塚(つか)は古墳や墓などを意味しますが、人々が御塚(おんつか)と呼んでいたものが、いつしか鬼塚(おにつか)へ変わったものと思われます。鬼塚古墳は九州に多くあるようで、久留米には御塚(おんつか)古墳があります。
国東市の鬼塚古墳は、国道213号線を観光タクシーで東に向かって走っている時に、妙光寺近くの交差点手前で案内看板を見つけ思いつきで訪れました。途中にあった看板の距離を大幅に過ぎ、Googleマップはまったく道の無い場所で左折するように指示をし、うねる細道を山深く走っても走っても辿り着かず、終いには海が目の前にある種田神社まで下りてしまいました。散々ウロウロした挙句、株式会社イシイ九州孵卵場前を種田神社側にほんの少し行ったところに、鬼塚古墳への案内看板がありました。左折し少し行くと、きれいに復元された横穴式石室を持つ円墳があり、駐車場も併設していました。古墳の下の斜面にはギンナンの為の銀杏畑が黄色く美しかったです。
国東市の西山古墳群は11基あり、鬼塚古墳はその内の1つです。舟・人・鳥・樹木などの線刻画のある装飾古墳です。6世紀末築造のようですが、1984-85年に修復工事をした際、内部から12-13世紀の土器や、16世紀頃の2基の土壙墓も見つかっているので、早くから再利用されていたようです。壁石の表面がやや風化して柔らかいため後世の追刻が多く、オリジナルの刻線と見分けることが難しいそうです。出土した刀・鏃・金環・ガラス玉・須恵器・土師器は「国見ふるさと展示館」にあります。鉄格子の扉で施錠されており、古墳内部の見学希望者は国東市教育委員会文化財課に連絡するようです。持参していた山川出版社「大分県の歴史散歩」に「玖珠町の鬼塚古墳」と共に紹介されていましたが、どちらかというと意図せず体験した「標高110mオノ山の迷宮」の方が刺激的でした。