ハイカラ好みというか合理的に暮らしていたんですね。日本家屋にフローリングや応接間があります。板張りの様式トイレまでありました。当時は珍しかったんでしょう。外観はコロニアル様式。
ハイカラ好みというか合理的に暮らしていたんですね。日本家屋にフローリングや応接間があります。板張りの様式トイレまでありました。当時は珍しかったんでしょう。外観はコロニアル様式。
当時の家具なども置いてあるので生活ぶりがうかがえて興味深い。庭から覗き込むだけなので二階が見られないのは残念だが、隣にある資料館のビデオでようすがわかり、満足した。
新島襄旧邸は、年に数回、内部の公開があります。中は、とてもレトロで、無料なのはいいです。一回は、行く価値があります。
同志社大学を創立した新島襄の旧宅です。敷地内には会館もあって、30年程度前だが、ここで卒業生の部下が結婚式を挙行した際に主賓として挨拶させられたことがあるので内部まで旧知の場所です。手入れが行き届いているのか、あちこち、綺麗に磨かれていました。見学も出来ますが、卒業生でもないので、敢えて見学することもありませんでした。私の写真は西側通からのもので、正式な入口は少し北側の東西の通りにあります。かつて御用放送局で大河(何が大河なのかはさっぱりわからんが)ドラマなるものがあって、新島襄の奥方が八重の桜とかで取り上げられていましたが、全く興味がない番組、人物だったので、結局、一回も観たことはなかったけど・・・。
新島襄と八重さんが暮らしていたお家です。初めて訪れました。洋風な感じで、新島襄が国禁を破り、アメリカにわたった片鱗が見られました。
同志社大学の創設者である新島襄の旧宅はお洒落な洋風の建物です。普段は建物内には入れませんが、特別公開日もあるようです。
ハイカラ好みというか合理的に暮らしていたんですね。日本家屋にフローリングや応接間があります。板張りの様式トイレまでありました。当時は珍しかったんでしょう。外観はコロニアル様式。
当時の家具なども置いてあるので生活ぶりがうかがえて興味深い。庭から覗き込むだけなので二階が見られないのは残念だが、隣にある資料館のビデオでようすがわかり、満足した。