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松江城を築城した堀尾吉晴公像

松江城の入り口前で松江城を背後に建つ武将が堀尾吉晴公の像です。 松江城を築城した堀尾吉晴公は豊臣家の三中老のうちの一人だったそうです。 ここには「松江開府の祖 堀尾吉晴公」と題した堀尾吉晴公についての... 続きを読む

2019年12月31日に投稿しました
tabi-ningen
,
川崎市, 神奈川県
松江開府の祖

松江城完成400年にあたり銅像建築の機運が高まり、約4130万円は市民をはじめ、全国からの寄付でまかなったそうです。台座を含めて約6m、夜にはライトアップされ、台座の両脇には石のベンチがあります。写真... 続きを読む

2019年12月5日に投稿しました
Go805057
,
相模原市, 神奈川県
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口コミ 20 件中 16
2019年12月31日に投稿しました

松江城の入り口前で松江城を背後に建つ武将が堀尾吉晴公の像です。
松江城を築城した堀尾吉晴公は豊臣家の三中老のうちの一人だったそうです。
ここには「松江開府の祖 堀尾吉晴公」と題した堀尾吉晴公についての解説が書かれています。
2013年に完成したという真新しい像ですが、風格のある武将の像です。

訪問時期:2019年9月
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2019年12月9日に投稿しました

私事で恐縮ですが「堀尾吉晴」を知ったのは相当前に読んだ山岡荘八氏作「織田信長」で木下藤吉郎が稲葉山城の搦手を探している時に堀尾小太郎(当時)に出会い、道案内役として取り立てたという話からです。史実は分かりませんが、古くから秀吉公に従い、各地の戦場を渡り歩いたのは間違い有りません。出雲国拝領は息子忠氏公が関ケ原の戦いの功績によるものですが、松江城築城前に急死し父吉春公が松江城を築城しました。目の前に有るのは単なる銅像ですが、山あり谷ありの人生を過ごした人、そう考えると深く見入ってしまいます。

訪問時期:2019年12月
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2019年12月5日に投稿しました

松江城完成400年にあたり銅像建築の機運が高まり、約4130万円は市民をはじめ、全国からの寄付でまかなったそうです。台座を含めて約6m、夜にはライトアップされ、台座の両脇には石のベンチがあります。写真を撮るにはちょっとですね。「松江開府の祖」天守閣に向かって凛々しくカッコいいです。

訪問時期:2019年11月
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2019年10月31日に投稿しました

松江城大手門駐車場に車を停めて、天守閣や周辺の塩見縄手などをまわりました。天守閣で初代藩主の堀尾吉晴のことを読んでから、帰りにこの像に気がつきました。なるほど、そういう人物かと納得しました。

訪問時期:2019年9月
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2019年9月18日に投稿しました

大手木戸門跡の前に立っています。
安土桃山時代から江戸時代前期にかけて活躍した尾張国丹羽出身の武将で、秀吉の重臣として信任厚く、三中老の1人ともなって出世した人物です。
やがては徳川に付き、関ヶ原の合戦では、直前に負傷した自分に代わって参戦した息子忠氏の功により出雲・隠岐二国の領地を授かったことを機に、忠氏を松江藩初代藩主として、旧居城の富田城に代わる交通の要衝である松江に築城、城下町造成を決意します。
息子が早世したため藩主となった孫を後見しながら、名に知れた普請上手として北の丸(現・護国神社付近)に居住して指揮を執り、完成後わずかで没したそうです。

訪問時期:2019年9月
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