楽々園は、玄宮園とともに彦根藩4代藩主井伊直興により建立された彦根藩の二の丸御殿で、現在は、建物部分を楽々園と呼ぶみたいです。外観だけの見学となるので短い時間で見学できます。玄宮園の入場券で見学できる... 続きを読む
楽々園は、玄宮園とともに彦根藩4代藩主井伊直興により建立された彦根藩の二の丸御殿で、現在は、建物部分を楽々園と呼ぶみたいです。外観だけの見学となるので短い時間で見学できます。玄宮園の入場券で見学できる... 続きを読む
【玄宮園】と【楽々園】は 【槻(けやき)御殿】の《庭園部分》と《居住部分》で 視覚的には《庭園部分》である【玄宮園】が印象に残りますが 【楽々園】も 現在 継続している復元修復・保存整備事業が完成する... 続きを読む
国宝天守閣の彦根城には、玄宮園と楽々園という名庭園があります。二つの庭は一体になっているような造りですが、玄宮園は広い池を中心とした池泉回遊式の庭です。訪れた日は朝方雪も降ったようですが、昼間でも池は凍り付いていました。
楽々園は、玄宮園とともに彦根藩4代藩主井伊直興により建立された彦根藩の二の丸御殿で、現在は、建物部分を楽々園と呼ぶみたいです。外観だけの見学となるので短い時間で見学できます。玄宮園の入場券で見学できるので、一緒に見学を楽しめました。
【玄宮園】と【楽々園】は 【槻(けやき)御殿】の《庭園部分》と《居住部分》で 視覚的には《庭園部分》である【玄宮園】が印象に残りますが 【楽々園】も 現在 継続している復元修復・保存整備事業が完成すると 大きく印象が異なるのかも知れません。 今回の訪問時知ったこととして 2点; 1.《御書院》内部の特別公開が 2020年7月4~10日 開催されていたことです(次回の公開予定日を質問するも 未定とのことでしたが 興味ある方は 時々 ネットでチエックした方が良いかも知れません)。 2. 現在 復元修復・保存整備事業中の[茶座敷(地震の間)]の説明文(添付 写真参照、汚れて 内容を読みにくいですが)を読むと 《地震の間》と言う名称の由来が [耐震構造]が行われているからとのことです。
彦根城を見学後、西の丸三重櫓奥の山崎山道を下り玄宮園に向かいます。下りきると内堀沿いの道に出ます。右に進みます。内堀に二羽の白鳥が優雅な姿で泳いでいます。しばらくすると見える玄宮園の案内板に従い黒門橋を渡ると玄宮園の受付がありました。玄宮園は有料ですが左手に入園無料の楽々園があり入ってみました。立派な書院風の建物があります。玄宮園と共に1677年頃にともに彦根藩4代藩主井伊直興により建立された二の丸御殿で槻御殿と呼ばれていました。大書院、地震の間、雷の間、楽々の間など、工夫を凝らした部屋が残っていて外部から見ることができます。開放的な枯山水の庭があり見応えがあります。
紅葉と青空の対比が綺麗でした。工場の看板がありましたが、歴史ある文化財を維持してもらいたいと思いました。
けやき御殿(ご書院)の前には楽々園の枯山水。
入って突き当りはきれいに芝を刈ってある芝山。芝山奥には土手(石垣でした)があり昔はすぐそこは琵琶湖の内湖だったそうです。
改修が終わった京風の茶座敷『地震の間』は風格があって立派。
地震の間の左下には縞模様が入った小ぶりの虎石が集められておりとっても貴重で素敵。
よくれ手入れされた楽々園は無料で入れますよ。
彦根城に登城した後はご書院の縁側に座ってひと休み。
素敵なお庭でした。