11日間の大分県一人旅では、地元の公共交通機関維持に貢献できるよう使える場所は鉄道・バス・タクシーで、他は観光タクシーを手配し、鉄輪にはバスで訪れました。亀の井バス「地獄めぐりバスツアー」に参加後、路線バスで「鉄輪バスセンター」まで移動し「地獄蒸し工房 鉄輪」にて昼食後、「鉄輪むし湯」体験が済むと、12月初旬の平日は空いていたからか、宿の夕食までたっぷり時間がありました。鉄輪付近を散策することにし、むし湯の奥に素敵な建物を見つけました。建物付近は傾斜のある土地で公衆浴場などもあり大変趣があります。門前に黒板に「Coffee & Tea Salon hanayamomo」の案内があり、利用することにより建物を見学できるか伺うと快く承諾頂きました。庭に面した席に先客がいらっしゃったので、中庭に面した席へ案内して下さいました。ガスストーブを点けて下さったりと、スタッフの方の細やかな心配りが素敵でした。建物内を見学させて頂くと、手の込んだ造作が多く感嘆続きで、建築好きとして貴重な機会でした。門の隣には樹齢200年を超えるウスギモクセイがあり、庭の花木も季節によって違う顔を見せてくれそうです。ショップの雑貨もこだわりを感じました。
建物が大変素晴らしかったので、冨士屋についてもっと知りたくなり少し調べてみました。浦達雄氏の「近代の別府市鉄輪温泉における旅館業の成立」や、今日(こんにち)新聞社の「懐かしの別府ものがたり」によると、旅館の経営者・安波(やすなみ)家の先祖は、谷川美濃守(16世紀の豪族)と言われ、後に資産家となったようです。冨士屋は江戸時代から宿屋業を営んでいたそうで、明治27年(1894年)に東京遊学中だった8代目利吉(りきち)が25歳の時に先代が亡くなったことにより跡を継ぎ、当時湯治場街の中心部で現在の「鉄輪むし湯」の位置にあった明治10年(1877年)築の富士屋旅館とは別に、広々とした新しい場所にそれまでの鉄輪になかったような豪壮な別荘を明治32年(1899年)に建てたそうです。棟札に棟梁豊嶋弥九郎らの名前や「明治三十二年二月十七日」と書いてあると紹介されています。当時は「本家」と「新築」で呼び分けていたそうです。公式サイト以外にも、郷土史家の小野弘氏所有の本家と新築の写真がネット上にあり、当時別府で有力旅館だったことがよくわかります。旅館としては平成6年(1996年)に営業終了し、その後ギャラリーとして改装され、平成15年(2005年)「冨士屋Gallery 一也百(はなやもも)」とされたそうです。なお、平成13年(2003年)に主屋・石垣・石段・前門が登録有形文化財に登録されています。