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旅行者の口コミ
- Navigate51320905021渋谷区, 東京都8件の投稿平日でしたが、桜開花時期なのか人出が多い感じがしました。公園内にデザインサイトがあり展示もされているようです、オブジエもちらほら、また建物内の各階と柱にオブジエが展示されています、サントリー美術館、高級ショップ
スーパー、食事処など、1日いても飽きないおしゃれなスポットではないでしょうか。投稿日:2024年4月2日この口コミはTripadvisor LLCのものではなく、メンバー個人の主観的な意見です。 トリップアドバイザーでは、投稿された口コミの確認を行っています。 - 鶴田 直己日本8,396件の投稿クリストとジャンヌ=クロードの「包まれた凱旋門」を拝観してきました。こちらの企画展は映像資料での展示が多いため、全て通して観ると約2時間の所要時間になります。展示内容としては両氏の悲願の夢であったプロジェクト「包まれた凱旋門」について、その製作背景や過程に焦点を当てた内容になります。
私自身今回の展示を観るまでは、凱旋門にその様なプロジェクトがあったことを知りませんでした。16日間という短い開催期間でありながら、60年という長い年月をかけた壮大なプロジェクトで、その規模の大きさに圧倒されながら拝観しました。単に映像展示と言えども、巨大なスクリーンと小さなスクリーンの組み合わせで見せ方が上手いなと思いました。映像展示の中ではライトアップされた凱旋門の姿も見られて、大変美しいなと印象に残りました。展示の中には布とロープで包まれた巨大な柱を模したものがあり、あたかもそこに凱旋門があるかの様な感じを味わえて良かったなと思います。
見学を終えるとギャラリー3の方で、ショップの方を見て回りました。品揃えの方はもう少し充実して欲しいなと思うラインナップでした。その他、補足情報です。入館時に手荷物の預かりサービスがありますので、利用させていただき助かりました。投稿日:2022年8月13日この口コミはTripadvisor LLCのものではなく、メンバー個人の主観的な意見です。 トリップアドバイザーでは、投稿された口コミの確認を行っています。 - junjun東京都心, 東京都26,229件の投稿港区赤坂六丁目にある「赤坂氷川神社」についての情報を発信していきます。今回、「赤坂氷川神社」を訪れたのは2023年12月27日です。「赤坂氷川神社」へは、東京メトロ南北線「六本木一丁目駅」が最寄り駅ですが、今回は、「赤坂氷川神社」と忠臣蔵で有名な「南部坂」を途中で見ることを予定していたので、都営大江戸線「六本木駅」を利用しました。東京メトロ日比谷線・都営大江戸線「六本木駅」の6番出口を出て、左方向に350mほど道なりに進むと突き当りになります。途中の左手に「檜町公園」があります。突き当りを左折100mほど進むとまた突き当りになります。そこを左折し、250mほど進むと左手に「赤坂氷川神社」の入口があります。
「赤坂氷川神社」は、港区赤坂にある「氷川神社」で、大都会の赤坂にありながら、江戸時代の面影を残しています。例えば、江戸の年号が刻まれた石碑、灯籠、7対の狛犬と歴史を感じさせる遺産など、江戸時代の歴史が感じられる境内が残っています。「赤坂氷川神社」の歴史と概要を紐解いてみると、「赤坂氷川神社」の創建年代は不詳ですが、天暦5年(951年)に東国を遊行していた「蓮林僧正」が、現在の赤坂4丁目付近の「一ツ木村」で一夜を明かすと夢の中で御祭神のお告げがあり、この地に「氷川明神」の「社殿」を建てお祀りをしたことにはじまります。また、100年後の治暦2年(1066年)の夏の、関東一円を襲った大旱魃があり、苦しむ村人たちが「氷川明神」に雨乞いの祈願をするとたちまち雨が降りはじめたという話も残っています。そして、江戸時代には第8代将軍「徳川吉宗」から篤い崇敬を受け、以後は徳川将軍家より庇護されました。「徳川吉宗」の命によって造営された社殿が現存しています。歴史を振り返ってみれば、現在までに「安政の大地震」、「関東大震災」、「東京大空襲」などがあったにもかかわらず、それらの被災を免れているのは奇跡的とも言えるのではないでしょうか。「氷川」の名称の由来は、出雲国「簸川」(現在の島根県斐伊川)にあるとされ、「簸川」の上流は御祭神「素盞嗚尊」の「八岐大蛇退治」の舞台と伝えられています。
《「赤坂氷川神社」のお薦め参拝巡路》
①「力石」⇒②「大銀杏」⇒③「包丁塚」⇒④「九神社」⇒⑤「山口稲荷」⇒⑥「桶新稲荷」⇒
⑦4基の「石灯籠」⇒⑧「社殿」⇒⑨「縁結ひ」⇒⑩「山車展示場」⇒⑪「四合稲荷」⇒⑫「西行稲荷」⇒
⑬「太鼓橋」⇒⑭「苗村翁頌徳碑」
それでは、早速「赤坂氷川神社」の境内に足を踏み入れます。「赤坂氷川神社」には、南側と東側に二つの「一の鳥居」があります。江戸時代には、東側の「一の鳥居」から入るのが正式なルートであったそうですが、現在では、南側の「一の鳥居」から入るのが一般的というらしいです。赤坂方面から来ると東側の「一の鳥居」が近く、六本木方面からは南側の「一の鳥居」が最寄りとなります。私は、都営大江戸線「六本木駅」を利用したので、南側の「一の鳥居」をくぐりました。
《「力石」》
「一の鳥居」をくぐると右手に「港区立氷川神社遊び場」があり、左手に「力石」があります。江戸時代から明治時代まで鍛錬や娯楽として「力石」を用いた力試しが盛んに行われたといわれています。境内の土中から発見された力石には「三拾五貫目」(約130kg)と刻まれていました。「力石」は、平成7年(1995年)3月27日に港区登録有形民俗文化財に指定されました。
《「大銀杏」と「包丁塚」》
「一の鳥居」の参道を進むと、右手の緑地に「大銀杏」と「包丁塚」があります。「赤坂氷川神社」の「大銀杏」は推定樹齢400年で、幹の周囲は約7.5mにもなります。「社殿」が現在の地に建立された享保15年(1730年)には、すでに100年を超える樹齢をであったと考えられています。そして、裏から見るとかなりダメージを負っていますが、これは昭和20年(1945年)の東京大空襲によるものです。平成6年(1994年)に港区天然記念物に指定されました。
「包丁塚」とは、料理人の使い古した包丁を納め、その恩恵に感謝するとともに、調理した動物や魚の霊を慰めるものです。境内の「包丁塚」は、赤坂青山料飲組合が使わなくなった包丁を奉納したもので、昭和49年(1974年)11月に赤坂青山料飲組合によって建立されました。傍らの左側には、「包丁塚30周年記念」の碑も建てられています。
《「九神社」》
「一の鳥居」の参道に戻り、少し進むと左手に「九神社」があります。「九神社」は、かつて境内の各所に鎮座していた「天祖神社」、「春日神社」、「鹿島神社」、「八幡神社」、「諏訪神社」、「秋葉神社」、「厳島神社」、「金刀比羅神社」、「塞神社」の9社を合祀した神社です。それぞれの神社への遥拝所として役割がありました。戦前は仲ノ町小学校(現在の赤坂小学校)に鎮座していましたが、戦後に「赤坂氷川神社」の境内に遷座されました。
《「山口稲荷」と「桶新稲荷」》
「三の鳥居」の手前の道を左方向進むと「社殿」の左側に、「山口稲荷」と「桶新稲荷」があります。
「山口稲荷」は、終戦後、赤坂3丁目にあった山口邸から遷された神社です。鳥居には享保3年(1718年)銘があり、向かって右側の水盤には文化10年(1813年)、左側の水盤には嘉永4年(1851年)、狛犬の台座には文政8年(1825年)の文字が刻まれていています。
「桶新稲荷」は「社殿」の左手の「山口稲荷」の先にあります。「稲荷社」の主祭神である「宇迦之御魂」は稲の神で、古来は農業神として信仰をされてきました。時代が下り産業が発展すると、「稲荷神」の神格は諸産業の守護神として拡大しました。江戸時代、江戸市中では稲荷神の勧請が盛んに行われたようです。赤坂5丁目の「桶屋」の稲荷もそのうちの一社で、戦後「赤坂氷川神社」に遷されたと伝えられています。
《4基の「石灯籠」》
「三の鳥居」まで戻り、さらに先に進むと「手水舎」があり、「楼門」の両側には、平成7年(1995年)3月27日に港区の登録有形文化財に指定された4基の「石灯籠」があります。「楼門」前に安置されている灯籠は、遷座を担当していた老中「水野忠之」が「社殿」の完成を記念して奉納したものです。
《社殿》
「社殿」は、享保15年(1730年)に八代将軍「徳川吉宗」の命より建立されました。この「社殿」は、「本殿」、「幣殿」、「拝殿」の三つの建物が一体となった、いわゆる権現造りの形式です。当時は幕府による倹約政策が進められていたため、「社殿」には質実かつ簡素な気風が表れています。通常は将軍の寄進するような社寺であれば、軒下の組物を何重にも重ねたり、彫刻や彩色などで飾り立てたりするのですが、この「社殿」の組物は簡素で、彫刻も目立ちません。ただ、将軍の寄進だけあって、大きな「雲形組物」や「吹寄せ垂木」など重厚な意匠を取り入れる工夫もなされています。昭和51年(1976年) 7月1日に東京都の有形文化財(建築物)に指定されています。
《縁結ひ》
縁結びにまつわる「縁結ひ」は、「楼門」をくぐってすぐ左手にあります。実は、「宮神輿庫」になっていた一画でしたが、「山車庫」が完成したため令和5年(2023年)に再整備して、縁結び祈願の「縁結ひ」となりました。日本には願いをしたためた紙を社寺の格子に結い、縁結びを願う風習がありました。「赤坂氷川神社」ではこの風習にちなみ、季節の和紙に願い事を書き、その成就を祈る「縁結ひ」を行っています。季節の色の和紙を結い願い事の成就を祈るそうです。
《山車展示場》
「社殿」の右手には、「山車展示場」があります。「山車展示場」では、全国的にも貴重な「江戸型山車」を展示しています。「山車展示場」は、以前駐車場だった一画で、駐車場が別に整備され、令和3年(2021年)9月に「山車展示場」が完成しました。展示されている山車は、全国的にも珍しい「三層型」構造で、高さは7mほどあります。江戸一番の祭は「山王日枝」、「神田明神」の天下祭でしたが、最盛期の「赤坂氷川祭」はそれに次ぐ規模だったそうです。「山車」は、徳川将軍も観るので、江戸城内まで挽き回しがされ、その際、城門をくぐすために最上部の人形が上下するカラクリを備えていました。それが江戸型山車の最大の特徴だそうです。ちなみに、右側の「山車」は「猿」で弘化2年(1845年)に制作されたものです。左側の「山車」は「頼義」で弘化三年(1846)に松雲斎徳山によって製作されました。
《「四合稲荷」》
次は、「四合稲荷」です。「二の鳥居」をくぐり石段を降りると左手に「四合稲荷」と「西行稲荷」が並ぶようにして建っています。「四合稲荷」の名前の由来は、明治31年(1898年)に「赤坂氷川神社」の近くにあった「古呂故稲荷」、「地頭稲荷」、「本氷川稲荷」、「玉川稲荷」の4社を合祀したことに由来します。また、「赤坂氷川神社」の周辺には勝海舟の屋敷跡や住んでいた跡があります。そして、「勝海舟」により「四社を合祀」、幸福の「しあわせ」、「志を合わせる」をかけ、「四合稲荷」と命名されました。その後、大正14年(1925年)に「鈴降稲荷」と「縁起稲荷」を合祀し、さらに昭和9年(1934年)に「明徳稲荷」を合祀しています。
《西行稲荷》
「四合稲荷」の奥にあるのが「西行稲荷」です。「西行稲荷」は、文政年間の文政8年(1825年)から文政11年の間に調査された「町方書上」のによると、もともとは赤坂田町4丁目にあったようです。町内自身番屋敷地内にあった祠堂で本社は6尺に7尺5寸、拝殿2間4方で前方に3尺に6尺の向拝があったそうです。同5丁目に住んでいた「西行五兵衛」という男が、甲冑を身にまとい、弓矢を携えて狐に乗った姿の鉄の像を拾い、御神体として安置したことが創建の由来と伝えられ、別名「火伏の稲荷」として信仰されてきました。火災除の御神徳があるといわれています。そして、「西行稲荷」は、大正10年(1921年)9月「赤坂氷川神社」境内に遷座してきました。
《太鼓橋》
一の鳥居の参道をはさんで「四合稲荷」の反対側に「太鼓橋」があります。高い木々に囲まれ、なかなか風情のある場所で、心を休めることができました。「太鼓橋」の奥には、「苗村翁頌徳碑」もありました。
《一の鳥居(東側)》
最後が「一の鳥居」(東側)です。江戸時代はこちらが正式な入口でした。「一の鳥居」(東側)には「御即位記念 寄附 苗村又右衛門」の銘があり、大正4年(1915年)11月の大正天皇即位の礼に合わせて、氏子惣代の「苗村又右衛門」から奉納されたものです。
そして、最後は東側の「一の鳥居」をくぐると「氷川神社」から命名した「氷川坂」に出ます。
01_【「赤坂氷川神社」の一口メモ】
⑴ 所在地…〒107-0052 東京都港区赤坂6丁目10−12 電話 03-3583-1935
⑵ 開門時間…6:00 社務所受付…9:00~17:00 閉門時間…17:30
⑶ 「赤坂氷川神社」の概要
①社号…赤坂氷川神社 ②御祭神…素盞嗚尊、奇稲田姫命、大己貴命
③境内社…四合稲荷神社、九殿社、稲荷神社三社
⑷ 御神徳…厄除 縁結び 家内安全 商売繁昌
⑸ 「赤坂氷川神社」の文化財等
①氷川神社社殿…東京都指定文化財、昭和51年(1976年)7月1日
②奉納絵馬7点…東京都港区指定文化財、平成16年(2004年)10月26碑
③氷川神社の石燈籠四基…東京都港区指定文化財、平成7年(1995年)3月27日
④氷川神社のイチョウ…東京都港区指定文化財、平成6年(1994年)9月27日
⑤祭礼山車行列額絵…東京都港区指定有形文化財、平成11年(1999年)10月12日
⑥旧紀州家 櫓太鼓…東京都港区指定有形文化財歴史資料、平成10年(1998年)4月9日
⑦御祭礼番附留…東京都港区指定有形文化財古記録、平成3年(1991年)10月9日
⑧徳川将軍家朱印状 付目録・条目・写し(7通)…港区指定有形文化財古記録、昭和62年(1987年)10月28日
⑨月岡芳年筆「ま」組火消し絵馬…東京都港区指定有形文化財絵画、平成5年(1993年)9月28日
⑩力石…東京都港区指定有形文化財、平成7年(1995年)3月27日
02_【「赤坂氷川神社」へのアクセス】
⑴ 電車を利用して「赤坂氷川神社」へ
①東京メトロ千代田線「赤坂駅」6番出口から徒歩8分550m
②東京メトロ日比谷線「六本木駅」7番出口から徒歩9分650m
③ 都営大江戸線「六本木駅」7番出口から徒歩9分650m
④ 東京メトロ南北線「六本木一丁目駅」1番出口から徒歩10分650m
⑤ 東京メトロ銀座線「溜池山王駅」12番出口から徒歩10分650m
⑵ バスを利用して「赤坂氷川神社」へ
⑥ 都バス 六本木四丁目
① [渋谷駅前] ⇒[新橋駅前]≪都営バス:都01≫
・バス乗り場:「新橋駅前」(1番のりば)
・7停留所目(「六本木駅前」の次の停留所) 所要時間約18分
・9時から17時の間に1時間平均12便~16便
・「六本木四丁目」停留所で下車し「赤坂氷川神社」まで徒歩7分450m
② [新橋駅前] ⇒[渋谷駅前]≪都営バス:都01≫
・バス乗り場:「新橋駅駅前(東口)」(4番のりば)
・9停留所目(「本木一丁目駅前」の次の停留所) 所要時間約20分
・9時から17時の間に1時間平均12便~16便
・「六本木四丁目」停留所で下車し「赤坂氷川神社」まで徒歩7分450m
03_【「赤坂氷川神社」の見どころ】
⑴ 「社殿」
享保15年(1730年)に八代将軍「徳川吉宗」の命より建立されました。この「社殿」は、「本殿」、「幣殿」、「拝殿」の三つの建物が一体となった、いわゆる権現造りの形式です。当時は幕府による倹約政策が進められていたため、「社殿」には質実かつ簡素な気風が表れています。通常は将軍の寄進するような社寺であれば、軒下の組物を何重にも重ねたり、彫刻や彩色などで飾り立てたりするのですが、この「社殿」の組物は簡素で、彫刻も目立ちません。ただ、将軍の寄進だけあって、大きな「雲形組物」や「吹寄せ垂木」など重厚な意匠を取り入れる工夫もなされています。また全体は朱塗漆としながら、部分的に黒漆塗や黒色金具を用いることで引き締まった印象となっています数多くの戦災・震災を免れ、建立当時の姿を現代に伝えており、昭和51年(1976年) 7月1日に東京都の有形文化財(建築物)に指定されています。
⑵ 「四合稲荷」
「四合稲荷」は、東側にある「一の鳥居」をくぐるとすぐ右手にあります。「四合稲荷」の名前の由来は、明治31年(1898年)に「赤坂氷川神社」の近くにあった「古呂故稲荷」、「地頭稲荷」、「本氷川稲荷」、「玉川稲荷」の4社を合祀したことに由来します。また、「赤坂氷川神社」の周辺には勝海舟の屋敷跡や住んでいた跡があります。そして、「勝海舟」により「四社を合祀」、幸福の「しあわせ」、「志を合わせる」をかけ、「四合稲荷」と命名されました。その後、大正14年(1925年)に「鈴降稲荷」と「縁起稲荷」を合祀し、さらに昭和9年(1934年)に「明徳稲荷」を合祀しています。
⑶ 「西行稲荷」
「四合稲荷」の奥にあるのが「西行稲荷」です。「西行稲荷」は、文政年間の文政8年(1825年)から文政11年の間に調査された「町方書上」のによると、もともとは赤坂田町4丁目にあったようです。町内自身番屋敷地内にあった祠堂で本社は6尺に7尺5寸、拝殿2間4方で前方に3尺に6尺の向拝があったそうです。同5丁目に住んでいた「西行五兵衛」という男が、甲冑を身にまとい、弓矢を携えて狐に乗った姿の鉄の像を拾い、御神体として安置したことが創建の由来と伝えられ、別名「火伏の稲荷」として信仰されてきました。火災除の御神徳があるといわれています。そして、「西行稲荷」は、大正10年(1921年)9月「赤坂氷川神社」境内に遷座してきました。
⑷ 「九神社」
「九神社」は、正面参道の途中の左手にあります。「九神社」は、かつて境内の各所に鎮座していた「天祖神社」、「春日神社」、「鹿島神社」、「八幡神社」、「諏訪神社」、「秋葉神社」、「厳島神社」、「金刀比羅神社」、「塞神社」の9社を合祀した神社です。それぞれの神社への遥拝所として役割がありました。戦前は仲ノ町小学校(現在の赤坂小学校)に鎮座していましたが、戦後に「赤坂氷川神社」の境内に遷座されました。
⑸ 「桶新稲荷」
「桶新稲荷」は「社殿」の左手の「山口稲荷」の先にあります。「稲荷社」の主祭神である「宇迦之御魂」は稲の神で、古来は農業神として信仰をされてきました。時代が下り産業が発展すると、「稲荷神」の神格は諸産業の守護神として拡大しました。江戸時代、江戸市中では稲荷神の勧請が盛んに行われたようです。赤坂5丁目の「桶屋」の稲荷もそのうちの一社で、戦後「赤坂氷川神社」に遷されたと伝えられています。
⑹ 「山口稲荷」
「山口稲荷」は、「社殿」の左手にあります。「山口稲荷」は、終戦後、赤坂3丁目にあった山口邸から遷された神社です。鳥居には享保3年(1718年)銘があり、向かって右側の水盤には文化10年(1813年)、左側の水盤には嘉永4年(1851年)、狛犬の台座には文政8年(1825年)の文字が刻まれていています。これらが奉納された経緯は今となってはわかりませんが、江戸時代を通じて篤い信仰を集めていたことがわかります。
⑺ 「鳥居」
「赤坂氷川神社」の境内には南側の参道と東側の参道にそれぞれ2基ずつ鳥居があります。「一の鳥居」(南側)には「大正十一壬戌年九月」「麻布 芝 氏子中」と記されており、麻布・芝周辺まで信仰が及んでいたことを知ることができます。また、「一の鳥居」(東側)には「御即位記念 寄附 苗村又右衛門」の銘があり、大正4年(1915年)11月の大正天皇即位の礼に合わせて、氏子惣代の「苗村又右衛門」から奉納されたものです。
⑻ 「狛犬」
境内には7対もの「狛犬」があり、「赤坂氷川神社」はまさに狛犬の宝庫と呼ぶことができます。それらの多くが祭礼や式典に合わせて奉納されたものであり、「赤坂氷川神社」が地域内の深い信仰を集めてきたことを物語っています。特に、注目すべき「狛犬」は、楼門両脇の「狛犬」です。現在地に「社殿」が建立されるより前の延宝3年(1675年)6月建立の銘があり、都内神社に現存する石造狛犬の中では最も古いものとされます。ちなみに、都内最古の「狛犬は」は、「目黒不動尊」と呼ばれている「瀧泉寺」の承応3年(1654年)の狛犬とされています。そして、「楼門」手前の手水舎付近にある「狛犬」も年代の古いもので、弘化三年(1846)に奉納された狛犬です。次に、東参道に目をやってみると、東側の「一の鳥居」の参道には、昭和初期、大正、明治と時代を遡るように狛犬が配置されていまます。まず、東側の「一の鳥居」前にある「狛犬」は、昭和12年(1937年)に奉納されたものです。太平洋戦争前の建立された狛犬で、数多くある狛犬の中で一番新しいものです。そして、石段の手前にある「狛犬」は、大正4年(1915年)に奉納されたものです。石段を上がると一対の「獅子山」が見えてきます。この立派な「獅子山」は明治15年(1882年)に奉納されたものです。
⑼ 「石灯籠」
「赤坂氷川神社」の境内には、石製の「台灯籠」が合わせて7対奉納されています。ちなみに、「灯籠」とは文字のとおり灯の籠であり、明かりを灯すことで邪気を祓い、神様のご加護を願うためのものです。置いて用いる「台灯籠」と、吊るして用いる「釣灯籠」に大別されます。「楼門」前に安置されている灯籠は、遷座を担当していた老中「水野忠之」が「社殿」の完成を記念して奉納したものです。ここにある4基の石灯籠は、平成7年(1995年)3月27日に港区の登録有形文化財に指定されています。
⑽ 「大銀杏」
「大銀杏」は、南側にある「一の鳥居」をくぐると右手にある緑地のそびえ立っています。「赤坂氷川神社」の「大銀杏」は推定樹齢400年で、幹の周囲は約7.5mにもなります。「社殿」が現在の地に建立された享保15年(1730年)には、すでに100年を超える樹齢をであったと考えられています。そして、裏から見るとかなりダメージを負っていますが、これは昭和20年(1945年)の東京大空襲によるものです。東京大空襲で幹の大部分を焼損することになりましたが、毎年11月下旬に色鮮やかに黄葉し、見るものに生命力の強さと神秘さを感じさせます。平成6年(1994年)に港区天然記念物に指定されました。ちなみに、「銀杏」は、生きた化石とも言われ、雌雄異株です。「赤坂氷川神社」の「大銀杏」は雄株です。港区内に現存する「銀杏」では最大である善福寺「逆さ銀杏(国指定天然記念物)」に次ぐ大きさです。
⑾ 「包丁塚」
「包丁塚」は、「大銀杏」のある緑地の左手にあります。「包丁塚」とは、料理人の使い古した包丁を納め、その恩恵に感謝するとともに、調理した動物や魚の霊を慰めるものです。境内の「包丁塚」は、赤坂青山料飲組合が使わなくなった包丁を奉納したもので、昭和49年(1974年)11月に赤坂青山料飲組合によって建立されました。傍らの左側には、「包丁塚30周年記念の碑」も建てられています。なお、「包丁塚」の文字は衆議院議員を務めた田中栄一の書を用いています。 現在、毎年10月上旬の土曜日に包丁塚祭が行われています。
⑿ 「天水桶」
「天水桶」とは、防火用に雨水をためておく大きな桶のことをいいます。「赤坂氷川神社」には「中門」前と「四合稲荷」前の2対が奉納されています。「中門」前の「天水桶」は、江戸時代に幕府御用を務めた鋳物師「太田六右衛門(釜六)」が鋳造したものです。戦時中の金属供出を逃れ、都内に現存する「釜六」作品の1つとして大変貴重なものだそうです。
⒀ 「力石」
「力石」は、南側の「一の鳥居」をくぐると左手にあります。この「力石」は、「赤坂氷川神社」境内の土の中から発見されたものです。江戸時代から明治時代まで鍛錬や娯楽として「力石」を用いた力試しが盛んに行われたといわれています。境内の土中から発見された力石には「三拾五貫目」(約130kg)と刻まれています。港区内にある「力石」は、全部で14点になりますが、「力石」のほとんどが海岸沿いの神社に残されているのに対し、この一点だけが海岸から遠く離れていることが興味深い点です。「力石」は、平成7年(1995年)3月27日に港区登録有形民俗文化財に指定されました。
⒁ 「山車展示場」
「社殿」の右手には、「山車展示場」があります。「山車展示場」では、全国的にも貴重な「江戸型山車」を展示しています。「山車展示場」は、以前駐車場だった一画で、駐車場が別に整備され、令和3年(2021年)9月に「山車展示場」が完成しました。展示されている山車は、全国的にも珍しい「三層型」構造で、高さは7mほどあります。山車はかつて「江戸の祭の華」といわれ、江戸から東京の著名な神社の多くの祭礼に曳き出されました。時代とともにその姿を消してゆくことになりましたが、この地域には奇跡的に山車の一部と、山車人形9体が遺されていたそうです。また、江戸一番の祭は「山王日枝」、「神田明神」の天下祭でしたが、最盛期の「赤坂氷川祭」はそれに次ぐ規模だったそうです。「山車」は、徳川将軍も観るので、江戸城内まで挽き回しがされ、その際、城門をくぐすために最上部の人形が上下するカラクリを備えていました。それが江戸型山車の最大の特徴だそうです。ちなみに、右側の「山車」は「猿」で弘化2年(1845年)に制作されたものです。左側の「山車」は「頼義」で弘化三年(1846)に松雲斎徳山によって製作されました。
⒂ 「縁結ひ」
縁結びにまつわる「縁結ひ」は、「楼門」をくぐってすぐ左手にあります。実は、「宮神輿庫」になっていた一画でしたが、「山車庫」が完成したため令和5年(2023年)に再整備して、縁結び祈願の「縁結ひ」となりました。私も勉強不足で知らなかったのですが、日本には願いをしたためた紙を社寺の格子に結い、縁結びを願う風習がありました。「赤坂氷川神社」ではこの風習にちなみ、季節の和紙に願い事を書き、その成就を祈る「縁結ひ」を行っています。季節の色の和紙を結い願い事の成就を祈るそうです。投稿日:2024年1月7日この口コミはTripadvisor LLCのものではなく、メンバー個人の主観的な意見です。 トリップアドバイザーでは、投稿された口コミの確認を行っています。 - MIST埼玉県5,629件の投稿2022年12月、企画展の「京都・智積院の名宝」を見る為に、入場した。
都内の私設美術館らしく、まずまずの広さだった。
清潔で、落ち着いた空間で、展示物を鑑賞できた。
学芸員さん達も、品があるし、美術館としては合格点が与えられる。投稿日:2022年12月7日この口コミはTripadvisor LLCのものではなく、メンバー個人の主観的な意見です。 トリップアドバイザーでは、投稿された口コミの確認を行っています。 - junjun東京都心, 東京都26,229件の投稿港区赤坂9丁目にある「檜町公園」についての情報を発信していきます。今回、「檜町公園」を訪れたのは2023年12月27日です。「檜町公園」へのアクセスは、東京メトロ南北線「六本木一丁目駅」が最寄り駅ですが、今回は、「赤坂氷川神社」と忠臣蔵で有名な「南部坂」を途中で見ることを予定していたので、都営大江戸線「六本木駅」を利用しました。東京メトロ日比谷線・都営大江戸線「六本木駅」の6番出口を出て、左方向に3000mほど道なりに進むと、左手に「檜町公園」の入口があります。
「檜町公園」は東京ミッドタウンの東に位置する港区立公園です。かつては、檜の木が多いことから「檜屋敷」と呼ばれた萩藩毛利家の「麻布下屋敷」の庭園跡です。その広大な庭園は「清水亭」と呼ばれ、江戸の町並みを一望できる名園として有名だったそうです。昭和40年(1965年)に港区の公園になり、公園に沿って檜坂があります。「ミッドタウン」が完成した平成19年(2007年)頃に再整備されて、池や流れは庭園風に、ミッドタウンの緑地に隣接する部分は広々とした中に遊具が置かれた広場になっています。そもそも、「檜町公園」の再整備は「ミッドタウン」の開発の一環であり、区の公園(「檜町公園」)と民間所有の緑地(「ミッドタウン・ガーデン」)、そして二つの公園とオフィス、住宅、商業施設が一つになって地区の魅力を高めることが意図されていたそうです。再整備費用についても開発事業者が負担しており、市街地再開発における官民連携の一例として知られています。「檜町公園」の池は、1.4haと公園全体の敷地の約半分を占める大きなものとなっています。この回遊式庭園をはじめ、木造りの東屋や遊歩道から鑑賞でき、アートでユニークな遊具のある芝生エリアなど地域の人々の憩いの場となっているそうです。また、「歩兵第一聯隊跡」、エミリオ・グレコ作の「ネレイス -海の精-」像や春に満開の花をたわわに咲かせる「藤棚」もあります。
01_【「檜町公園」の一口メモ】
⑴ 所在地…〒107-0052 東京都港区赤坂9丁目7−9
⑵ 営業時間…常時開放(夜間一部利用不可)、無休
⑶ 面積…16,369.88平方メートル
02_【「檜町公園」へのアクセス】
⑴ 電車を利用して「檜町公園」へ
①東京メトロ千代田線「赤坂駅」6番出口から徒歩8分600m
②東京メトロ日比谷線「六本木駅」7番出口から徒歩3分250m
③ 都営大江戸線「六本木駅」7番出口から徒歩3分250m
④ 東京メトロ南北線「六本木一丁目駅」1番出口から徒歩13分850m
⑤ 東京メトロ銀座線「溜池山王駅」12番出口から徒歩17分1200m
⑵ バスを利用して「檜町公園」へ
⑥ 都バス 六本木四丁目
① [渋谷駅前] ⇒[新橋駅前]≪都営バス:都01≫
・バス乗り場:「新橋駅前」(1番のりば)
・7停留所目(「六本木駅前」の次の停留所) 所要時間約18分
・9時から17時の間に1時間平均12便~16便
・「六本木四丁目」停留所で下車し「檜町公園」まで徒歩8分450m
② [新橋駅前] ⇒[渋谷駅前]≪都営バス:都01≫
・バス乗り場:「新橋駅駅前(東口)」(4番のりば)
・9停留所目(「本木一丁目駅前」の次の停留所) 所要時間約20分
・9時から17時の間に1時間平均12便~16便
・「六本木四丁目」停留所で下車し「檜町公園」まで徒歩8分500m
03_【「檜町公園」の見どころ】
⑴ 「FUJIN かぜのかみさま」高須賀昌志作
「FUJIN かぜのかみさま」は、斜めに立っている不思議なブランコです。ちなみに、彫刻家「高須賀昌志」は、昭和40年(1965年)に神奈川県に生まれ、平成4年(1992年)に「東京藝術大学大学院美術研究科修士課程」を修了しました。
⑵ 「SANJIN やまのかみさま」高須賀昌志作
「SANJIN やまのかみさま」は、和モダンなデザインのすべり台で、卍の紋からインスピレーションを受けて作られたそうです。
⑶ 「KAIJIN うみのかみさま」高須賀昌志作
ジャングルジムではありませんが、ジャングルジムを低くしたような遊具で、登ったり潜ったりして遊ぶことができます。
⑷ 「ネレイス -海の精-」エミリオ・グレコ作
「ネレイス -海の精-」エミリオ・グレコ作は、「檜町公園」の「檜坂」側に設置されています。「エミリオ・グレコ」は、イタリアのシチリア島で生まれの彫刻家です。最初は、墓碑等を取り扱う石工の徒弟となり、古代彫刻の修理や墓碑制作に従事しました。その後、パレルモの美術学校で彫刻を学び、ヴェネチア・ヴィエンナーレで彫刻大賞を受賞するなどして、イタリアを代表する彫刻家となりました。「ネーレーイス」とは、ギリシア神話の海神「ネレウス」の50人の娘たちの総称のことです。「ネレイデス」ともよばれる。いずれも美しい乙女で、父の海底の宮殿で歌ったり、糸を紡いだりして日常を過ごし、波の穏やかな日和(ひより)には海面に浮かび上がってくると伝えられています。
⑸ 「歩兵第一聯隊跡」
「歩兵第一聯隊」は、明治7年(1874年)に編成された「日本陸軍」の連隊の一つで、赤坂檜町(現在の赤坂九丁目)に置かれました。この地は、江戸期には萩藩毛利家の下屋敷でした。第二次世界大戦の終戦後に、米軍が接収して将校の宿舎として使用しました。昭和35年(1960年9に返還され、昭和37年(1962年)年から現在の「防衛省」の前身である「防衛庁」の本庁舎などに使用されました。「防衛庁」は、平成12年(2000年)に市ヶ谷へ移転し、平成19年(2007年)に「東京ミッドタウン」として生まれ変わりました。投稿日:2024年1月7日この口コミはTripadvisor LLCのものではなく、メンバー個人の主観的な意見です。 トリップアドバイザーでは、投稿された口コミの確認を行っています。 - v35p_trip札幌市, 北海道19,644件の投稿こちらは、TBS近くの超高層ビル(オフィスビル・商業施設)やライブハウス「赤坂BLITZ」などの総称を言うそうです。
当日は、サスケ・ハリーポッターなどのイベントが行われていました。投稿日:2022年12月24日この口コミはTripadvisor LLCのものではなく、メンバー個人の主観的な意見です。 トリップアドバイザーでは、投稿された口コミの確認を行っています。 - あんず2000東京4,287件の投稿アークヒルズはそばに桜の並木があるのですが、用事があって夜いったのですが、ライトアップなど特別なものはなくて、街頭のあかりが当たっているという感じでした。日中だとさ伯母らしいと思います。歩道橋からだと桜がすぐそばという感じです投稿日:2021年3月31日この口コミはTripadvisor LLCのものではなく、メンバー個人の主観的な意見です。 トリップアドバイザーでは、投稿された口コミの確認を行っています。
- MizuhoK日野市, 東京都4,073件の投稿1階はカフェ。2階は3泊以上のホテルです。
コーヒーは3種類ありました。浅煎り、普通、深煎り。酸味があるのが好きな人嫌いな人。苦味があるのが好きな人嫌いな人。どの方も満足行くコーヒーが飲めると思います。他に、長崎産私紅茶ってのがありました。不思議、惹かれる… 提供する飲料も、インテリアも、カフェとホテルのコンセプトもこだわりがあって素敵です。外国人の方が丁寧にコーヒー入れてくれました。加えて、嬉しいのが牛乳を提供してくれるのです。メロディアンミニものあるので、それ入れようとしたら、「あ、それよりも…」と言って牛乳出したくれました。コーヒーを美味しく味わう事をわかっている!高評価ポイントである。
外国人から見た日本の良いところ、外国人受けしそうなものを集めてオープンしたのかなあ。テーブル席が3つほど。小さいカフェです。仕事をする雰囲気はない。
難点は、開店時間が短い事。夜、ちょっと休憩…に使いたい雰囲気満点なだけに残念。投稿日:2019年2月20日この口コミはTripadvisor LLCのものではなく、メンバー個人の主観的な意見です。 トリップアドバイザーでは、投稿された口コミの確認を行っています。 - v35p_trip札幌市, 北海道19,644件の投稿こちらは、東京ミッドタウンのWEST館1階ある富士フイルムのギャラリーです。
化粧品、カメラなどの展示品は勿論のこと、何と言っても写真ギャラリーが素晴らしかったです。投稿日:2022年12月26日この口コミはTripadvisor LLCのものではなく、メンバー個人の主観的な意見です。 トリップアドバイザーでは、投稿された口コミの確認を行っています。 - v35p_trip札幌市, 北海道19,644件の投稿こちらは、TBS近くの赤坂サカスの一角なあります。
地下鉄を降りシアターに向かうと、ハリーポッターの音楽とモニュメントが・・・すでにここからシアターが始まっている。。。投稿日:2022年12月24日この口コミはTripadvisor LLCのものではなく、メンバー個人の主観的な意見です。 トリップアドバイザーでは、投稿された口コミの確認を行っています。 - sahaooon春日井市, 愛知県12,355件の投稿広島の平和記念公園などを手掛けた丹下健三氏設計のビルです。あらゆるジャンルの催し物が開かれるというアートの発信基地としても優れていますが、ビルそのものもアーティスティックなので、イサムノグチ氏の石庭とともに楽しむことができます。投稿日:2020年3月20日この口コミはTripadvisor LLCのものではなく、メンバー個人の主観的な意見です。 トリップアドバイザーでは、投稿された口コミの確認を行っています。