斉明天皇が亡くなられた地と言われています。 斉明天皇の息子が中大兄皇子、後の天智天皇です 亡くなられた斉明天皇の為に建立されたのが太宰府市の観世音寺と言われています。 この地は、太宰府と同じように東に... 続きを読む
斉明天皇が亡くなられた地と言われています。 斉明天皇の息子が中大兄皇子、後の天智天皇です 亡くなられた斉明天皇の為に建立されたのが太宰府市の観世音寺と言われています。 この地は、太宰府と同じように東に... 続きを読む
東側に山があり、朝が暗い場所に朝闇神社があります。 その名前が変化して「あさくら」になったと言われている場所です。 歴史を感じさせるすごくいい雰囲気の場所です。
秋は、周りにある柿園の柿が色づいて、美味しそう。穏やかな日差しが降り注いでいました。
長い長い歴史に想いを馳せました。
斉明天皇が亡くなられた地と言われています。
斉明天皇の息子が中大兄皇子、後の天智天皇です
亡くなられた斉明天皇の為に建立されたのが太宰府市の観世音寺と言われています。
この地は、太宰府と同じように東に山があり、もしかすると、風水的に同じなのかもしれません。
地元の古老のお話では、朝闇(ちょうあん)神社は、東に山があり、朝暗いことから名付けられたそうで、これが転じて朝が暗い、朝暗い、朝倉になったそうです。
朝倉の始まりの場所ですね。
原鶴温泉の方に少し行くと、恵蘇神社や山田堰があります。恵蘇神社の上には、斉明天皇のご遺体を仮に埋葬したという場所もあります。
古今和歌集の朝倉や木の丸殿に我おれば 名乗りをしつつ行くは誰がこぞ の歌が読まれた場所と言われています。
観世音寺に息子と参拝した作家の夢野久作は、息子に痩せた大黒様を見せて、この姿が本来の天皇の姿だ、民の安寧を願い苦悩されている。
木の丸(粗末な御所)に住まわれて、民の子が挨拶できる場所におられたのが本来の天皇だと説明しています。
かなり歴史を感じられる場所です
にぎやかというよりひっそりという感じでしょうか
独特な空気が流れている感じがしました。
東側に山があり、朝が暗い場所に朝闇神社があります。
その名前が変化して「あさくら」になったと言われている場所です。
歴史を感じさせるすごくいい雰囲気の場所です。