしょうらい)・巨旦将来(こたんしょうらい)という名の兄弟に宿を乞いました。裕福で立派な家に住む弟の巨旦将来は、顔もやつれ衣服も汚れたその姿を見て、怪しみ惜しんで貸しませんでしたが、家も小さく貧しい生活をしていた兄の蘇民将来は、粟柄を座とし、粟の飯で精一杯のもてなしをしました。そして歳月がたち、再びその地を訪れたスサノオノミコトは兄に御礼を言い、「もしも疫病が流行したとき、あなたの家族は茅(かや)で作った小さな輪を腰につけていなさい。きっとそれから逃れ、子孫は永く栄えるでしょう。」と伝え帰りました。その後、突然二人の住んでいる村に疫病が流行りましたが、不思議なことに茅の輪をつけていた兄の家族だけは助かり、弟の巨旦将来の家は途絶えてしまいました。それ以来、村人は疫病が流行ると「蘇民将来子孫也」と口々に唱え、「茅の輪」を腰につけ疫病から免れるようになったということです。「蘇民将来子孫也(私は蘇民将来の子孫です)」。宮神輿の担ぎ手も、そして御神輿のお出ましを待つ大勢の氏子崇敬者も、御祭神・素盞雄大神に御加護をいただく蘇民将来の遠い遠い子孫です。
    ⑵ 「大祓」
    「浄く(きよく)明るく正しく直く(なおく)」。穏やかに、そして清らかな気持ちで毎日を過ごしていきたいものですが、日々の暮らしの忙しさや慌ただしさのなかでは、知らず知らずに罪を犯し穢(けがれ)に触れ、本来の私たちが生れながらにもつ神様の心「浄・明・正・直」の状態から遠ざかってしまうこともあります。大祓(おおはらい)とは、6月と12月に斎行される罪穢(つみ・けがれ)を祓い清める神事で、前者を「夏越しの祓(なごしのはらい)」・後者を「年越しの祓(としこしのはらい)」といいます。半年に一度の晦日(みそか)の日、自身の罪穢を形代(かたしろ)に負わせて心身を祓い清め、清々しく新たな季節を迎えます。
    ① 「夏越しの祓(なごしのはらい)」
    形代に氏名年齢を書き込み、「浄く明るく正しく直く」と祈念し、息を吹きかけ身を撫で、罪穢(つみ・けがれ)をそれに移し、我が身の代わりとして神社に納めてください。
    ② 「年越しの祓(としこしのはらい)」
    氏名・年齢・お顔を書き入れ、息を吹きかけ、その形代で御自身の身体を撫でます。罪(つみ)・穢(けがれ)悪しきこと諸々を負わせ、我が身の代わりとして納めてください。
    ③ 「茅の輪」
    神代の昔、スサノオノミコトが、蘇民将来(そみんしょうらい)に小さな茅の輪を腰につけさせ疫病除けとしたことが起源で、この故事により 6 月晦日の大祓式《茅の輪くぐり》の神事が行われています。
    ⑶ 桃まつり
    紅白の桃花咲き競う4月8日は、素盞雄神社御創建の日。平安時代延暦14年(795)、1200有余年前にさかのぼります。この日には「疫神祭(えきじんさい)」朝夕の神事を斎行し、江戸の頃より災厄除けの「白桃樹御守(桃の御守)」が伝わっています。紅白の矢口桃を咲き始めとして、源平の咲き分けや照手の紅白、純白の残雪しだれに菊桃までの種々の桃花咲き競うなか、この咲く花をお供えとして、氏子崇敬者から奉納された雛人形を境内各所にお飾りいたします(2月下旬~4月上旬頃)。
    ① 疫神祭
    「素盞雄神社」御創建の4月8日に斎行される祭典です。朝御饌の儀においては、白い花をつけた桃の枝で祓を行い(四方鎮の儀)、つづいて桃の木片を燻した煙と香りとで四方を祓い清めます(燻桃)。
    ② 白桃樹御守(桃の御守)
    邪気を祓う霊木である桃の木で奉製した災厄除けの御守です。『古事記』ではイザナギノミコトが死者の国の追っ手に桃の実を投げつけて難を逃れ、昔話の鬼退治のヒーローも桃から生まれたように、桃には悪いものを祓う不思議な霊力があると古くから言い伝えられています。桃の漢方薬としての効能は現在も認められますが、この御守も本来は煎じて飲むものでありました。現在は、その裏面に御自分の名前を書き込み、身につけ、または神棚に納め、身にふりかかる災厄を祓う御守として、4月1日から8日の間のみ授与いたしております
    ③ 天王様のこんなこと《桃のチカラ》
    りんご太郎やミカン太郎では、鬼は退治できなかったかもしれません。「素盞雄神社」御創建の日に江戸時代より伝わる「桃の御守」は、邪気を祓う霊木である桃の木で奉製した災厄除けの御守です。この御守が本来煎じて飲む御守であったように、桃の漢方としての効能は現代にも伝わりますが、桃のもつ不思議なチカラを伝える話も多くあります。死者の国「黄泉の国(よみのくに)」で、イザナギノミコトは死のケガレの塊(かたまり)のような醜女(しこめ)に追いかけられたとき、桃の実3個を投げつけて難を逃れました。そして桃の実に、「自分を助けてくれたように、人々が苦しみ困っているときには助けなさい」と、「災厄を祓う偉大なる神霊」という意味のオホカムズミノミコトと名付けたことが、我が国最古の歴史書『古事記』に記されています。原産地である中国では、古来、魔を祓う霊的な存在として信仰され、漢詩に登場する世俗を離れた理想郷『桃源郷』に広がるのは、梅でも桜でもなく桃の花でした。桃太郎の鬼退治も、川で洗濯するおばあさんのもとにドンブラコと流れついたのは、リンゴでもミカンでもなく桃の実だったのです。

    07_【「松尾芭蕉」関連の句碑等の紹介】
    1 足立区区内
    ⑴ ⦅千住宿奥の細道プチテラス内⦆芭蕉石像
    この石像は地元の千住大賑い会の呼びかけによって、芭蕉生誕360年にあたる平成16年(2004年)の12月12日に建立されました。
       《所在地》:足立区千住橋戸町50(千住宿奥の細道プチテラス内)
    ⑵ ⦅大橋公園内⦆矢立初の碑
    奥の細道は、江戸深川(現江東区)から奥州・北陸などを巡り、美濃国大垣(現岐阜県大垣市)にいたる約5か月におよぶ旅を題材にした作品で、元禄7(1694)年に成立しました。旧暦の元禄2年3月27日(新暦では1689年5月16日)に深川から船で千住に赴いた松尾芭蕉は、多くの門人たちが見送る中、河合曽良をともなって旅立ちました。奥の細道には、千住で詠んだ矢立初めの句「ゆく春や鳥啼魚の目は泪」が載せられています。この句は、編さん時の句であり、実際の千住来訪時の作は「鮎の子のしら魚送る別哉(わかれかな)」であったという研究があります。「ゆく春や…」の「魚」、「鮎の子の…」の「しら魚」は千住の名産である「白魚」を詠みこんでいることでも知られています。
    「ゆく春や鳥啼魚の目は泪」…春が過ぎ去ろうとしているところに、旅立つ別れを惜しんでいたら、鳥たちは悲しそうに鳴き、水の中の魚も涙をためているではないか。より悲しみが沸き上がってくる。
    「鮎の子のしら魚送る別哉」…白魚は、旧暦2月頃に産卵のために川を上る。鮎は、その1ヶ月ぐらい後に遡上すると言われている。芭蕉と曾良を白魚に、千住まで見送りに来た門弟達を鮎に見立てた。
       《所在地》:足立区千住橋戸町千住大橋北詰(大橋公園内)
    ⑶ ⦅千住神社境内⦆芭蕉句碑:『ものいへば唇さむし秋の風』
    慶応3年(1867年)建立。芭蕉の座右の銘として知られる「人の短を云うことなかれ己の長をとくことなかれ」の部分と標題句が記されています。典拠となった「芭蕉庵小文庫」(元禄9年・1696年)の一つは郷土博物館に保存されています。また、「物いへば唇寒し秋の風」の創作年代は未詳。
    「物いへば唇寒し秋の風」…人の短所を言ったあとは、後味が悪く、寂しい気持ちがする。転じて、何事につけても余計なことを言うと、災いを招くということ。
       《所在地》:足立区千住宮元町24-1(千住神社境内)
    ⑷ ⦅千住本氷川神社境内⦆芭蕉句碑:『春もややけしきととのふ月と梅』
    奥の細道300年を記念して、平成3年(1991年)に建立。もともと文久3年(1863年)の句碑が本社境内にあったが、破損防止のため、郷土博物館に移設保存されました。句は元禄6年(1693年)の旧碑と同じ句が記されました。
    「春もややけしきととのふ月と梅」…長い冬が過ぎ去って、梅が咲き始めた。 それだけでも十分春を喜ぶのだが、加えて月も出た。これで早春の役者は十分に揃ったのである。 おだやかな季節の移り変わりをゆったりと画と句に表現する。
       《所在地》:足立区千住3-22(千住本氷川神社境内)
    ⑸ ⦅安養院境内⦆芭蕉句碑:『ゆく春や鳥なき魚の目は泪』
    昭和29年(1954年)建立。俳人の岡本機柳還暦記念として、建立されました。機柳は、千住河原町の俳人、為成菖蒲園が師事したことでも知られています。
    「ゆく春や鳥啼魚の目は泪」…春が過ぎ去ろうとしているところに、旅立つ別れを惜しんでいたら、鳥たちは悲しそうに鳴き、水の中の魚も涙をためているではないか。より悲しみが沸き上がってくる。
       《所在地》:足立区千住5-17-9(安養院境内)
    ⑹ ⦅学びピア21内⦆芭蕉坐像
    芭蕉の生地・三重県伊賀上野にある「俳聖殿」に置かれた芭蕉翁陶像と同じものが、この足立区にもあるのをご存知でしょうか?この坐像は、昭和49年(1974年)10月、千住大橋北詰に「史跡おくのほそ道矢立初の碑」が建立されたのを祝って、川崎康子氏から足立区に寄贈されました。昭和17年(1942年)、芭蕉の生誕地、伊賀上野(三重県伊賀市)に俳聖殿建立の際、伊賀焼で芭蕉の坐像を「正副」二体製作し、堂内におさめられました。本像は万一に備えて焼かれた「副」です。像の原型は、乃木希典将軍の甥にあたる帝国芸術院会員の彫刻家・長谷川栄作氏の作で重さは約400kgあります。平成21年から千住新橋そばの「学びピア21」の1階隅にひっそりと置かれていました。足立区とは切っても切れない芭蕉であることから、放置されたままのこの像を「もっと目立つ所に置いて、千住と足立のシンボルにしよう!」とアピールするため「千住の芭蕉翁を顕彰する会」(飯島弘会長)が、「足立史談会」(堀川和夫会長)の呼びかけで2年前の5月に結成された。同会は、北千住駅前や芭蕉が歩いた旧日光街道沿いの公園など何カ所かの候補地を挙げて運動したが、結局適当な場所が見つからないまま今日に。この7月、同会の強い要望でエントランスの隅に置かれていた陶像は、図書館入口付近(入口を入って直ぐの右側)の中央に移動され、「おくのほそ道」工程図と解説板が付けられました。
    ① 「芭蕉とおくの細道」の解説板
       「元禄二年(1689年)に俳人松尾芭蕉(1644~94年)は「おくの細道」紀行に出発しました。46歳の芭蕉は156日間にわたり関東、東北、北陸から東海の各地、行程2400㎞を旅しました。亡くなる51歳まで俳諧紀行文「おくの細道」を執筆、没後の元禄15年(1702年)に出版され、現在、日本はもとより世界の名作紀行文として知られています。」と内容の解説文
    ② 「矢立の初の地;千住」
      「元禄2年3月21日(1689年5月16日)塾、俳人松尾芭蕉は江戸深川の居所から隅田川を遡って、千住宿で舟から上がりおくの細道の旅に出発しました。“行春や鳥啼き魚の目ハ泪”芭蕉はこの句を“矢立の初め”(旅の筆の初め)とし、江戸と別れて旅立った様子を記しました。」という内容の解説文
       《所在地》:足立区千住5-13-5(学びピア21内)
    ⑺ ⦅足立成和信用金庫本店前⦆芭蕉像(チェーンソーカービングの芭蕉像)
    「私松尾芭蕉は三百三十年前、元禄二年三月二十七日(旧暦)にここ千住を矢立て初めの地としておくの細道の旅に出ました。道中三日目、鹿沼につき、笠を新調して古い笠は光太寺に置いて翌日日光に向かいました。その笠を供養していただいたお寺の笹塚には、私たちの弟子も訪ねてくれたようです。鹿沼では、今も毎年五月に芭蕉の笠替え行事が行われています。また、私は鹿沼で“入りあいのかねもきこえはすはるのくれ“と詠みましたが、その句碑を屋台の町中央公園内に建てていただきました。私は蕎麦やこんにゃくが好きでした。どちらも鹿沼の特産ですが、あの時食べたかどうかは忘れてしまいました。今は、”芭蕉の蕎麦餅“や”芭蕉の蕎麦ご膳“というメニューもあるそうです。そして鹿沼は”木のまち“。この像の素材は鹿沼産の杉、チェーンソーアーティスト小林哲二さんにチェーンソーだけで彫りだしてもらいました。鹿沼市内にはこのような私の木像が五か所に設置されています。足立区と鹿沼市は友好都市(平成四年提携)です。両区市民のスポーツや文化の交流、企業や団体の交流も盛んになりました。私は三日かかりましたが、今は東武鉄道の特急で三駅目、東北自動車道でも短時間です。自然、グルメ、祭りやイベントなど魅力いっぱいの鹿沼に旅し、芭蕉像にも会いに行ってください。私は、三百三十年ぶりに旅立ちの地に立って両区市の繁栄と道行く人々の旅の安全を祈っています。』
       《所在地》:足立区千住1-4-16(足立成和信用金庫本店前)
    ⑻ ⦅西新井大師⦆芭蕉句碑:『ちゝはゝのしきりにこひし雉の声』
      天保十二年(1841)芭蕉の弟子たちが句会を開いたとき、この句碑を建てたもの。西新井大師光明殿にあります。江戸時代の句碑には思えないほど保存状態が良いです。
       《所在地》:足立区西新井1-15-1
    高野山にあって雉子の声を聞いていると、今は亡き父母を恋う気持ちがつのるばかりである、という意。芭蕉が高野山に詣でたのは四十五歳の三月(陽暦四月下旬)。前月中旬には伊賀の実家に帰り、亡父三十三回忌法要を営んでいた。高野山は空海が開いた真言宗の霊地で、芭蕉は〈此の処は多くの人のかたみの集まれる所にして、我が先祖の〔鬢髪〕をはじめ、したしくなつかしきかぎりの白骨も、このうちにこそおもひこめつれと、袂もせきあへず、そゞろにこぼるゝなみだをとゞめかねて〉(卓池『柏青舎聞書』)と、その際の心情を吐露する。「思う」ということ、これはできそうでできない詩作の要諦のひとつ。詠作の背景に、「山鳥のほろほろと鳴く声きけば父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ」(伝行基・玉葉・釈教)、「子を思ふきじはなみだのほろろ哉」(山之井)が指摘されている。
    「ちゝはゝのしきりにこひし雉の声」…高野山にあって雉子の声を聞いていると、今は亡き父母を恋う気持ちがつのるばかりであるという意。
    2 荒川区内
    ⑴ 《南千住駅西口広場》芭蕉像
       《所在地》:荒川区南千住4-5 「南千住駅:西口駅前広場」
    ⑵ 《素盞雄神社》「奥の細道矢立初めの句碑」
    松尾芭蕉『奥の細道』矢立初め(旅立ち)となった有名な一節です。「矢立(やたて)」とは、携行用の筆記具のことを意味します。文政3年(1820年)10月12日の芭蕉忌に際し、江戸随一の儒学者で書家としても高名な亀田鵬斎が銘文を、文人画壇の重鎮である谷文晃の弟子で大川(現:隅田川)の対岸関屋在住の「建部巣兆」が座像を手がけるなど、千住宿に集う文人達により建てられました。建碑以来百七十有余年、永年の風雨により剥落損傷が激しく判読できないために、平成7年「素盞雄神社」御鎮座 1200年祭に際し復刻し、これを契機に全国俳句大会をはじめ様々な俳句興隆事業が行われています。
      《所在地》:荒川区南千住6-60-1
    投稿日:2022年8月29日
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  • ハイク
    東京都2,488件の投稿
    御殿坂から谷中銀座商店街へ下る階段のことです。「夕焼けだんだん」と呼ぶ愛称がかわいいですね。今日の夕日はどこに落ちるのかな?
    投稿日:2022年12月11日
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  • Capri0119
    相模原市, 神奈川県971件の投稿
    小学校の時乗った車両がありました。
    和製PCCカー5000系は上野駅ー品川駅の1系統に走っていて、見かけると乗っていました。
    7500系もちょくちょく乗っていました。
    懐かしい友達に会ったような気持ちになりました。
    投稿日:2022年4月27日
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  • v35p_trip
    札幌市, 北海道14,074件の投稿
    こちらは西日暮里駅から西日暮里公園を通り第一西日暮里小学校のさくら門から少し行ったところにある神社です。(ちょうど西日暮里駅を見下ろすような位置にありませす)
    境内は綺麗に整備されており、静寂につつまれていました。
    投稿日:2020年5月23日
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  • LTB511
    日本30,806件の投稿
    南千住駅からすぐ。
    1667年に行路病死者、小塚原刑場の刑死者を供養するために創建。当時の名称は「常行堂」。門の脇には有名な誘拐事件「吉展ちゃん事件」の犠牲者を供養するために建立された「吉展地蔵尊」がある。本堂は1974年築で鉄筋コンクリート造。杉田玄白や前野良沢らが刑死者の腑分けに立ち会った場所で、それが「解体新書」の翻訳へと繋がったことから本堂の壁には「観臓記念碑」が埋め込まれている。また墓地の一画には、吉田松陰、鼠小僧(次郎吉)などの歴史的人物の墓、珍しいところではカール・ゴッチ(プロレスラー)の墓がある。
    投稿日:2022年8月30日
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  • ミノムシ生活
    11,626件の投稿
    仏塔と観音像が合体したような寺院の建築はなかなかのアバンギャルドさでした。境内には上野寛永寺から移設された黒門が残されており、こちらは文化財として見ものと思います。
    投稿日:2019年7月26日
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  • toshbeth
    中野区, 東京都5,125件の投稿
    隅田川沿いの道沿いにあります 白鬚橋の近く 南千住駅からは1km以上ありそうです 駐車スペースは50代以上 広い境内には 神社が6 碑や塚も多数有ります 神輿の倉庫もあります 平日の朝 気持ちのいい空間です
    投稿日:2019年10月17日
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  • アカド
    東京都1,022件の投稿
    町屋駅から歩いて数分のところにあります。荒川自然公園の隣にあります。桜の時期になるとライトアップされてとてもキレイです。
    投稿日:2020年2月23日
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  • junjun
    東京23区, 東京都3,596件の投稿
    荒川区南千住駅前にある「松尾芭蕉像」についての情報を発信していきます。「東京メトロ日比谷線」の場合は北口改札口から出て、「JR常磐線」、「つくばエックスプレス線」の西口に向かいます。西口を出たところに「南千住駅西口駅前広場」あります。横断歩道がありますのでそれを渡ると「松尾芭蕉像」があります。南千住駅前にある「松尾芭蕉像」は、8月24日と8月28日の二回訪れました。それには訳があります。投稿した写真を見ていただくとお分かりになると思いますが、このコロナの感染の影響かどかは定かではありませんが、8月24日に訪れたときは、なんと「松尾芭蕉像」にマスクがしてありました。やはり、写真を撮るならマスクをしていない「松尾芭蕉像」がいいと思い、再度8月28日に訪れてみました。ラッキーなことにマスクは取り外されていました。足立区には「千住大橋公園」に、荒川区では「矢立初めの地」を主張し、南千住の素盞雄神社(すさのおじんじゃ)境内には、「行く春や鳥啼魚の目は泪」が刻まれた句碑が建立されており、南千住駅前には、句を詠む松尾芭蕉の銅像が建てられています。難しい問題ですが、足立区も荒川区も俳句のコンテストを毎年何らかの形で実施しているということです。松尾芭蕉の残した歴史と文化の足跡を今でも両区では受け継いでいるので、それは素晴らしいことと思います。今回は、「松尾芭蕉」に関連する句碑等の設置場所も調べましたので合わせて情報提供していきたいと思います。関連の写真も投稿してありますのでどうか見ていただき旅の参考にしてください。

    01_【アクセス】
    ★ 電車を利用して「松尾芭蕉像」へ
     ⑴ 「東京メトロ日比谷線」
       「北千住方面」からなら一番後ろの車両、「上野方面」からなら先頭車両に乗り、北口改札口を出たら左折し、「JR常磐線」と「つくばエックスプレス線」の西口出口に進めば目の前が「南千住駅西口駅前広場」です。
     ⑵ 「JR常磐線」…改札口を出て右折すれば、目の前が「南千住駅西口駅前広場」です。
     ⑶ 「つくばエックスプレス線」…改札口を出て左折すれば、目の前が「南千住駅西口駅前広場」です。

    02_【「松尾芭蕉像」の一口メモ】
    ★ 住所:〒116-0003 東京都荒川区南千住4-5 「南千住駅:西口駅前広場」

    03_【「松尾芭蕉像」の歴史と概要】
    元禄二年(1689年)三月二十七日、松尾芭蕉が「奥の細道」600里の旅の始まりの句を詠んだといわれている場所が「奥の細道矢立初めの地」です。松尾芭蕉は1689年(元禄2年)3月27日に弟子の曾良を伴って深川(江東区)から船で遡上して千住付近に降り立ち、陸奥へと旅立ちました。芭蕉の俳文紀行「奥の細道」には、「千じゆと云所にて船をあがれば前途三千里のおもひ胸にふさがりて幻のちまたに別離の泪をそゝく」、「行春や鳥啼魚の目は泪」と旅立ちの地である千住の情景が記されています。
    ① 「芭蕉とおくの細道」のについて7
       元禄二年(1689年)に俳人松尾芭蕉(1644~94年)は「おくの細道」紀行に出発しました。46歳の芭蕉は156日間にわたり関東、東北、北陸から東海の各地、行程2400㎞を旅しました。亡くなる51歳まで俳諧紀行文「おくの細道」を執筆、没後の元禄15年(1702年)に出版され、現在、日本はもとより世界の名作紀行文として知られています。
    ② 「矢立の初の地」
      「元禄2年3月21日(1689年5月16日)塾、俳人松尾芭蕉は江戸深川の居所から隅田川を遡って、千住宿で舟から上がりおくの細道の旅に出発しました。“行春や鳥啼き魚の目ハ泪”芭蕉はこの句を“矢立の初め”(旅の筆の初め)とし、江戸と別れて旅立った様子を記しました。

    04_【「松尾芭蕉像施設案内」】
    ⑴ 「松尾芭蕉像」
    ⑵ 「松尾芭蕉像」と周辺スポット案内板

    05_【「松尾芭蕉」関連の句碑等の紹介】
    1 足立区区内
    ⑴ ⦅千住宿奥の細道プチテラス内⦆芭蕉石像
    この石像は地元の千住大賑い会の呼びかけによって、芭蕉生誕360年にあたる平成16年(2004年)の12月12日に建立されました。
       《所在地》:足立区千住橋戸町50(千住宿奥の細道プチテラス内)
    ⑵ ⦅大橋公園内⦆矢立初の碑
    奥の細道は、江戸深川(現江東区)から奥州・北陸などを巡り、美濃国大垣(現岐阜県大垣市)にいたる約5か月におよぶ旅を題材にした作品で、元禄7(1694)年に成立しました。旧暦の元禄2年3月27日(新暦では1689年5月16日)に深川から船で千住に赴いた松尾芭蕉は、多くの門人たちが見送る中、河合曽良をともなって旅立ちました。奥の細道には、千住で詠んだ矢立初めの句「ゆく春や鳥啼魚の目は泪」が載せられています。この句は、編さん時の句であり、実際の千住来訪時の作は「鮎の子のしら魚送る別哉(わかれかな)」であったという研究があります。「ゆく春や…」の「魚」、「鮎の子の…」の「しら魚」は千住の名産である「白魚」を詠みこんでいることでも知られています。
    「ゆく春や鳥啼魚の目は泪」…春が過ぎ去ろうとしているところに、旅立つ別れを惜しんでいたら、鳥たちは悲しそうに鳴き、水の中の魚も涙をためているではないか。より悲しみが沸き上がってくる。
    「鮎の子のしら魚送る別哉」…白魚は、旧暦2月頃に産卵のために川を上る。鮎は、その1ヶ月ぐらい後に遡上すると言われている。芭蕉と曾良を白魚に、千住まで見送りに来た門弟達を鮎に見立てた。
       《所在地》:足立区千住橋戸町千住大橋北詰(大橋公園内)
    ⑶ ⦅千住神社境内⦆芭蕉句碑:『ものいへば唇さむし秋の風』
    慶応3年(1867年)建立。芭蕉の座右の銘として知られる「人の短を云うことなかれ己の長をとくことなかれ」の部分と標題句が記されています。典拠となった「芭蕉庵小文庫」(元禄9年・1696年)の一つは郷土博物館に保存されています。また、「物いへば唇寒し秋の風」の創作年代は未詳。
    「物いへば唇寒し秋の風」…人の短所を言ったあとは、後味が悪く、寂しい気持ちがする。転じて、何事につけても余計なことを言うと、災いを招くということ。
       《所在地》:足立区千住宮元町24-1(千住神社境内)
    ⑷ ⦅千住本氷川神社境内⦆芭蕉句碑:『春もややけしきととのふ月と梅』
    奥の細道300年を記念して、平成3年(1991年)に建立。もともと文久3年(1863年)の句碑が本社境内にあったが、破損防止のため、郷土博物館に移設保存されました。句は元禄6年(1693年)の旧碑と同じ句が記されました。
    「春もややけしきととのふ月と梅」…長い冬が過ぎ去って、梅が咲き始めた。 それだけでも十分春を喜ぶのだが、加えて月も出た。これで早春の役者は十分に揃ったのである。 おだやかな季節の移り変わりをゆったりと画と句に表現する。
       《所在地》:足立区千住3-22(千住本氷川神社境内)

    ⑸ ⦅安養院境内⦆芭蕉句碑:『ゆく春や鳥なき魚の目は泪』
    昭和29年(1954年)建立。俳人の岡本機柳還暦記念として、建立されました。機柳は、千住河原町の俳人、為成菖蒲園が師事したことでも知られています。
    「ゆく春や鳥啼魚の目は泪」…春が過ぎ去ろうとしているところに、旅立つ別れを惜しんでいたら、鳥たちは悲しそうに鳴き、水の中の魚も涙をためているではないか。より悲しみが沸き上がってくる。

       《所在地》:足立区千住5-17-9(安養院境内)
    ⑹ ⦅学びピア21内⦆芭蕉坐像
    芭蕉の生地・三重県伊賀上野にある「俳聖殿」に置かれた芭蕉翁陶像と同じものが、この足立区にもあるのをご存知でしょうか?この坐像は、昭和49年(1974年)10月、千住大橋北詰に「史跡おくのほそ道矢立初の碑」が建立されたのを祝って、川崎康子氏から足立区に寄贈されました。昭和17年(1942年)、芭蕉の生誕地、伊賀上野(三重県伊賀市)に俳聖殿建立の際、伊賀焼で芭蕉の坐像を「正副」二体製作し、堂内におさめられました。本像は万一に備えて焼かれた「副」です。像の原型は、乃木希典将軍の甥にあたる帝国芸術院会員の彫刻家・長谷川栄作氏の作で重さは約400kgあります。平成21年から千住新橋そばの「学びピア21」の1階隅にひっそりと置かれていました。足立区とは切っても切れない芭蕉であることから、放置されたままのこの像を「もっと目立つ所に置いて、千住と足立のシンボルにしよう!」とアピールするため「千住の芭蕉翁を顕彰する会」(飯島弘会長)が、「足立史談会」(堀川和夫会長)の呼びかけで2年前の5月に結成された。同会は、北千住駅前や芭蕉が歩いた旧日光街道沿いの公園など何カ所かの候補地を挙げて運動したが、結局適当な場所が見つからないまま今日に。この7月、同会の強い要望でエントランスの隅に置かれていた陶像は、図書館入口付近(入口を入って直ぐの右側)の中央に移動され、「おくのほそ道」工程図と解説板が付けられました。
    ① 「芭蕉とおくの細道」の解説板
       「元禄二年(1689年)に俳人松尾芭蕉(1644~94年)は「おくの細道」紀行に出発しました。46歳の芭蕉は156日間にわたり関東、東北、北陸から東海の各地、行程2400㎞を旅しました。亡くなる51歳まで俳諧紀行文「おくの細道」を執筆、没後の元禄15年(1702年)に出版され、現在、日本はもとより世界の名作紀行文として知られています。」と内容の解説文
    ② 「矢立の初の地;千住」
      「元禄2年3月21日(1689年5月16日)塾、俳人松尾芭蕉は江戸深川の居所から隅田川を遡って、千住宿で舟から上がりおくの細道の旅に出発しました。“行春や鳥啼き魚の目ハ泪”芭蕉はこの句を“矢立の初め”(旅の筆の初め)とし、江戸と別れて旅立った様子を記しました。」という内容の解説文
       《所在地》:足立区千住5-13-5(学びピア21内)

    ⑺ ⦅足立成和信用金庫本店前⦆芭蕉像(チェーンソーカービングの芭蕉像)
    「私松尾芭蕉は三百三十年前、元禄二年三月二十七日(旧暦)にここ千住を矢立て初めの地としておくの細道の旅に出ました。道中三日目、鹿沼につき、笠を新調して古い笠は光太寺に置いて翌日日光に向かいました。その笠を供養していただいたお寺の笹塚には、私たちの弟子も訪ねてくれたようです。鹿沼では、今も毎年五月に芭蕉の笠替え行事が行われています。また、私は鹿沼で“入りあいのかねもきこえはすはるのくれ“と詠みましたが、その句碑を屋台の町中央公園内に建てていただきました。私は蕎麦やこんにゃくが好きでした。どちらも鹿沼の特産ですが、あの時食べたかどうかは忘れてしまいました。今は、”芭蕉の蕎麦餅“や”芭蕉の蕎麦ご膳“というメニューもあるそうです。そして鹿沼は”木のまち“。この像の素材は鹿沼産の杉、チェーンソーアーティスト小林哲二さんにチェーンソーだけで彫りだしてもらいました。鹿沼市内にはこのような私の木像が五か所に設置されています。足立区と鹿沼市は友好都市(平成四年提携)です。両区市民のスポーツや文化の交流、企業や団体の交流も盛んになりました。私は三日かかりましたが、今は東武鉄道の特急で三駅目、東北自動車道でも短時間です。自然、グルメ、祭りやイベントなど魅力いっぱいの鹿沼に旅し、芭蕉像にも会いに行ってください。私は、三百三十年ぶりに旅立ちの地に立って両区市の繁栄と道行く人々の旅の安全を祈っています。』
       《所在地》:足立区千住1-4-16(足立成和信用金庫本店前)

    ⑻ ⦅西新井大師⦆芭蕉句碑:『ちゝはゝのしきりにこひし雉の声』
      天保十二年(1841)芭蕉の弟子たちが句会を開いたとき、この句碑を建てたもの。西新井大師光明殿にあります。江戸時代の句碑には思えないほど保存状態が良いです。
       《所在地》:足立区西新井1-15-1
    高野山にあって雉子の声を聞いていると、今は亡き父母を恋う気持ちがつのるばかりである、という意。芭蕉が高野山に詣でたのは四十五歳の三月(陽暦四月下旬)。前月中旬には伊賀の実家に帰り、亡父三十三回忌法要を営んでいた。高野山は空海が開いた真言宗の霊地で、芭蕉は〈此の処は多くの人のかたみの集まれる所にして、我が先祖の〔鬢髪〕をはじめ、したしくなつかしきかぎりの白骨も、このうちにこそおもひこめつれと、袂もせきあへず、そゞろにこぼるゝなみだをとゞめかねて〉(卓池『柏青舎聞書』)と、その際の心情を吐露する。「思う」ということ、これはできそうでできない詩作の要諦のひとつ。詠作の背景に、「山鳥のほろほろと鳴く声きけば父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ」(伝行基・玉葉・釈教)、「子を思ふきじはなみだのほろろ哉」(山之井)が指摘されている。
    「ちゝはゝのしきりにこひし雉の声」…高野山にあって雉子の声を聞いていると、今は亡き父母を恋う気持ちがつのるばかりであるという意。

    2 荒川区内
    ⑴ 《南千住駅西口広場》芭蕉像
       《所在地》:荒川区南千住4-5 「南千住駅:西口駅前広場」
    ⑵ 《素盞雄神社》「奥の細道矢立初めの句碑」
    松尾芭蕉『奥の細道』矢立初め(旅立ち)となった有名な一節です。「矢立(やたて)」とは、携行用の筆記具のことを意味します。文政3年(1820年)10月12日の芭蕉忌に際し、江戸随一の儒学者で書家としても高名な亀田鵬斎が銘文を、文人画壇の重鎮である谷文晃の弟子で大川(現:隅田川)の対岸関屋在住の「建部巣兆」が座像を手がけるなど、千住宿に集う文人達により建てられました。建碑以来百七十有余年、永年の風雨により剥落損傷が激しく判読できないために、平成7年「素盞雄神社」御鎮座 1200年祭に際し復刻し、これを契機に全国俳句大会をはじめ様々な俳句興隆事業が行われています。
      《所在地》:荒川区南千住6-60-1
    投稿日:2022年8月28日
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  • v35p_trip
    札幌市, 北海道14,074件の投稿
    宮ノ前駅の目の前にある神社です。
    創建は不詳であるが、鎌倉時代末期の1312(正和元)年、幕府により小具郷(尾久一帯の旧地名)が鶴岡八幡宮に神領として寄進されており、この頃以降に鶴岡八幡宮から分祀され創建されたとみられているそうです。
    境内は綺麗に整備されており、七五三のお参りに来ていました。
    投稿日:2020年12月12日
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  • togoshioyaji
    東京23区, 東京都959件の投稿
    町屋光明寺プロジェクトの仏像撮影会に参加しました。今回はスケッチ会との共催で、ご住職の法話をうかがったあと、ご仏像をまじかにおがみ撮影させて頂きました。

    町屋光明寺のご本尊の阿弥陀如来像、岐阜の光明寺本坊からの千手観音像、平成の仏像である孔雀明王像、どちらも優しい面立ちでした。平成から令和に南無阿弥陀。
    投稿日:2019年4月28日
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  • きしもと
    川口市, 埼玉県2,387件の投稿
    仁王門と観音様 六地蔵が待っている
    境内改装中か? 業者が出入りしていた
    奥まであり境内広い 真言書いてあり見ながら唱える 趣のあるお寺だった
    投稿日:2020年6月25日
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荒川区に関するよくある質問