明恵上人が、厳しい修業をし、悟りを開いた白上山の中腹に建てられています。刈藻島、鷹島が浮かぶ湯浅湾を一望できます。
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明恵上人が、厳しい修業をし、悟りを開いた白上山の中腹に建てられています。刈藻島、鷹島が浮かぶ湯浅湾を一望できます。
明恵が開眼供養したと伝承されています。明恵の弟子が刻んだ明恵の木造の像は火災で燃えて、現在のものは江戸時代の仏師が刻んだものと云われています。この地は明恵峡とか歓喜寺とかこの寺院とか・・・明恵にかかる... 続きを読む
明恵上人が草庵を結んで修行をした場所に、開いたお寺で、創建時は立派なものだったのでしょうが、戦で焼けてしまったそうです。
明恵が開眼供養したと伝承されています。明恵の弟子が刻んだ明恵の木造の像は火災で燃えて、現在のものは江戸時代の仏師が刻んだものと云われています。この地は明恵峡とか歓喜寺とかこの寺院とか・・・明恵にかかる遺跡が数多く残っていますが、菩提心とか云う思想を押し付けたり、釋迦に倣って自らの右耳を切り落としたりとか、形式主義がかい間観られる。法然の専修念仏を批判したりとか、とかく仏教を形式的でむつかしい方向へ導いているみたいで、わたし的には賛同致し兼ねる要素もある偉人です。空海が法然と仲違いしたのとは違う仏教の教義にかかる異論であり、如何に当時の権力者達が明恵に帰依したとは申せ、専修念仏と云う庶民に受け入れられ易い教義を説いた法然さんの方に軍配が上がると考える。簡単な事は簡単なままに、余り形式で枠を固めたりややっこしい方向へ導いても特定の人にしか受け入れられない、と思う。