1924年にレーニンが死去した際、全国から弔問に訪れる人民のため、その遺体に保存処理(エンバーミング)が施され]、赤の広場に建築家アレクセイ・シューセフの設計により、木造の遺体安置所が短期間(約3日間)で建設された。1930年により恒常的な施設として、現在の石造の廟を建設し、完成させた。
1953年にヨシフ・スターリンが死去すると、その遺体も保存処理が施されレーニンと並んで安置されていたが、1961年の「第二次スターリン批判」にともなって撤去され、クレムリンの壁とレーニン廟の間にある英雄墓域に埋葬された。スターリン以後のソ連最高指導者のうち、在職のまま死去したレオニード・ブレジネフ、ユーリ・アンドロポフ、コンスタンティン・チェルネンコの3名もこの墓域に埋葬されている。
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