芭蕉は、19歳の頃、藤堂藩の侍大将藤堂新七郎家に奉公に。跡継ぎの良忠に仕えますが、良忠も俳諧好きで共に励みます。ところが、良忠は25歳の若さでこの世を去ってしまい、その後数年のことはちょっと不明。しか... 続きを読む
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芭蕉は、19歳の頃、藤堂藩の侍大将藤堂新七郎家に奉公に。跡継ぎの良忠に仕えますが、良忠も俳諧好きで共に励みます。ところが、良忠は25歳の若さでこの世を去ってしまい、その後数年のことはちょっと不明。しか... 続きを読む
伊賀上野のメイン通り沿いにあります。確か駐車場はなかったと思います。至って普通の民家で、看板がなければ見逃してしまいます。
伊賀市を横断する国道沿いに有りますが、工事中のため見ることは出来ませんでした。ただ分かるように誕生した旨の記念碑が設置されています。
芭蕉は、19歳の頃、藤堂藩の侍大将藤堂新七郎家に奉公に。跡継ぎの良忠に仕えますが、良忠も俳諧好きで共に励みます。ところが、良忠は25歳の若さでこの世を去ってしまい、その後数年のことはちょっと不明。しかし、29歳までこの生家で過ごし、ここで、処女句集「貝おほひ」を執筆します。
それがその後の芭蕉の出発点となりました。ただ、現在ここは閉館中。表から中をうかがうしかありませんでした。
伊賀上野のメイン通り沿いにあります。確か駐車場はなかったと思います。至って普通の民家で、看板がなければ見逃してしまいます。
上野公園からの帰りに寄りました。駐車場があるのかないのかわからなかったので国道の路肩に停めて急いで外観だけ見てきました。当時の芭蕉が旅支度をして家から出てくる光景が思い浮かびました。
わりと通行量の多い道路沿いにあるのが少し意外でした。大きな家でした。芭蕉が29歳まで暮らしたと言われる家です。残念ながら今は修復中で閉まっていました。外から見たのみでした。碑や看板がなければ、古い民家だと思うだけかもしれません。
ご存知、松尾芭蕉の家です。
伊賀出身と言う事で実は松尾芭蕉が全国を旅したのは忍者の指名で密偵目的だったのでは!?と言われています。
そのヒントがここに隠されているかもしれませんね!